過去の職場&就職体験記 (1)大企業での地獄−01
第1話「サラリーマン第一歩での挫折」
(1997年4月執筆/1999年8月加筆)
大手企業の総合職採用ともなると、いきなり職場への配属にはなりません。まず、職場に置いても最低線邪魔にならない程度の基本的礼儀作法を叩き込むのが常識のようです。
1997年4月1日の入社式を終え、2日〜14日までは配属職種が不明のままの「共同研修」が行われました。この共同研修を終えると、いよいよ職種(営業、技術系、事務系など)が発表され、職種毎の専門研修が1ヶ月ほど行われ、そして5月末から本配属になるのです。
さて、まずは共同研修です。毎日数項目の授業を受けました。メニューは主に「ビジネス英語」「ビジネス・スキル」「ビジネス・マナー」の3本柱です。
初日前半に行われた「ビジネス英語」や「ビジネス・スキル」はまぁまぁ面白かったです。私が想像していたサラリーマン研修は、もっと泥臭いものだと思っていたのですが、そんなことはないのかも……。そう思って気を緩めた途端に、予想通りの……と言うか、予想以上の「サラリーマン研修」が始まったのでした。
──それが「ビジネス・マナー」です。
その時の私の日記を、ここに掲載しましょう。私の動揺が伝われば幸いです。ただし、この頃の私はまだ全然青い。最後に今から思う感想を加えておきます。
さすが研修! これぞ研修!! ビバ!研修! そんな講義がついに始まった……。大体、今までオカシかった。「研修期間」と言えば、私が大人しく受けていられる内容の筈がないと思っていた。なのに、語学、ビジネス・スキル共に講義など、面白くて面白くて「私もいっちょ真剣にキャリアウーマン目指そっかな……」と思わせるほどだ。こんな筈はないぞ……と思っていたのだが、その通り。メインはいつだって後の方に現れる。そして、私の言うところの「メイン」こそが、この「ビジネス・マナー」だったようだ。
1997年4月2日(火)
目礼は15度、3メートル先。「おはよう」「こんにちは」の中礼(敬礼)は30度、2メートル先。そして「申し訳ございません」「有り難うございました」の最敬礼は45度、1メートル先。
──お辞儀の角度と目線の位置の話である。「バカも休み休み言えッ!」と思うが、冷静になれば、休まれたってこんな事を真面目に言って欲しくない。
しかし現実はいつだって厳しい。みんな大真面目だ。少なくとも私にはそう見えた。
研修のクラス41人が全員起立し、見えない相手に向かってこの3種類のお辞儀の練習を繰り替えす。どうして暴動が起こらないのか、いっそ不思議なくらいの光景だった。言われるままに見えない誰かに「有り難うございました」と45度の敬礼をしている新入社員(注:私を含む)を客観的に見ていると、なにやら目頭が熱くなる。まぁ考えようによっては、45度の最敬礼の練習で、「申し訳ございませんでした」の練習をさせられなかっただけ、まだマシなのかもしれない。見えない誰かに訳もなく謝るなんて……、目頭が熱くなるだけでは済まない。そんなことを強要された暁には死にたくなってくる。
とにもかくにも、研修は進む。
身だしなみの講義は、辛うじて納得は出来た。いくら「服で仕事をする訳じゃない」と言ったって、人間は所詮、第一印象だ。講師はそんな内容のことを言った。それはそうだと思う。
しかし、この講師は一番大切なことを忘れている。第一印象はいずれ覆すことが出来るが、実力のない奴には覆すモノがない。それこそ「服が仕事をする訳ではない」のだから。
「そうは言っても、古い人達はやはり服装を気にするものなのよ」
この言い分も解かる。だが、やはり思うのだ。なぜ若者が古い体制に合わせる必要があるのか。時代の流れに合わせて、制度や風習を臨機応変に変えて行くべきではないか。100%変えろとは言わない。だが、少なくとも悪習と思われる部分を変えようとする努力をなぜしないのか。
何もGパンとTシャツで通勤させてくれと言っている訳ではない。やれ背広の色はどうのこうの、アクセサリーは控えめなものを、ストッキングの色はどうたらこうたら、長髪はなんちゃらかんちゃら……とか。そんな細かいことに目くじらを立てる前に、すべきことは他に沢山あるんじゃないの?と言うのが私の言い分なのだ。
結局、なんだかもう根本が違う。お互いの接点が見つからない。理解しようと言うのがそもそも無理なのかも、と痛感した。
そして講義は「正しい言葉の使い方」になった。この講義も、納得はいった。(と、言うよりも常識のような気がするが) 余り乱れた言葉を使われては、誰だって不愉快になるだろう。それは分かる。知識として知っておくのは悪くない。むしろこの講義で改めて教えられるほどのことなのか、という疑問の方が大きかった。謙譲語と尊敬語と丁寧語のテストで、8割取れていない人がいるのには驚きだ。この講義は、こういう人達のために設けられているのだろう。
必要な場面で必要な言葉を選ぶことが出来るかどうかは、やはり日頃から訓練が必要だと思う。ただ、既に常識としてあるものの講義を聴かなくてはならないのは苦痛だった。仕方ないのは分かるけど。
怒髪天だったのは「名刺交換」の講義だ。
どうしてこんな講義が存在することが許されているのか。私の理解できる範疇にない。言葉で説明するだけで充分な内容を、20歳を過ぎた大人を集めて、名刺交換の実演を何度も何度も繰り返すなんて。
「名刺は腰の位置より上で扱うのよ」――はいはい。分かった分かった。もーいーよ。……これ以上の感想は突いたって出てこない。しかし皆、イキイキと練習をしていた。本当は馬鹿らしいと心の中で思っている人もいたかもしれない。しかし、そう言った不満が顔に出ているのは私だけだったと思う。皆すまして授業を受けている。
「名刺はその人を表わすので、大事に扱うこと」
「名刺を受け取る時は右手から」
「名刺を見せられて初めて、ビジネスは動き出すのです」
「さぁ、みんなで実演してみましょう」
自分の方が間違っているのかもしれないと思うのはこんな時だ。どうして誰もシラけないのだろうか……。これがサラリーマンと言うものなのか。馬鹿馬鹿しいことを平然とやってのけるのが?
孤独だった。
その他にも「座順」「来客応対」「他社訪問」「テレフォンマナー」……口頭で充分な内容を、みっちり実演させられた。ここまで来れば、何でも来いだ。
心を麻痺させた方が楽なんだろうな、と頭の片隅で思いながら、それでも私の意識は冴え渡っていた。普通の人が唯々諾々と行っていることが、私には苦痛で堪らなかった。
最後に、この授業の感想を言うことになった。1分間スピーチの形式で、感想発表会が始まった。
期待していた訳ではない。しかし、この感想大会がなければここまで絶望もしなかっただろう。40人の感想はほぼ一色だった。
「大変ためになった。今迄の自分の行動を思い起こすと礼儀に反していて恥ずかしい。これからは頑張って社会人として気をつけようと思う」――おおいに気をつけてくれ……。それ以外に何が言えるだろう。
私の番になった。何も言うことはない。私は今日一日でほとほと疲れ切っていた。だからこんなことを言った。
「去年の十月頃、『ファーゴ』という映画を観ました。カンヌ映画祭で最優秀賞を取った映画です。優秀賞と言っても、所詮、選んでいるのはフランス人です。フランス人の選ぶ映画で、私の好みの話はありません。それでも観に行ってしまったのは、『ファーゴ』のキャッチフレーズが余りに私の心を揺さぶったからでした。そのキャッチフレーズが今日の感想にもなりました。ここでそれを紹介します。…………………教室は静まり返った。つまり私は、「バーカバーカ、こんなんみーんな滑稽なんだよっ!」というかなり攻撃的な一世一代の皮肉を言ったつもりだったのだが、講師が一言で私の渾身の皮肉を一蹴した。講師はつぶらな瞳を私に向けて、こう言ったのである。
――『人間はおかしくて、哀しい』
今日一日、このフレーズのことばかり考えていました。……先生、今日は一日有り難うございました」
「あら? 話が繋がってないわよ?」はぁ? バリバリ繋がってるやんけッッ!! そう思っても、他の新入社員の連中も、私が何を言っているのか分かっていないようだった。ある女子からは帰り際に「何が言いたかったのかよく分からなかった。急に思い出したことを言ってるのかと思った」と言われた。
皮肉や厭味は受け止めてもらえて初めて、その効果を発揮するのである。厭味が厭味として受止めてもらえなかった場合、それは刃となって自分に返ってくるのである……。この人たち相手に捻りの効いた婉曲な厭味を言うのは止めよう……。私はそう決心した。
その日、余りに悔しくて哀しくて、家に帰ってから泣いた。
ちなみに、帰りに「明日、飲み会をやります。欠席者は手を挙げて下さい」と言う連絡があった。勿論出たくない。しかし一人だけ手を挙げるのは勇気がいった。ので、解散になった後に幹事に「行かない」と言った。欠席者は私と、もう一人男の子だけだった。しかし彼は「行けない」のであって、私のように「行かない」訳ではなかった。
共同研修が始まって初日にして、私は孤独だった。
以上です。ふぅ……。
2年半前、23歳の私。青い。そんでもって、相当苦しんでいたようですな。
学生と言う自由な立場から、いきなり社会に放り出され、しかも「深く考えずに周囲に合わせる」ということがどうにも出来ない人種なもので……。まぁ、だからこんなHP作って同志を集めようとしている訳だしね……。許してやって下さい。
今になって思えば、このくらいのことはグズグズ言わずにサラッとこなせよ、と思う気持ちもありますが、でも自分としては、サラリーマン社会のこういう体質に身悶えるほどの嫌悪感を抱いている私の方が好きです。多少尖り過ぎている感がありますが、私はやはり、あれらの研修を見て呆れてしまうようなスタンスの同志が増えることを、今でも願っています。
自己弁護になるかもしれませんが、皆が皆、「これくらいなんでも無いよ」と思っているから、世の中変わらないんだと思うしね。「こんなのオカシイ」と思う人が少しずつ増えれば良いなぁ、と思います。
何にしても、過ぎ去ってしまえば大した事はない日々だったのですが。後に来る本配属の地獄に比べれば、この頃の苦しみなんてオママゴトみたいなものですし。結局、この研修も後半になれば大分自分の立場を確立して、そんなに苦しんではいないようですし。
それにしても言えることは、所属する場に自分を理解してくれる人がいるか、いないか、というのは、本当に重要なことだと思います。この研修が苦しく無くなったのは、慣れもあるのでしょうが、それ以前に一人の同志を見付けたからです。M上といいます。冷めた奴です。この研修内容を「馬鹿みたいだよね。子供じゃあるまいし」とアッサリ言い切った女です。しかしそういう感情を余り表には出さず、私がブースカ文句を言っている姿を見て、ようやく本音を吐いた、という大変オトナな人です。たった2週間かそこらの短い付き合いでしたが大好きでした。40人いる研修仲間で、唯一好きになった人です。
結局彼女は技術系に配属され、私は営業に……。
では、共同研修の後半を第2話にて。