日常エッセイ−08
「手帳に綴った一番目立つ文字」
(1999年1月執筆)
自慢ではないが、私は2歳年上のたった一人の兄妹である兄と猛烈に仲が悪かった。たまに「兄弟仲が悪くて……」などという話を聞くが、そのどのケースもウチよりはマシと思わせるほど、私と兄の仲の悪さは深刻だった。母が「おちおち死ねない」理由の筆頭に、「アンタたちがそんなに仲が悪いんじゃ……」という言葉が上がるほど、自他共に認める犬猿の仲というヤツだ。
幼い頃は取っ組み合いの喧嘩も多かったが、私が中学生になる頃にはそんなこともなくなった。喧嘩をするほどの接点さえもなくなった訳である。ここ数ヶ月、会話をしたことがないという状況も別に珍しくなく、顔もまともに合わさないため、道ですれ違っても気付かないこともあった。
勿論、生まれた時から兄妹仲が悪かった訳ではない。長い歴史と積み重ねられたエピソードから、当然の結果として深い溝が生まれたのである。
初めに溝を作ったのは私の方だ。私は中学に上がる頃から兄の存在を徹底的に無視した。兄は私の存在をとても意識しており、私が無視する度にいつも寂しそうだった。私も理由なく兄に冷たくなった訳ではない。小学5年頃から高校までの約6年間、兄は母に軽い暴力を振るうことが多く、それが私には許せなかった。暴力といっても殴るというより打つ程度のものだったが、私にとっては母に手を上げるのは絶対に許せない行為だった。
後に母から聞くところによると、兄は学校でイジメのようなものに遭っており、その苛立ちが母に向けられていたのだという。兄は甘えから母に当たっていたに過ぎないだろうが、繰り返される日常が、私と兄の溝を決定的なものにしてゆくのには充分だった。母は兄に弱く、兄は私に弱く、私は母に弱い。家庭内の複雑な力関係である。
兄は頭こそ良かったが、中学受験に失敗し、区立中学校に入学した。人と同じことが出来ないため、孤立することが多く、中学、高校時代はあまり良い思い出ではないようだ。
大学は早々に受験勉強を投げ出し、専門学校に行った。私は末っ子の要領の良さで人と衝突を起こすこともなく、中学受験に成功し、大学もそこそこの学校に受かった。精神的にも立場的にも、兄と私の溝は熟成されて深まり、今後とも彼との関係の修復は不可能だと思った。
兄は社会人になっても自分のことをろくにせず、暴力こそ振るわなくなったが、母に当たるのは相変わらずだった。私も相変わらずそんな兄を軽蔑し、無視し続けていた。無理をしている訳ではなく、本当に彼の存在は私の世界になかった。
そんな兄が、去年、一念発起して会社を辞め、N.Y.に留学した。人と同じことが出来ない彼だが、専門的な分野では一流の才能があった。それはずっと前から分かっていた。
兄が出発する日、私は別に何も声を掛けなかった。飛行場へも見送りに行かなかった。だが兄は、家を出る前に私に向かって「行ってきます」と言った。
私の’98年の手帳の6月22日の欄には、大きな文字で「兄、旅立つ」とある。
それから1年の歳月が経つが、今ではウチに電話を掛けてくる兄と、1時間も無駄話をするようになった。これは以前からは考えられないことである。
兄はN.Y.で大学院に編入し、予想以上に上手くやっているようだ。話し方も随分と穏やかになっていた。私が就職などで色々上手く行っていないことを知ると、遠い異国の地で心配していた。10年前と立場は逆転してしまっているが、それはそれで喜ばしいことだと思った。あとは私が追いつくよう、努力すればいい。
兄の旅立ちは、兄妹仲の修復という大きな収穫をもたらしたのだった。