日常エッセイ−03

「1994年 夏の陣」

(1995年8月執筆)



 誰が忘れてしまっても、私は鮮明に覚えている。’94年の夏は地獄だった。人間の体温を上回る気温に、ヒトが耐えられる訳がない。
 あの頃「夏は暑くて当然。アタシはそんな夏が好き」などと言うギャルが不注意にも私の前に現れようものなら、きっとためらいもなく殺していたのではないだろうか。それくらい’94年の夏は私の心に大きな傷跡を残している。

 ’94年7月15日、我が家のクーラーが突然故障してしまった。
 たかだかクーラーが故障したくらいでガタガタ言うのも大人気ない、「あらそう」で済ませるのが都会の女ってヤツじゃなかろうか。そう思って文句も言わなかった。結構良い奴である。そんなことはどうでもいい。そうではなくて、問題は「あらそう」どころではなかったところにある。

 ウチのクーラーは屋上に大きなファンが一つあり、それを作動することによって各部屋に冷気を送っていた。企業などが取り入れる方式ではあるが、家庭用には適していない。家族の誰か一人だけが暑さを訴えても、作動しないのが基本だった。ちなみにその一人が父であった場合、難なく作動した。いや、こんなことが主題ではない。つまり、我が家には1部屋に1つ、合計6つのクーラーがあったが、ファンはたった1つだった。
 ──そして故障したのはファンだった。
 今のご時世、1部屋に1台のエアコンがついているというのが標準的と思われるが、ウチはとことん古かった。故障したファンも古かった。摩耗した部品は既に販売中止になってるモノだったのだ。取り寄せには2〜4週間掛かると言う。

 ──’94年夏の陣はこの日を境に始まった。

 初めの1、2日は、家族全員文句を言うだけの気力があった。実際、暑さのために神経は休まらず、いつもピリピリしていた。
 ご飯も固形物は喉を通らず、迂闊に粉っぽいじゃが芋などが出てこようものなら、兄と父が寄って集って母を糾弾していた。私は母を助けるだけの気力もなく、だからといってウチの男どもの無神経さを無視できるほど達観しているわけでもなかった。そんなに文句があるなら喰うな、とか、自分で作ってみろ、とか心の中で密やかに母の味方になってみたものの、母が感謝してくれる訳がない。私自身、この心の中での突っ込みが何の効果を生むわけでないことは承知していて、ただイライラだけが着実に募っていった。

 実は、摩耗してしまった部品の取り寄せに2〜4週間掛かると分かったのは、ファンが故障してから3日ほど経ってからだった。つまり、非難ゴーゴーだった初めの数日は、この事態がどれだけ続くのか分かっていなかったからこそ非難ゴーゴーだったのだ。
 どうせあと数日で元の生活に戻れるのだからという思いは、人に怒れるだけの余裕を与えるらしい。カップ麺の出来上がり時間は人間が待てる限界を心理的、統計的に分析した結果3分と定めたらしいが、エアコン会社は人間が怒る気力を失う限界を3日と定めていたのだろうか。エアコン会社からの連絡を受けても、湧いてくる感情は絶望だけで、怒りではなかった。
 2〜4週間というと、8月半ば頃までこの生活を続けろと言うのか。冗談じゃない。
 ……そして本当に冗談ではなかった。

 ウチには扇風機がなかった。クーラーがあるから当然と言えば当然だ。しかし、そのクーラーがない今、扇風機を買ったっていいじゃないか。そう思う私はもやしっ子なのだろうか。
 母はともかく、父は扇風機を買うことを許さなかった。2週間くらい我慢しろと言う。「2週間じゃねーよ、2〜4週間だよッ」と心の中で突っ込んだが、結局扇風機は購入できないであろうことが察知された。我が家において、父の決断は絶対なのだ。

 こんな横暴な父だが、この間何もしなかったわけではない。エアコン会社に早く部品を取り寄せるよう電話をしたり、部品が入り次第行なわれる工事費用を値切ったり。行動力は人一倍ある父だが、物事の解決と言う観点から見れば、見事に役立っていない。職人さんを怒らせたことも1度や2度ではない。
 総合的に見て、父が何かしでかすよりも、何もしない方が早く穏便に済んでしまうような気がする。なにぶん大掛かりなことで父が口を挟まないことはないので、比較することもままならない。

 そうこうする内に7月下旬となり、暑さは熾烈を極めた。もうこの頃のなると、夕飯は米少々と冷えたトマトと冷えた豆腐だけで、味噌汁の代わりに冷たい麦茶が並べられる。じゃが芋が迂闊に登場した7月中旬の食卓の面影はなかった。
「この夏のグルメは塩よりもしそドレだよね、ふー暑ゥ……」などという不毛の会話が思い出したように飛び交う。ワンフレーズ喋るだけで句読点と同じ数だけの「暑い」という単語がちりばめられているが、これはもはや仕方がないことだった。

 家中の窓と言う窓が7月15日を境に全開したままとなっていたが、風通しは劣悪だった。本当に風が吹いているのか疑いたくなるほど、家の中には風が吹き込んでは来ない。団扇を使っていたのも初めの4日ほどで、20日を過ぎる頃には団扇を動かすだけの体力が残ってはいなかった。
 たった4日、と思うかも知れないが、休憩なしの4日はつらい。4日と言えば96時間である。96時間と言えば5760分で、5760分と言えば345600秒なのだ。この間、暑くない時がないのだ。もう体力は限界に来ていた。

 日中の熱気はブラインドを降ろすことで防いでいたが、ブラインドを降ろしてしまうと悪い風通しが更に悪くなる。また、昼の間に熱気を吸収するだけ吸収したコンクリートの壁面は、夜になるとその熱を家の内側に放出してくれた。我が家の夜は、外よりも常に2度ほど高かった。摂氏2度を侮ってはいけない。人間は1、2度の違いを敏感に察知することが出来る生物なのだ。

 当然のように根性の無い私の生活は乱れた。自分の部屋ではブラも着けず、シャツだけ羽織ってふらふらしていた。窓を全開しているため、裸になれなかったのが最後の歯止めだ。
 シャワーもパイロットなど点けずに水のまま浴びる。風呂桶に水を張り、冷たいのを少し我慢して浸かる。水風呂から上がれば5分と経たないうちに汗だくだ。今のうちに涼しい思いをしておきたい。

 勿論、家にはなるべくいないようにした。何処でもいい、家以外であれば郵便局だって構わない。今時冷房が効いていない公共施設などありはしない。朝の10時から夕方の3時まで、本を抱えて近所の銀行に入り浸ったこともあった。ファーストフードでも構わなかったのだが、クーラーが直るのがいつになるか分からない今、今後に備えていらぬ出費は避けたかった。7月上旬にあった水泳部の夏合宿で、私の予算は底を突いていたのだ。
 考えてみれば、1週間の夏合宿を終え、心身共に疲れきっていたときから始まった夏の陣である。人より先にダウンしても当然ではないか。そんなことを考える場所さえも、駿台予備校の自習室だった。家ではまともに思考が働かないからだ。

 日中どんなに逃げ回ろうとも、夕方には家に戻らなければならない。昼間の熱を溜め込んで、さぞかし我が家はホットになっていることだろう。5時を過ぎる頃には、外よりも家のほうが暑いのだから堪らない。
 家に帰ると、もうすることがない。ただ生きているだけでかなりの体力を消耗するのだ。サウナの中ではジッとしているのが通常だが、丁度そんな感じだ。仕方がないので自分の部屋のベットに仰向けになって寝転がる。蒲団に密着している首から背中に掛けての部分が暑い。じっとりと汗が噴き出してくる。堪らなくなってうつ伏せになる。クソゥ、やはり暑い。また仰向けになる。この繰り返しだ。
 窓を開けているにも関わらず、部屋の温度は37度だった。

 だんだん自分の置かれている状況が滑稽に思えてくる。不意にゲラゲラ笑ってみたりもした。周りに人がいたらギョッとしたことだろう。そのくらい真剣に気が触れた振りをして、一人で遊んでいた。猛暑の中ではこんな遊び方しか浮かんで来ない。一通り笑うと疲れてしまって、今度は腹立たしくなってくる。挙げ句の果てには「チョットォ〜、神様ぁ〜、どーゆーつもりィ〜〜。何でこんな目にあわせるのォ〜〜、聞いてるゥ〜、返事くらいしたらァ〜〜」と見えもしない神様に喧嘩まで売り始める始末だった。
 この時の私は、ちょっとイカレテいたのかも知れない。ただでさえ人間とは極限状態になると何をしでかすか分からないのに、私は素面でさえ何をしでかすか分からないのだ。

 7月24日、私はついに自腹を切って扇風機を買う決心をした。
 もうだめだ。耐えられなかった。
 炎天下の真っ昼間、秋葉原に扇風機を求めて立ち寄った。流れる汗も気にならない。

 夏の秋葉原はちょっと灼熱だ。店内を必要以上に冷やすため、建物は外に反動の熱を吐き出す。道路はその熱で充満している。普通以上に暑い道路をさ迷いながら、家よりも暑いこの状況にちょっと嬉しくなったりもした。どういう精神構造なのか、自分でも分からない。周囲を歩く人々が汗だくになっているのが心地良かった。皆だって暑いのね、うふ。という心境だったのかもしれない。
 しかし私は人よりリードして暑い空気に苛まれているのだ。たった今だけが暑い彼らとは違う。変な特別意識も相俟って、暑い道路をさ迷うのにはすぐに飽きた。とにかく、店内に入ってしまえばウチよりも涼しいのだ。私は手頃な店を選んで店内に足を踏み入れた。

 ──涼しかった。パラダイス……という言葉が、何の脈絡も無く私を襲った。♪このままずーっと、ずっ〜と♪ここにいたいくらいだ。扇風機を選ぶ振りをしながらヒンヤリした空気が流れる店内をうろつき、私はご満悦だった。
 いざ扇風機を選ぶ段になると、涼むことよりも安くて良いものを買うことに気持ちを切り替える。ここまで追いつめられていても、値切ることは忘れない。しつこくしつこく安い扇風機を求め秋葉原を何巡もした。歩き回ることは苦痛だったが、店内に入ってさえしまえば涼しいのだ。家にいるより全然快適だ。
 結局、値切りに値切って、店頭の傷物現品限りのセール品を更に安値で買い取った。そうして念願の扇風機を手に入れたのである。

 家に帰ると、シャワーを浴び、早速扇風機を組み立てる。つい先程シャワーを浴びた筈なのに、扇風機が出来上がる頃には汗だくだった。
 出来上がった扇風機は、時代遅れの私には馴染みのない風貌をしていた。私は風を送る機能さえあればそれで構わなかったのだが、今の時代、そんなシンプルな扇風機はないらしい。強中弱に加えて 「リズム」なんていうボタンまであった。勿論首だって振ってみせる。御託はいいから、とにかく風を送ってくれ、と勇んで強のボタンを押した。
 ──何と言うことだ。私は思い違いをしていた。扇風機を買いさえすれば涼しくなるなどと思った私が浅はかだった。暑い空気を風として送ったところで、暑い空気は暑いままなのである。

 生ぬるい風を嬉々として送るハイテク扇風機を前に、その夜、私はちょっと泣いた。

 8月上旬、暑い熱帯夜に耐え切れず、私は友人宅に泊めてもらうことにした。家族を捨てて1人だけこの状況から逃げようとした訳だが、卑怯だとは思わない。父は早々に会社にあった扇風機を自分の部屋に持ち込んでいたし、もとから父の部屋だけ比較的風通しが良いのだ。母は一人旅の計画を立てていた。兄は帰ってこない日もしばしばあり、それぞれがそれぞれにこの状況から逃げていたのである。

 柏にある友人宅はパラダイスだった。彼女の部屋にはエアコンがあり、私は見たこともないようなハイテクリモコンを渡された。リモコンには温度設定から強弱設定、風向き設定に果ては「ナイティ・パワフル」選択機能まであった。「ナイティって何? ナイティってっ?!」と訳も分からず興奮し、こんな高等なリモコンは操れぬと、彼女に選択権を譲った。ウチのクーラーには電源と強弱切り替えスイッチしかない。
 ここに来て初めて、ウチのクーラーの部品が絶品になってしまっていることが実感できた。時代はナイティなのだ。強弱切り替えなんてダサダサだ。

 そう言えば、皆の家は電気釜だが、ウチは30年以上使い込んでいるガス釜だ。皆の家は全自動洗濯機だか、ウチは20年以上使い込んでいる二層式洗濯機だ。私の部屋にあるCDラジカセさえ、シングルCDを聞くためにはアダプターを着けなければならない旧式で、その上、本体を斜めに傾けないとCDが回転してくれない。カセットテープもA面は通常通りに音が出るのだが、リバースされたB面は音が歪んでしまって聞けたものではない。仕方ないのでA面が終わると、人間様が自ら立ち寄り、テープをB面に裏返すのである。早送りは出来ても巻戻しが不自由のため、「巻戻し」がしたいときはテープを裏返して「早送り」をする。要するに一方向にしか回る気力がないらしい。機械は持ち主に似るのだろうか。

 とにかく、私は2日間ほど極楽で過ごすことになった。さすがに3日目には帰ると告げた。友人は有り難くも「まだいていいよ」と言ってくれたが、やはり他人の家だ。私は気を使わないが、相手の家の人たちが気疲れしてしまうに違いない。2日も涼しい夜を過ごせて私は大変満足していた。私の心は彼女に対する感謝の気持ちで一杯だった。

 さて、この極楽2日間で私は初めて知った。暑さから逃れるため友人の家に泊まってしまった訳だが、私は決して軟弱なのではない。ウチに訪れている夏は、皆のウチに訪れている夏よりも数段暑かったのだ。
 ハイテクエアコンにも衝撃を受けたが、私がもっとショックだったのは、彼女の家がエアコンを作動していない時でもそれほど暑くはない、という事実だった。勿論暑い。暑いがしかし、キ●ガイゴッコをしでかしてしまうほどは暑くなかったのである。風通しが良いため、直射日光さえ差し込まなければ涼しいとさえ感じることもしばしばだった。これならクーラーがなくったって、耐えられる。以前の私なら耐えられなかったかも知れないが、体温以上の気温を10日以上耐えてきた私には、耐えられる。

 私がいくら柏の夏の空気に耐えられようと、私の生息域は東京のど真ん中だ。そして私は再びその東京のど真ん中、我が家に戻る。今度は何日耐えられるのか。

 決意も新たに、私の夏の陣はまだまだ続くようだ。



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