はじめに−03

「脱サラのススメ」

(1999年6月13日執筆)


 脱サラ──その定義は定かではないが、正式名称は「脱・サラリーマン」なのだろう。サラリーマンを脱すると言うからには、単純に思い浮かぶのが、独立、ベンチャー、起業、フリーター、商店の個人経営、農家での畑仕事に自給自足……。私の貧困な発想からは、こんな答えが浮かぶ。

 だが、いわゆる「会社」に属している人たちは、多分、その大多数が「こんな会社辞めたい……」とは思っていても、次に思いを馳せるのは別の会社であって、「サラリーマンであることを辞める」という選択肢には余り目を向けないのではないだろうか。たとえ向けたとしても、サラリーマンの道を捨てるのは容易ではないだろう。
 これは仕方のないことだと思う。

 サラリーマンでいる限り、一定の収入は保障され、厚生年金、健康保険といった様々な面倒な手続きを会社に依存することが可能で、しかも並以上の会社であれば、我々が負うべき負担の何%かを代わりに負担してくれる。リストラだ何だと言っても、やはりそれは対岸の火事で、少なくとも明日の生活は保証されてるじゃないか。企業の歯車になって、自分の意志など何もなくなっても、妻や子供を養って行かなくてはならない。無責任に脱サラなんて出来ない。
 こういう考えは、多くの人が持っているだろう。

 実際にベンチャーに乗り出す男性は35歳以下が多く、「身を固めて家庭を持てば、守りに回るから冒険は出来なくなる」という意見をよく聞く。
 人生に劇的な転機を迎えて、サラリーマン社会から抜け出す人には女性が多い。と、言うよりも、女性はもともと「サラリーマン」である人が少ない。

 ズルイ言い方だが、普通の女性には「伴侶(旦那)や子供を自分の稼ぎだけで食わせていく」という観念的な枷がない。早い話が「自分さえ食べていければいい」のだ。このような考えのもとに生きれば、収入は月20万円以下でも足りる。自分の好きなことに時間を費やし、気持ちの満足感を味わうことで「世の中お金じゃないんだなぁ……」と実感する。「お金がなきゃブランド品が買えないじゃない! それじゃ満足できないモン」などという女は、基本的に心の満足を味わったことのない可哀相な人達なので、論外である。

 女は社会に出て様々な場面で差別される代わりに、自由を享受できるズルい特権を振り回すことが出来る。「結婚して旦那に食わせてもらおーっと」ってな心構えの女は、今でも大勢いると思う。

 ──が、妻子ある人、もしくは結婚する予定のある人は、ある程度「世の中お金」なのだ。子供は成人するまでに2千万円近く掛かるなどと言われているが、とにかく生産力のない人間一人を養うのは物凄く大変だ。男性にとっての脱サラには、女性以上に勇気ある決断が必要になってくるのかもしれない。

 ここで、主題に入る。
 私は、世の中すべての人に脱サラしてほしいと思っている。脱サラが物理的に不可能な人にも、だ。何も「会社を辞めて独立すること」が脱サラではないと思う。「会社なんて二の次だ! 俺には別に生き甲斐があるっ!」もしくは「仕事は会社のためにやってるんじゃない。俺が楽しいからやってるんだ。それがたまたま会社の利益になるから、当然の報酬として給料を貰ってるんだ!」と言い切れる状態を、私は脱サラと定義している。私の言う脱サラは「脱・サラリーマン精神」のことだ。

 立場はサラリーマンだっていいじゃないか。でも、会社からリストラされたって、気持ちなんか最初から会社にないから平気だもんねー、という会社に依存しない精神を、一人でも多くの人に培って欲しい。
(注:この場合のリストラとは、比較的やり直しの効く年齢の者や、一時的に収入が途絶えることが死活問題に直結しない者を対象に起ったものを指す)

 最近の無差別リストラは本当に酷いと思う。「心を強く持てば平気」とか、そう言うレベルではない場合が多い。一昔前は企業が社員を一方的に首切りしようものなら、社会的に凄まじい程の弾劾を受けたものだが、今では大規模なリストラを行えばその会社の株価が上がる、などと言うメチャクチャな方程式まで成り立ってしまっている。リストラの本当の意味は「再構築」の筈なのに、日本の行っているリストラはただの「無責任な使い捨て」に過ぎない。
 会社には時々「驚くほど使えない能無し社員」が生存するもので、そういう類の人間だけを放り出すなら話は分かる。だが、今の日本のリストラはもっと感情的に、理不尽で低レベルな理由を基に行われているのが主流ではないだろうか。

 従業員を解雇しなければ会社が倒産してしまう、と言うならまだ分かる。しかし、リストラを強行する企業は、業績が落ち込むどころか、上昇するのである。──ちょっと待て。せめて業績が横這いなら納得行くのだが、なぜ従業員の人生を狂わせてまで業績を伸ばす? 伸ばす余裕があるなら無差別リストラを止めろ! 責任を持てない社員なら、最初から採用するな。採用したからには責任を持て。会社のために人間がいるのではない。人間のために会社があるのだ。勘違いも甚だしい。

 ──が、本当に勘違いしているのは従業員の方だと、私は思う。
 これだけ馬鹿にした雇用システムを企業が堂々と行っても、従業員たちが暴動を起こすことはない。会社にとってはなんて扱いやすい小市民達だろう。思い詰めた正義感が社長の目の前で割腹自殺までして訴えても、会社は何も変わらない。それどころか、業績は伸び続けていると言う絶望的な現実しか見えない。
 なぜ怒らない? なぜ疑問に思わない? ここまで馬鹿にされて、それでもなぜ会社に尽くすのだ? 会社にとって、私たち従業員など歯車以下の存在だと言うのに……。健気に働いている場合ではないと思う。不必要に会社を疑う必要はないが、理不尽なことをされた時に会社の真の姿に気付いたのでは遅いのだ。

「同僚がリストラされた。俺じゃなくて良かった……」

 ──こんなことを思っている場合ではない。同僚のリストラは、明日の自分のリストラなのだ。簡単に従業員を捨てる会社に、自分が属しているのだという事実に気付き、団結して会社を変えるべきだ。経営者と従業員の力関係は、団結することさえ出来れば、従業員の方が数の勝利を収めることが出来る。それにはまず、唯々諾々と上の命令に従う精神から変えていかなくてはならない。

 最後に、ここでもう一度しつこく提言を繰り返す。
 会社に忠誠を捧げてはいけない。会社のためではなく、常に自分のために仕事をしていれば、基本的に心は満足できるものだ。
 なんでも良い。労働過剰のサラリーマンは特に生き甲斐から遠く生きている。会社で働くことが当たり前で、自己実現をしたことのない人生は、会社と言う所属の場を奪われた時に余りにも脆い。会社に自分の時間や想像力を奪われているのだから仕方がないとも言える。しかしそうしたサラリーマンは自分が会社にスポイルされている自覚がない。まずはそういう現実に目を向け、自分は今後悔しない人生を送っているのかを把握し、早々に生き甲斐を見付けるべきだ。

 私は今も会社に属して生きている。だが、今属している会社に一生しがみ付くつもりはない。と言うか、正直な話、私が一社に長く勤めるのは無理だろう。
 私にとって会社は、生活リズムを安定させるためのものであり、ネタ収集の場である。会社が生活の中心になったことはない。いつか文筆業で収入を得ることが出来たら……という、果てしない夢を実現させるための足掛かりに過ぎない。欲張りな私は、それでも1日8時間程度を拘束されるのだから、と、面白そうで残業のない会社をしつこく探して執念で就職している。
 確かに立場はしがないサラリーマンかもしれない。だが、私はいつも自分に忠実に生きている。会社のために生きたことは、まだないし、これからもないだろう。
 この姿勢こそが私なりの「脱サラ」だと思っている。

 こんなふうに、脱サラは心掛け次第で誰でも出来るのだ。思い込みと気力だけで、人生ちょっとは変わるものだ。頑張ろう。仲間は少なくないと思う。



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