日常エッセイ−31

「駄目映画に見るプロの技」

(2001年1月2日執筆)



 過去のエッセイ(No.15「G.I.ジェーン」にも書いたことがあるが、私は「筋金入りの映画好きには負けるが、単に映画が好きという人には勝る程度の映画好き」である。この積極的消極性は私の人格をよく表していると思うのだが、それについては新世紀幕開けに相応しくない話題なので、この際脇に置いておく。
 とにかく、私は映画が好きで、まぁまぁ頻繁に映画館に足を運ぶ。去年観た映画が45本ということを考えれば、大雑把に言って、月に3〜4回は映画を観ていた計算になる。映画好きの仲間に入れてもらっても構わないレベルだろう。

 どんな映画を観るのか──これもまた同エッセイに書いたことがあるが、手当たり次第になんでも観るというのではなく、事前のリサーチを怠らず、内容的にハズレのなさそうな作品や、単館上映系の地味な作品を好んでよく観ている。
 去年は例年に比べ良い作品に巡り合える確率が高く、映画という観点でのみ人生を追えば、2000年は幸福な年であったと言える。正月に観た「シュリ」に始まり、GWに「エクストリーム」、初夏に「サルサ!」「クレイジー・イングリッシュ」「フォーエバー・フィーバー」と3本連続で当たりに見舞われ、その後、中ヒットのみが乱立し、感動曲線が凪に入り、冬が間近に迫ると、これでどうだ!とばかりに「チャーリーズ・エンジェル」「初恋のきた道」「リトル・ダンサー」と大当たりに見舞われた。20世紀の締めとなった「ペイ・フォワード」も、なかなか良い映画だった。

 ここで話を一瞬だけ大筋から逸らすが、私は映画を正規料金(1800円)で観ることは余りない。実例を挙げれば、去年1年間で正規料金で観た映画は1本、「シックス・センス」だけだった。他の映画に関しては、金額の高い順に、前売り券(1600円)、チケットショップ(1560円)、ペアチケット(1500円)、金曜サービスデー(1300円)、映画サービスデー(1000円)、水曜レディースデー(1000円)、映画館に特化した割引料金(900円)、試写会……といった手段で観ている。更には、内訳の半分以上が試写会なので、「映画を観るのに4桁の金額を払う」ということに抵抗があるのである。

 理想を言えば、真の映画好きなら1800円程度ケチケチせずに、良い環境──大音響に大画面、ゆったりシートで映画を楽しむべきかもしれないが、私にとって1800円の出費は大きいし、この金額への拘りで映画ファンの真偽を問われるのであれば、私は偽で構わないと思っている。それほどに、1800円の壁は高い。
 勿論1800円という出費に見合うだけの映画に当たった場合は、この程度の額を高いとは思わない。素晴らしい映画には、私の労働2時間分くらいの価値がある。しかし哀しいかな、1800円の出費が気にならない程度の当たり映画は、そうたくさんある訳ではない。

 話を戻そう。──いかん。戻すと言ってもまだ始めていなかった。話を始めよう、だ。
 今日の本題は、本日観に行った……つまり、今年&今世紀に初めて観た映画である「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」についてである。
 手当たり次第になんでも観るというのではなく、事前のリサーチを怠らず、内容的にハズレのなさそうな作品や、単館上映系の地味な作品を好んでよく観ている。
という前述の己の発言を自ら覆しているようだが、インド映画の大ファンである私としては、俳優が駄目でも、脚本が駄目でも、作曲とダンスの振り付け、バックシンガーとバックダンサーが本場レベルであれば構わない!……と思っていたのだった。
 既に文章が過去形であることからも、その後の展開が伺えるだろうが、取り敢えず話を進めさせてもらおう。

 どこから何を書いて良いのか、気持ちの整理が上手く出来ないので、まずは今現在(鑑賞から4時間後)のホットな感想を端的に書き記してみよう。

金と時間を返せ。

 「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」を見た感想は、この一言に尽きる。
 とは言え、映画のタイトルを明かした時点で、一気に雲行きは怪しくなる。

見に行く貴様が悪い。

 こんな端的な一言コメントで勝負(何の?)が付きそうで恐い。

 誤解を恐れず書き連ねるならば、この映画の酷さは、「そりゃ私も悪かったけど……」と思わず口を尖らせて、ヒールの踵で地面を蹴るくらいのジャスチャーでは足りない程、真っ向勝負(だから、何の?)で酷い。
 眠くなる映画だとか、つまらない映画だとか、数多くはないが少々は観てきた。しかし、この映画は眠くなるどころか逆に眼がランランとしてしまい、つまる・つまらんという範疇にさえなかった。最も近い感情は「腹立たしい」と「嘆かわしい」の中間と言ったところか。

 酷い要素はいくらでもある。
 台詞が棒読み。ヒーロー&ヒロイン共に魅力(華でもいい)がない。脚本がお粗末。そのお粗末な脚本を商品化できるほどのパワーも感じられない。悪ノリにもおふざけにも切れがなく(天山と宍戸錠は除く)、全てが中途半端。唯一の救い(もしくはインド映画風にした意味)であるミュージカルシーンも、歌と振り付けが良くても画面一杯に広がる主人公の鈍い動きと拙い表情を観ていると、全てが減点の対象になる。ウリナリのメンバーが出てこなかったミュージカルシーンが一番マシだった、というのが、この映画のスタンスを見事に表している。
 とにかく見ていて痛い。この痛さは、「G.I.ジェーン」のものとは、また趣が異なる痛さである。

 恐らく、この映画を試写会などで無料で見ていたら、また感想も変わってくるのだろうが、こともあろうに私はこのクソ映画を、滅多に支払わない正規料金1800円で、しかも私が知る限り最悪と思われる映画館(※上野の映画館を除く)、銀座シネパトスで見たのである。
 このような最悪の展開は、細々とした要素が重なっての予期せぬ結果である。
 どうでもいいと思っていた映画だったので、元旦の映画サービスデーに見る予定だった。当然、前売りは未購入だった。予定が1日ずれ、正規料金を払うのが嫌で、2日から開いているチケットショップを探しまくったが、どの道、前売り券はなかった。それでも諦めきれず、映画館に問い合わせれば、そもそも前売り券など発行されていないという事実が発覚した。こうなればもう諦めるしかない。
 見る場所だって選ぶほどなかった。渋谷か銀座か、2館でしか上映されていなかった。土地柄が苦手な渋谷を取るか、映画館が酷い銀座(シネパトス)を取るか……。上映時間の都合で、銀座シネパトスを選んだ。2年前、「ラヂオの時間」を観た時に利用し、「2度とココには足を運ぶまい」と心に誓っていた映画館だった。誓いを破ってしみじみ思った。
 心に誓うほどの出来事には必ず理由がある。詳細を忘れてしまっても、誓いは守るべきだ。
 ──そう、銀座シネパトスは、営団地下鉄日比谷線の走り抜ける音がよく響く映画館だったのである……。

 1800円払って、とんでもない駄作を1時間40分掛けて、電車が軽快に走り去る音をBGMに、前の席には座高の高いお兄サンをお招きしての映画鑑賞だ。ある意味、演出はバッチリだった。「完全無欠、逃げ場なし!」という感じだ。
 このような流れから、私の感想はかなり厳しくなっていると思う。多分、モーニング娘。主演の「ピンチランナー」の方が、「お前らがピンチじゃ!」とツッコミを入れたくなるほど駄目さ&痛さ加減ではきっともっとずっと上を行っていると思うし、見てもいないクセに2000年のワースト1位と断定しているのだが、こんな燦然と輝く目映いばかりの100%駄作はそもそも見ないので、ウッカリ見てしまった「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」には気の毒だが、つい攻撃の矛先が向けられてしまうのである。

 もとを正せばバラエティ番組出身の、しかも「ムトゥ踊るマハラジャ」のパクリとして生まれたナンチャッテ映画である。役者も脚本も製作期間も、言わば全てがナンチャッテだった。ただ料金だけがナンチャッテじゃなかっただけの話だ。見に行こうと思う方が悪い。それは承知している。だが、この映画をウッカリ見て、私はそれまで何気なく見ていた映画の素晴らしさを再認識した。
 要するに、プロが何たるかを再確認したのである。

 見ていて頭を抱えたくなるような映画など、吐いて捨てるほどある。しかし、日本で放映される映画は、輸入物である場合、間に映画会社が介入するため、商品にならないほどの駄目映画は、公開されないケースが多いのだろう。プロである筈の映画会社が日本上映を認めたにも関わらず、こちらが閉口してしまうような駄目映画は、著名な監督の作品であったり、人気俳優主演の作品であったりする。要するに、作品自体の質が悪くても客は呼べる=商品として成り立つので、上映を押し切ることが可能なのだろう。
 さすがと言うべきか、著名な監督の作品や、人気俳優が出演する作品は、駄目だ駄目だと思っていても、しょせんはレベルが高い。期待が高いために評価が厳しくなり、それゆえに「駄目」の烙印を深々と刻まれるのだろうが、ナチュラルな「駄目」を観た後では、しみじみと「プロって凄い」と思わざるを得ない。
 そういう意味では、久し振りに「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」のような白黒ハッキリしたアマチュア駄目映画を見て良かったと思う。今まで「ちっ! 外した!」と罵っていたインド映画に対してさえ、優しい気持ちになれるからだ。

 プロは凄い。そして、プロは大変だ。常に素人からの厳しい批判に曝されて、「なら貴様がやってみろ!」と毒吐きたくても、「アンタはそれで食ってるんだろ」と切り返されればぐうの音も出ない毎日を送らなくてはならない。彼らのやることがスマートであればあるほど、その技は「簡単そう」に見え、「私にも出来そう」と誤解され、挙げ句の果てに失敗でも仕出かそうものなら、何の努力もしていない私のようなド素人に駄目出しされる。
 「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」だって、恐ろしく短い製作期間を考えれば、ウリナリメンバーだからこそ、映画をあのレベルにまで引き上げることが出来たのかもしれない。一般人を主人公に挿げ置いて、さぁやってみろと言ったところで、「それは企画ものとして成り立たないから不可能」という以前に、精神的、物理的に無理な可能性が高い。
 ウリナリメンバーは映画俳優としては完全に素人だと言えるが、バラエティタレントとしては、やはりプロなのだろう。歌が下手でも踊りが下手でも演技が下手でも、映画館に人を呼び、金を取れる。これこそがバラエティタレントに求められているものなのだから、これはもうプロの技としか言いようがない。
 ただ、映画監督の大森一樹が、それこそ「プロとして」、あの映画を世に送ることを恥ずかしいと思わなかったのか……という意味では、依然として「嘆かわしい」映画と言えるのだが。


 話は映画から逸れるが、プロの技を再認識した出来事が最近あったので紹介しておく。

 去年末、私は世界的なベストセラーになっている「ハリー・ポッター」シリーズを読み、まんまとその世界にハマった。今では続刊が翻訳されるのを心待ちにしているファンに混じって、次はまだかと本屋の「ハリー・ポッター」コーナーを定期的にウロついている。
 しかし、身近なところで友人Zはハマらなかった。彼女は言った。
「あれは原作がそうなのか、翻訳がマズイのか……文章が受けつけないんだよね……。あの訳者、下手なんじゃないの? って言うか、もともと通訳やってて、翻訳家じゃないんだよね?」
 うんうん、ちょっと分かる。分かるがしかし、まずはこれを読んで欲しい。「ハリー・ポッターと賢者の石」の初めの文章(原文)である。


 Mr and Mrs Dursley, of number four, Privet Drive, were proud to say that they were perfectly normal, thank you very much.


 難しい単語など全く出てこない、物凄くシンプルな文章だと言うのに、私はコレが上手く訳せないどころか、「of number four」や「thank you very much」をどう扱って良いのかさえ分からなかった。当然、この文章に適当な訳文を付けることが出来なかった。英語が得意な人ならどうと言うことはないのかもしれない。しかし、私にはこの文章の明確な訳がサッパリ分からなかったのである。
 本屋で原書と翻訳本の両方が並べられて売られていたので、友人Zにこの原文を見せ、その場で翻訳を迫った。──彼女も駄目だった。
 私はおもむろに、原書の隣に置かれた翻訳本「ハリー・ポッターと賢者の石」を開き、正解を見せた。

(※解答は、下の枠内を選択or反転させると見ることができます)
 プリベット通り四番地の住人ダーズリー夫妻は、「おかげさまで、私どもはどこから見てもまともな人間です」と言うのが自慢だった。


 本を閉じて、友人Zの反応を窺う。
「……………………やっぱ、プロって凄いよね」
 それが、友人Zの答えであった。

 プロは凄い。知れば知るほどそう思う、奥床しい気持ちに満ちた新世紀幕開けである。それを再確認させてくれた「ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説」には、感謝しなくてはならないのだろう……か。その辺りの言及はしないでおこうと思う。



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