脱サラ肖像画−04
戸田奈津子
字幕翻訳者
(2000年3月5日/朝日新聞朝刊より転記)
あなたが選ぶ この人が読みたい 「外国映画の字幕翻訳をする戸田奈津子さんが憧れです」
映画配給会社にある、30席ほどの試写室の一番後ろ、机つきの椅子が字幕翻訳者の定位置だ。
主演はメリル・ストリープ。ニューヨークの街並みとともに、入りたての字幕が流れる。ほの暗い卓上灯のもと、戸田奈津子さん(63)は最終チェックを始めた。
めがねの奥の目がスクリーンと手元の原稿を行き来する。子役がユーモラスに話す場面では、手を打って大きく笑った。
あとで聞くと「いつもそうなんです。ミュージカルの時は体を揺らしているし、涙を流すこともある」
第一人者の字幕翻訳者は、熱烈な映画ファンでもある。
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華のある仕事だ。
その2日前、戸田さんは人気俳優のイーサン・ホークらと新作映画の披露記者会見に臨んでいた。担当した映画だと、こんな時の通訳もする。以前のつてやハリウッドの口コミで、来日する俳優、監督から指名されることも多い。
しかし、熱が最も入るのは、自宅の書斎での長くて孤独な作業だ。
作品の内容で仕事を選ぶことはない。宇宙空間、戦場、法廷、手術室、コンピューター企業、スポーツ、ベッドの中……。世の中のあらゆる場面、状況を相手にする。
作品の魅力を翻訳で損ねるわけにはいかない。「バックドラフト」のときは東京消防庁に取材し、「アポロ13」は宇宙飛行士の毛利衛さんにチェックを頼んだ。
字幕特有の制約もある。無理なく読めるのは1秒に3、4文字。いかに短い言葉で伝えるかが勝負だ。
英語ならすっと伝わるギャグや洒落に頭を抱えることもある。泣かせることは出来ても、字幕で笑わせるのは難しい。
「何度もビデオを見るのでしょう」とよく聞かれるが、通常は試写室で3回見て完成させる。
年間4、50本のペースで続けてきた。2時間作品で、報酬は3、40万円程度。本の印税と違って、ヒットしようがしまいが変わらない。
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「どんな勉強をすれば戸田さんのようになれますか」
ファックスをくれたA子さんは、映画好きの高校3年生。
英語のヒアリングのつもりで見ていて「うまい訳だなあ」と思う映画に、いつも戸田さんの名前があった。憧れの存在だ。英語を学ぶため、この春、東京の大学に進む。
A子さんが想像する戸田さんは「海外生活が長い、外国人のような日本人」。
実際の戸田さんには外国で暮らした経験はない。
学生時代は、ラジオから流れる英語の歌を何度も聴き、歌詞を書き取った。テープレコーダーも、生の英語を聞く機会もほとんどなかった。英語の教材や英会話教室が街に溢れ返る現在が想像も出来なかった頃だ。
「語学が出来ることはスタートラインでしかない。問われるのはむしろ日本語の力」と、戸田さんは言う。
言葉は動くから、常に引き出しを入れ替えたい。地下鉄では若い人たちの会話に耳を澄まし、雑誌の中吊り広告もヒントにする。
「彼女に預けておけば大丈夫」と、各社の話題作が戸田さんに集まる背景には、こんな真面目さあある。
「経験は良くも悪くも人間を作る。20歳の自分なら出来ない訳をしなければならないと思う」
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生後1年数ヶ月で、銀行員だった父が戦死した。9歳で終戦を迎え、翌年、疎開先の愛媛から東京・世田谷の自宅に戻る。
母と二人の生活に明るさを運んだのが映画だった。会社帰りの母と列に並んだ新宿の映画館。
高校に進んでからは、小遣いを溜めては3本立て、4本立てに通った。「第三の男」「天井桟敷の人々」「陽のあたる場所」……。胸高鳴る作品との出会いは重なった。
津田塾大英文科に進んでから、「好きな映画と英語を両方できる」字幕の仕事を意識し始めた。いったん生命保険会社に就職したが、諦めきれず1年半で退職した。
とはいえ、ノウハウもコネもない。第一人者の故・清水俊二さんに手紙を書いたが、いい返事はない。字幕は映画会社出身の限られた仕事で「門を叩こうにも、その門がなかった」。
翻訳のアルバイトを続けるうちに、清水さんの紹介で映画関係の翻訳、通訳の仕事が回ってきた。字幕に携わったのは1969年のことだ。
大きな転機は「地獄の黙示録」。撮影現場でフランシス・コッポラ監督の通訳をした縁で、無名の戸田さんに仕事が来た。初めての大作だ。
この時43歳。字幕作りを志して20年以上が経っていた。
各社から依頼が相次ぐのはそれからだ。
「ものすごいレイトスタート。人より半分遅れている。でも、好きなことをやるためだから後悔は全くない」
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映画に触れすぎなのかもしれない、という反省がある。
平日に通訳などの仕事が入る分、土日も書斎で仕事をすることが多い。半日空けば、やはり映画館に行く。
使い過ぎが原因か、3年前、両目を手術した。いま文字は右目だけで読んでいる。
息抜きは旅行。気の置けない仲間と美味しいものを食べること。ワインも日本酒もたしなむ。「強い」「明るい」「酔っても愚痴が出ない」が周囲の評だ。
80年代半ばに話題になったテレビドラマで、いしだあゆみさんが字幕翻訳者を演じた。「独身の恋多きキャリアウーマン」という設定だ。
当時、いしださんに相談され、戸田さんはいくつかアドバイスした。放映中から「字幕翻訳をしたい」「弟子入りしたい」という問い合わせが急増した。
「試写室でお弁当を食べたりボーイフレンドと電話で話したり。現実にはありえないんですけど」と首を竦める。
83歳の母と二人暮らし。家事はすべて母が引き受ける。
「結婚も離婚も、自分のやるべきことは、すべて映画にやらせてしまって。俳優と一緒でいろんな人生を演じている訳です」
映画を通して米国社会を見てきた戸田さんにとってこの40年間の大きな変化は、言葉が汚くなったことと、女性が自立したこと、という。
(文・井田香奈子)
【一言コメント】
夢は、諦めさえしなければいつか叶う可能性が残されている──43歳で夢を叶えた戸田さんは、しかしその幸運を流れに任せていたのではないのです。20年の執念、20年の情熱。そういう下地があったからこそ、彼女は夢を叶えることが出来たのです。