日常エッセイ−29

「行け、ひろみGo!」

(2000年9月4日執筆)



 ひろみGoのファンの方には誠に申し訳ないと思うが、私は郷ひろみのことを馬鹿だと思っている。そしてファンの方には畳み掛けるようで申し訳ないと思うが、そう思っている人間は大勢いると思っている。
 ここまで言っておいていきなり媚を売るようだが、私は郷ひろみのことを尊敬している。
 ──相反するようだが、これらはすべて紛れもない本心なのである。

 大体、生粋の日本人のクセに名前の一部を英語に置き換えても違和感がないばかりか、意味さえ通ってしまうような人間は、もはやそれだけで凡人の域を軽く脱していると、私は考えている。更に言えば、名前だけで笑いを取るというその強烈な個性は、鳴かず飛ばずで名前を覚えてもらうために必死に奔走するお笑い芸人にとって、垂涎モノのバックグラウンドだろう。

 私の中では河村隆一と郷ひろみは同じ分類に属す、いわゆる「キャラクターそのものが企画モノ」なのだが、あのお馬鹿なキャラクターがナチュラルに溢れ出る天然馬鹿なのか、意図的に狙った調整馬鹿なのか、少々気になるところではある。
 しかし天然だろうが調整していようが、馬鹿は馬鹿。中途半端な馬鹿は醜いが、あそこまで突き抜ければいっそ清々しいし、中途半端に小賢しい人間よりも、よほど潔く輝いて見える。既に本人さえもが「郷ひろみ」を演じているのではないかという疑惑すらも、その職人芸の域にある徹底した馬鹿振りを前にすれば、どうでもよくなる。

 そんな訳で、普通に生活していると存在すらも忘れるが、一度視界に入るとついその一挙手一投足を見守ってしまう郷ひろみが、またしても「俺は君たち庶民とは違うんだよ」と言わんばかりに、そのスター性を発揮して下さった一場面をご紹介しよう。
 29歳のN.Y.育ちの令嬢と再婚することになった郷ひろみが、先月末の高知公演で1500人のファンを前に言った台詞である。


「俺だってさぁ、あんな新聞にバーンと出る前に、自分の口で皆に知らせたかったよ〜。これだけは皆に言っておきたい。原武裕美(※郷ひろみの本名)は結婚する。でも、郷ひろみは結婚しないよ。1日24時間のうち、郷ひろみでいる時が23時間55分で、原武裕美でいるのは5分なのよ」

 思わず全文を太文字に修飾してしまうほど、すげぇ独白だ。1500人の人間を前に、こういう台詞を臆面もなくしゃあしゃあと言ってしまえるその豪胆さに轢かれ……おっと、惹かれずにはいられない。文句ナシにカッチョイイ。
 結びに「よ」が乱立しているにも関わらず、オネエの印象はなく、郷ひろみはどこまでも郷ひろみだ。彼の一言一言が「郷語」として確立した言語であり、他の追随を許さない独自性を放っている。
 「郷が郷語で豪胆に豪語する」──しがない凡人の私は混乱を極め、思い余って言葉遊びなんぞを仕出かしてしまいたくなるのが関の山だ。

 他人の真似を好み、人のアイディアを簡単に盗んだ挙げ句にそれを自分が考え出したかのように振舞う人たちが溢れ返る中で、郷ひろみは誰からも影響を受けず、また誰にも真似を許さない。郷ひろみの真似をする人は、その所在が郷ひろみにあることを主張し、自分が「郷ひろみの真似をしている」ということを明確にせざるを得ない。郷ひろみの所作は郷ひろみに所有権があり、迂闊に真似をすれば痛い目に遭うからである。この場合の「痛い目」とは、つまり「馬鹿というレッテルを貼られる」ということにある。このレッテルは、凡人には荷が勝ちすぎる。郷ひろみだからこそ、このレッテルを何の気負いもなくスマートに着こなせるのである。

 さすが、40歳を過ぎて全国ネットで「アッチッチ」とくねり、更にはチョンマゲ代わりに舞茸を頭に飾る雪国舞茸のCMを引き受けるだけの度量を持つ男は違う。彼の真似はできないし、したくもないが、目が離せないほどのこの存在感! 目映(まばゆ)いばかりのオリジナリティは、個性の弱い日本人が見習うべき理想の姿ではないか。

 どこまでも行け行け、ひろみGo! 行く手を阻むものは何もない! 皆が貴方に釘付けだっ!!



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