脱サラ肖像画−02

那須彰一(仮名)

人材関連会社コンサルタント

(1999年9月17日/朝日新聞より転記)


仕事の風景 50代の転機 「漂流」

■27年間7回の体験を生かし転職相談

 新宿・紀伊国屋書店近くの喫茶店。テーブルの上でカード電卓の表示板に青数字が光った。「1231」とある。
「一社平均の在勤日数はこんなところですね」
 那須彰一さん(50)=仮名=はこう呟いて、にやりとした。27年間に7回の転職。単純にならすと、一社の在勤は3年3ヶ月の計算になる。
 普通のサラリーマンの、転勤や配転のサイクルで、那須さんは自動車会社や商社など、超有名企業を渡り歩いた。

 いま、この「会社漂流」が武器である。現職は人材関連会社のコンサルタント。豊富な異業種経験を生かし、サラリーマンの転職の相談に乗る。20人を超えるコンサルタント中、就職させた率はトップだ。

 こんな人生になるはずではなかった。1972年、映写機メーカーに定期入社した。3年後、西独に駐在、すぐ結婚した。名古屋の信金理事を務める義父は若きエリートとの結婚を喜び、「会社人生は辛い。しかし、我慢だ」と自らの人生哲学を餞(はなむけ)とした。

 がむしゃらに働いた。中近東、北アフリカにも足を伸ばし、イラク等からも大量受注した。サハラ砂漠を歩き、エルサレムの丘に立ち、地中海に遊んだ。
 6年後、本社に戻った。今思うに、若き日の鮮烈体験が漂流の動機に繋がったのかも知れない。


■周期的に辞表、経済に応じ職種を選択

 いつのまにか身に付いた欧米風の合理的精神。仕事のためならと、家庭生活をなおざりにする日本の企業社会が疑問に思えた。何かと集団的に思考、調整型で独創性に欠ける雰囲気も好きではない。

 最初の辞表は、妻も反対しなかった。それどころか、転職先は妻が見つけた。自動車メーカーの海外営業員公募の新聞記事を見て、勝手に応募。千人の難関を突破して東京本社勤務に。
 社内の英語試験はトップクラスだったが、海外に出られず、うずうずする。「超一流の月給よ。7千円の社宅付きよ」と妻は猛反対、「我慢が足りない」と義父も不機嫌だ。
 しかし、次のカメラメーカーでは、月間優秀セールスマン賞を獲得する活躍。それから周期的に辞表を書いた。職務経歴書を見せながら、那須さんが言った。

「闇雲の転職のようで、筋が通ってるんです。ほら、最初の3社は輸出全盛期、次は輸入全盛期、今、不況対応業種。日本経済の動きに合っているんです」


■50代求人に30代の待遇、指導辛い

 10年前、電子機器メーカー系列の人材斡旋会社に派遣され、半導体の若い技術者を専門学校から採用したり、零細企業から引き抜いたりする仕事で年間最多入社の実績を上げた。
 その後、財閥系大手商社に入った後、職探しで今の会社を訪れ、その場でスカウトされた。
 転職指導を受けたクライアントが必ず口にする言葉がある。

「どうしてそんなに私の気持ちが解るんですか?」

 指導は「過去の会社人生は忘れ、冒険心と好奇心を持って前向き人生を」という精神サポートに徹する。今では、義父の弟からも相談される。

 今の時代はしんどい、と嘆く。50代の豊富な経験と技術を、30代後半の給与・待遇で買う求人市場。同世代の仲間にその覚悟を迫る転職指導が辛い。
 「じゃ、また転職を」と尋ねると、ふふふ、と笑った。人材系の業種は、世が不況リストラで泣く時がバブル期だ。一方で、景気は上向いて欲しい。米国では不況時に2千社あった再就職支援会社が半減した。

「でもね、今、家内と郊外に落ち着く住み家を考えているんです。だから、どうですかねぇ」

 8通目の辞表を果たして書くのかどうか、定かではない。



【一言コメント】
 サラリーマン社会のど真ん中に生きながら、精神的に脱サラしてしまっているこの生き方。これもひとつの理想形でしょう。




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