1997年04月〜1997年09月

(1)大企業での地獄

会社概要
 会社名  N社  大手電気メーカー
 配属部署  東京**本部K部  正社員/総合職・営業
 従業員数  4万人以上?  デカすぎてよく分からん
 勤務時間  8:30〜17:15  定時に帰る人はいなかった……



 自分で言うのもなんですが、私は「人と上手くやって行けない人間ではない」と思っていました。誰とでも上手くやって行けるとは死んでも言えないし、多対1には馴染めなかったけれど、他者と1対1で向き合った時、平均以上には仲良くやって行くことが出来ると、会社に入るまではそう誤解していました。

 広く浅く友人を作ることはなく、狭く深く、がっぷり組んで友人関係を築き上げるタイプの私にとって、会社での薄っぺらな人間関係は苦痛以外の何物でもありませんでした。それまで私が人と上手くやって行くことが出来たのは、自分と似通った価値観を持つ人たちの間にいて、その中でも特に気が合いそうな人を選べるだけの余裕があったからなのだと、社会に出て痛感したのです。

 会社での付き合いは問答無用です。様々な価値観、様々な門地の人々の中で、私はこんなにも応用性がない人間なのかと絶望しました。それは「サラリーマン社会」への絶望と重なる面が非常に多いものでした。まるで価値観が違う人と話す。本音で話すことが出来ない。──そういう状態に置かれたことがそれまでなかったために、人より遅れて「当たり障りのない人付き合い」を学び直さなければなりませんでした。しかし日を追う毎に、私は思ったのです。
「それ以前に、ここには私の居場所がない」と。

 初めての就職、そしてサラリーマン社会への絶望が、よりリアルにお届けできれば幸いです。まずは第1話「サラリーマン第一歩での挫折」をどうぞ。

 追記になりますが、巻末付録の番外編「産業論文・あすの企業を考える」は、研修期間中に提出させられた課題作文です。42人の営業職新人から集められた論文のうち、N社の代表として選考で2名にまで絞られ、結局落されてしまった論文です。代表として選ばれた方の論文を読んでいないので何とも言えませんが、私の論文だってなかなか良い出来だと思います。(←ちょっと勢いつけて自慢してみました)
 ですが、どうして私の論文が通らなかったのかは明白です。こんなに企業のあり方に批判的な論文は、まず代表として選出されないでしょう。(いや、単に代表になった人の論文がもっと良かっただけかもしれませんが……) 最終選考まで残ったことを誉めたいくらいです。
 興味のある方はご一読下さい。



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