過去の職場&就職体験記 (1)大企業での地獄−02

第2話「仲間ハズレらしい」

(1997年4月執筆/1999年8月加筆)


 共同研修が3日ほど過ぎると、少しは慣れたと言える状況になったようでした。クラス41名のうち女子は私を含めて5名。仕切りたがり屋のH、その尻馬に乗るN、印象の薄い物静かなS、そして私の大好きなM上がいました。アルファベットで登場人物を説明すると、誰が誰だか混乱すると思うので、それぞれ特徴を頭文字に、今後は「仕切H」「尻馬N」「物静S」「M上」としましょうか。私がM上にどれだけ愛情を注いでいるか、表記の仕方からも判るかもしれません。

 さて、この第2話も当時の日記を振り返って進めてみましょう。





 1997年4月4日(金) 
 朝、私はいつもギリギリに着く。ギリギリと言っても5〜8分前には教室に着いているが、それでも私がいつもラスト・ワンになる。早い人は1時間ほど前から来ているらしい。ヤル気満々なんだね。
 来た順に席を選んで座っていくため、私が来る頃に空いている席は一番前の列だけになってしまう。この日も空いている席は1列目全席と、2列目の真中しか空いていなかった。しかし、よく見渡した結果、前から3列目の1番端が空いていたのでそこに座ろうとした。すると、女子2名(仕切Hと尻馬N)から非難の声が上がる。
「そこ、Sちゃんの席だよっ!!」
 おーい。どこに名札が付いてンだー? 自由席じゃなかったの? そう思って、私は思わず返事を返してしまった。
「席って決まってたっけ?」
 すると彼女たちは真顔で「決まってるよ」と言うのである。私は戸惑い、そんなこんなでゴタゴタするうちに物静かなSちゃんが現われ、彼女たちはSちゃんに
「早く座りな。鷹瀬に取られちゃうよ
と教えてあげていた。私は暫くその場に立ち尽くし、仕方ないので2列目のど真ん中の席に座った。
 仕切Hは「良かったねー。席取られないで。今度からはちゃんと取っておいてあげるね」などと言いながら、尻馬Nと物静Sと盛り上っていた。

 ……コレってもしかしてイジメって言うのかなぁー、と漠然と思ったが、イジメとはする側とされる側の合意の上で初めて成り立つのである。だから私はもーどーでもいいや、と思うことにした。彼女たちに無視されても痛くも痒くもない。そう思わなければ、やっていられないのだ。

 講義の合間や終了後に、ちょっとした時間が出来る。この日は「ちょっとした時間」どころか、40分ほど早く、講義が終了してしまった。しかし、どんなに講義が予定より早く終わろうと、17:15まで私たちは外に出ることは許されない篭の鳥である。与えられた仕事が予定時間以内に終わらない時は、個人の責任とばかりに残業を強制させられるが、与えられた仕事が予定時間以内に終了した場合にも、予定時間まで帰ることは許されない。不条理もここまで行くと気持ち良い。

 「早く帰りたいなぁ」と零していたら、「この時間は会社に買われた時間なんだから」と、隣に座る男の子に宥められた。ならばサービス残業はどう説明するのだ。言っているコトを統一しろ。と、そんなことを延々と思っても、どうせ誰も同意してくれない。黙っていることにした。

 何はともあれ、こんな事で腹を立てているのは見渡す限り私だけだ。他にも居るのかもしれないが、声を発していない人間は、居ないのと同じだ。
 サラリーマン社会ってみんなこうなのかな。延々とこうなのかな。オカシイと思うことがあっても黙ってるのかな。それが美徳なのかな。
 今後の人生が不安になった。

 そんな私の複雑な心境を余所に、アドバイザが「空き時間を利用して、自己紹介をしてもらおうか」と言い出した。たった2週間、実質9日間の付き合いで、自己紹介なんかいらねーよっ!と思っても口に出すことは当然なく、アドバイザの思惑通り自己紹介は行なわれた。そして、私の予想通り、自己紹介は実に無益なものだった。

 初めの人が「××大学出身の○○です。学生時代には□□部に所属していました。趣味は△△です。同じ趣味の方、是非声をかけて下さい」と非常に無難な挨拶をした。何せトップだ。何事においてもトップは辛い。面白味は100%無いと言い切れるが、まぁ、トップだ。許せないこともない。そう思って1人目、2人目と聞き流していると、奴らは20人目になっても同じようなことしか言わない。勿論、大学名や氏名、所属していた部活は違うが、それは内容が違うとは言わない。情報が違うだけだ。

 自己紹介とは、情報の違いで自分をアピールするものではない筈だ。話し方、話の持って行き方、話す内容が個性を示す。それが同じフォーマットで延々繰り返されるモノだから、誰の自己紹介も印象に残らない。多くの人達の結びの言葉は「……と、言うことですので声を掛けて下さい」で、挙げ句の果てには「お友達になって下さい」なんて悲惨なものもあった。

 ……少なくともお前ら20代だろう……。「お友達になって下さい」と言っていいのは、男は14歳まで、女は16歳まで、と法律で決まっている。習わなかったのかッ!
 ……耐えられない。8割以上のいい歳した輩が「声を掛けて下さい」「お友達になって下さい」だと……。「ここはペンパル募集の雑誌上かッッッ!」と突っ込みたくなる私の気持ちを分かってくれる人が、1人でいいからこの会社に欲しい……と切実に思った。


 1997年4月7日(月) 
 飲み会が行なわれた後、初めての研修日である。飲み会の後と言うのは、変にグループが出来ている場合がある。飲み会に出ていないこともあって不安だったが、予感は的中。朝教室に着くと仕切Hと尻馬Nの両名が何やら席を立ってアレやコレやと騒がしい。

 何だかなー……と思いつつ、また決まった席に座ると煩いので、大人しくど真中、真ん前に座る。
 そんな私を横目に尻馬Nが自分の席の荷物を移動させている。「何してるの?」と声を掛けると一言、
「席替え」
という返事が返ってくる。……そもそも自由席の筈なんですが席替えですか。成人式を迎えてから、席替えなんて事態を間近で見たのは初めてだよ……。はは。頑張ってネ。


 1997年4月8日(火)〜14日(月) 
 女子連中(と言うより仕切Hと尻馬N)からは一見イジメられているように見えるが、M上のお陰で大分楽に過ごすことが出来た。M上に感謝。
 とにかく終わった。良かった。




 いやまぁ私も相当突っ張ってますね。若いと言うか、青いと言うか。正確には子供っぽいんですけど。それにしてもトゲトゲしいなぁ。自分から壁を作っているな、と今では思いますね。

 しかしこの頃は本当に辛かったんだろうと思います。今ならもっと上手くやわやわとやれる自信がありますが、この頃はもう、初めて見るサラリーマン社会に全身で抵抗している感がありますね。
 この日記を見ると友達なんか誰もいない!って悲壮な雰囲気が漂っていますが、実際は結構周りの人と話していたと思います。ただ、「ああ、合わないなぁ……」という思いが強かったので、そういう「合わない人」のことを一切記憶から排除していたのでしょう。

 今だから思いますが、こういう態度は良くない。どんな人でも長く付き合わなくちゃ判らないですよね。もし今、再びこういう場に突き落とされたら、もうちょっと頑張って自分の意見を控えめに滲ませつつ、同じ思いを抱える同志を根気よく見付けようとしたと思います。しかし、多分この頃は「この先私はこの世界で生きていくのっ?!」という憂鬱に押し潰されそうになっていたんですね。

 最愛のM上との交流が記録として残っていないのは残念です。辛いことのみを記録している、ということ自体、私がこの日記をストレス解消にしていたということが伺えます。
 仕切Hや尻馬Nは、この日記を見る限り全然口を利いていないように思われるかもしれませんが、実際は6、7割の割合で普通に話していました。ただ決定的な時に色々とイジメ(?)紛いのことをされて、その事のみを記録に付けていたようです。ストレスを解消したかったんでしょうね……。

 仕切Hに関しては、いちいち突っ掛かるような言い方をされて、それは私に対してだけかと思っていたのですが、後にM上と食事をした時に、「あの人は誰にでもああいう話し方してて、男子からは煙ったがられてたんだよ」と言われ、私がこの研修中に本当に周囲を見ていなかったことに気付かされました。
 私がもっと心を開いて、周囲の人の意見を聞くようにしていたら、もしかしたら同じような考えを持った人と出会っていたのかも知れないなぁ、と思うと、少し残念です。今後このような機会が与えられたら、もっと頑張ってみたいと思います。
 ま、今後はこんな機会に恵まれないような人生を選んで行くつもりですが。

 さて、これで「共同研修」は終りです。4月15日(火)からはいよいよ事業グループ系配属され、私は「営業」に配属されました……。4月15日〜5月23日は営業に配属された新入社員42名を集めての「営業研修」が始まります。
 今までの日記を読んで下さった方は、もう既に私がサラリーマン社会に放り込まれてヘロヘロになっているのはご承知でしょう。その弱り切った私に、いわゆるサラリーマンの代表である「営業」の世界へ羽ばたくための研修が、果たして耐えられるでしょうか……。

 予想は簡単に出来ると思いますが、詳しいことを知りたい方は第3話へ。私にとっての地獄の日々がリアルタイムで体験できます。




[第1話に戻る] [第3話に進む]