1999年9月30日/東海村臨界事故
[1999年9月30日の日記に戻る]
この度の東海村臨界事故、色々と日本の問題点が一気に噴出した最悪の結果だと思います。責められるべきはJCOだけでなく──もちろんこの会社の過失責任は果てしなく大きいのですが──日本の体質そのものにあるような気がしてなりません。
私一人で推測だけでモノを言っていても始まりません。この特設コーナーでは、友人・知人から寄せられた情報を元に、もっとこの事件を多角的に把握してゆきたいと思っています。もちろん専門的な意見な訳ではないのですが、市民レベルでの情報で、より生身の声に近いモノだと思います。
もしこのコーナーに立ち寄って下さって、何かここに掲載しても良い情報を持っている、という方がいらっしゃいましたら、是非メールを下さい。また、ここに載せてある推測などが事実からかけ離れているようなことがありましたら、教育的指導をよろしくお願いいたします。自分でも見付け次第素早く訂正してゆきます。
就職日記に記してあります。
就職日記に記してあります。
私の同僚のH井君が、事故翌日の10月1日、目を赤くして出社した。朝からむっつり黙り込んで一言も話さない。最初は彼の様子がおかしいことと東海村の臨海事故を結び付けられずにいたが、私がエスパニオと東海村の話をしていると、「……俺の実家、ちょうどあの現場近くなんですよ……」とボソリと呟いた。彼の母親があの事故があった時間から非難勧告がなされるまでの間に、工場付近を歩いたと言うのである。
電話をしたところ元気そうにしていて、取りたてて目に見える問題は生じていない、ということだが、放射能の恐ろしさは今すぐどうこう、という訳ではないので心配は尽きない。だが、心配しようにも交通機関は封鎖されており、駆け付けたところでどうすることもできない。会社も休めない。こちらに呼び寄せたくても、母や弟、妹にはあちらでの生活(仕事や学校)がある。避難勧告がもう少し早ければ、内部被曝(※詳しいことはトピック「04−内部被曝について」を参照のこと)の可能性だってもっと低かったはずなのに……。
「何をどうしていいのか分からないんだよね……。でも、大丈夫だよ。俺の家族はゴキブリ並みの生命力だから」
いくら端であれやこれやと言っても、目の前の不安と立ち向かわなければならないH井君の言葉こそが現実なのだと思い知らされた。
10月3日(日)朝日新聞の朝刊30面より。大見出しで騒がれている事故そのものも充分にショッキングだが、ささいな記事の中に日本体質の空恐ろしさを感じる……。以下の2つ記事は今回の事故関連でサブ的扱いで報道されたたった10行程度の記事である。(どちらも忠実に転記する)
■原発CM自粛拡大/電事連・エネ庁
臨界事故を受け、電気事業連合会は原子力発電関係の広告やテレビCMを当分の間自粛することを決めた。
通産省資源エネルギー庁も今月から、原子力の理解を促すテレビCMを十二月まで流す予定だったが、テレビ局側から「見合わせたい」という申し出が相次ぎ、一日は中止になった。
■プルサーマル九電が凍結
九州電力首脳は二日、プルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を既存原発で利用する「プルサーマル発電」の実施に向けた準備作業を当分の間凍結する考えを明らかにした。
たった1頁の、しかもたった計20行程度の中に、ご丁寧に3ヶ所もうやむや姿勢を証明するような単語をちりばめて下さって……。分かりやすいったらないね。もう本当に「喉元過ぎたら……」って考え方が定着してるのね……。
なんか事件が起こる度に息潜めて状況を窺って、「皆もう忘れたかなぁ〜?」と思ったら今までしてきたことを再開する訳だよ。しかも都合の良いことに、皆本当に忘れちゃうから……。完全に忘れ去る、という意味ではなく、注目していない状態になる、というか……。
10月2日、友人からこんなメールをもらった。
放射能漏れ事件だけど……。
あの辺に住んでる人が『「母親の親友の息子が、事件の起こったときに付近を自転車で走っていて、帰ってきてから嘔吐・腹痛を訴えたので、病院へ連れていった」ら、その後あの事故が報道されたので青くなっている。』そうだ。で、病院へ行くとそういう人が物凄く沢山いるそうで、報道管制がひかれているのか全然メディアにはのらないけど、現地はかなりやばい雰囲気になっているらしい。
というメールを友達からもらった。でも、
古屋廣高・九州大教授(核燃料工学)は、「一般の住民の方に影響を及ぼしたり、農作物が食べられないような状況ではない」と話す。臨界事故でできる放射性物質は、環境中に放出されても、生体に吸収されず体外に排出される種類のうえ、セシウムやヨウ素が生成されても検出限界程度の量に過ぎないとする。
って言ってるんでしょ???????
しかも、350メートル付近の住民の非難を解除し、学校の授業も再開? 350メートルって非常に胡散臭い数字はどう算出したわけ?? 数式の展開を新聞に載せろ。しかも、それすら解除?? 放射能って、散逸するんだよ??? 道路に水撒いてる? ばか??? 道路に撒かれた放射能まみれの水は何処に行くと思ってるわけ??
ただ、住民の暴動がおこらないようにしてるだけじゃない???
私が事故当日、翌日の日記で色々書いたら、親切ないつきさんがメールにて色々教えて下さいました。いつきさんは京都大学放射線生物研究センター、システム生物学研究部門に所属されている大学院生さんです。連絡先まで教えて下さって、本当にありがとうございました。いつきさんの分かりやすい説明に、少しは放射能がなんたるかが分かったような気がします。私は放射能を塵かホコリのように扱う対策を散々馬鹿にしていましたが、これは決して無駄ではないらしいのです。(根本的な解決にはなっていないこともよく分かったけど、とりあえず、人間が即効で死なない、という点に関しては有効な対策なようです)
テレビでも事故そのものが落ち着いて、大分この手の情報が入りつつありますが、やはり人の生死が関わっていることなので、評論家たちもあまり露骨に事実を言ってはいないようです。もちろん嘘は言っていないでしょうが、絶望的な言葉を避けている、と言った感じです。そんな中、いつきさんから頂いた情報は、学問的にありのままで凄くためになったので、掲載許可もいただいたことですし、皆様にもおすそ分けしたいと思います。(太字の小見出しは私が勝手に付け足したものです)
■被曝量と症状
あの事故で作業員の人が浴びた線量はめちゃくちゃです。ヒトのLD50の2倍くらい浴びてます。LD50とは「半数致死線量」と呼ばれ、一群の被照射動物のうち半数が一定期間内(およそ30日以内)に死亡する線量と定義されます。(本調べまくりです)。昨日しっかり書かなかったのですが、ヒトのLD50は4シーベルトです。これは、その手の勉強をした人なら、当たり前のように覚えている数字です。教科書に詳しく書いてあるので、ちょっと引用してみます。たしか、その人、8シーベルトくらい浴びておられましたよね。
※注:その後の報道で、被曝した3人の被曝量はそれぞれ17、10、3シーベルトと明らかになった。
◎2〜6Gy(※注1)の被曝……白血球数の長期的減少など、造血器障害が現れる。一般に次のような経過をたどる。
※注1:単位「Gy(グレイ)」とは「H:線量当量(単位シーベルト)」「D:吸収線量(単位グレイ)」とすると、「H=DQ」と定義される。Qとは、線質係数といって、それぞれの種類の放射線の効果を補正するためのものです。X線、γ線、β線ではQは1。中性子線だと10。α線だと20。今回の場合は、「Gy(グレイ)=Sv(シーベルト)」と考えて可。
第1期:1〜2時間後から嘔吐が起こり、1〜2日続く。リンパ球が減少する。
第2期:2〜3日から1週間後までは自覚症状なし(潜伏期)
第3期:数週間続く。出血、造血機能障害、脱毛など放射線病特有な症状が起こる。
被曝線量が多いと、上記の変化が強く起こり、感染、出血による死が起こる。
第4期:回復期。線量が少ないと、これらの症状は回復に向かう。
なんか、8Gyが入るのがなくって、次は10〜数十Gyの被曝という項目です。
◎10〜数十Gyの被曝……被曝後数時間で強い嘔吐、下痢を起こす。1〜2日は一たん症状は軽くなるが、2日以降再び嘔吐、下痢、発熱を起こし、消化管の障害で2週間以内に全員死亡する。
8Gyなんて、信じられないような大線量です。放射線作業に従事している人の限度が年間50mSvですが、1年に50mSvも浴びる人はまずどこ探してもいないというのが常識です。レントゲン写真の際の被曝なんて、誤差の範囲内、っていうくらいちょっとなのです。
■内部被曝の恐怖
大気中に放射性のちりなどがない、というのは、それはそれで意味があるのです。土壌中に入り込むのも怖いけれど、大気中にあるのはもっと直接的に怖かったりするのです。それは「内部被曝」。そういう空気を吸い込むと、体に放射性物質が入り込んで体の中で放射線を出します。実はそれが一番危ないのです。飛程の短い放射線が、体の外のすぐ近くからやってきても、皮膚くらいで止まってしまう。その放射線が体の中から出てるものだったら、その放射線のエネルギーが全て体の内部に吸収されてしまうのです。
あと、元素によっては、特定の臓器に集まっていくものもあって、例えば骨に集まるストロンチウムの放射線によって、造血器が大量の被曝をしてしまう、ということもあるのです。土に入り込んでもいずれそれが体内に、ということはもちろん考えられますが、それには時間がかかるので、まだ、直接吸入よりは安全だと思われます。
体に付着した放射性物質にこだわるのも、そこから経口摂取される可能性があるので内部被曝を意識してのことだと思います。放射線を取り扱ってる印象としては、「外部被曝あんまりこわくない(それは、あの作業員の人達のような大線量をあびる心配がないから言えるのですが)、内部被曝めっちゃこわい」という感じです。だからまあ、あの対応は、それなりに理解できるものであると考えます。外部被曝の影響、もちろん怖いので、それを無視してはいけないとは思いますが。
※追記:10月2日深夜のザ・スクープで、放射能の専門家が「家に帰ったら服を叩いて、シャワーを浴びて放射能を落とす」と言っていた……。──花粉と同じ扱いの放射能って、なんだかシュール……。
■内部被曝についての更なる詳細
体外被曝というのは、体の外に放射線源があって、それからの放射線で照射される場合。それに対して、体内に取り込まれた核種による被曝を体内被曝(内部被曝)と言います。特徴は以下の通りです。
(1)核種によっては特定の臓器に集まりやすい。そのため、その核種の集まりやすい臓器は特に大量の被曝を受けるおそれがある。(骨に集まりやすい核種が特に多い)
(2)α線(アルファ線。ちゃんと変換されないかもしれないので念のため)を出す核種は、飛程が短いので体外にあれば全く被曝の危険性はないが、体内に取り込まれるとそのエネルギーの大半が体に吸収されてしまうことになるので、そういった核種を取り込んだ細胞に大きな障害を与える。
で、教科書の受け売りをもう少し続けます。「放射性核種が人体に入る経路」という項目がありました。
(1)経口: 水や食物とともに、あるいは汚染した指、ピペットをなめることなどにより口から入り、消化管で吸収される。(体についたものが、このようにして体内にはいることを怖れたのでしょう。)
(2)吸入: 気体あるいは粉塵として呼吸の際肺に入り、血液を通して臓器に入る。
(3)経皮: 皮膚を通して体内に入る。(傷があると入りやすい)
この3つの経路のうち、経口摂取が体内侵入のおもな経路であると書かれていました。
今日事故のことをもっと知ろうと思って、朝テレビを観たのです。そしたら、出てきた専門家が、私が昨日鷹瀬さんに送ったのにちょっと似た資料を出してきて、説明しました。(やはり経過を述べたものではなく、何シーベルトでどのような症状が、というものでした。教科書のものよりちょっと生ぬるいかな、という印象は受けましたが)10シーベルトを全身に急照射したら死ぬとも書いてあって、それを見たアナウンサーが「では、13、17シーベルト被曝した人は???」みたいなことを言ったのです。そしたら、その人は「これはあくまでも目安であって、今、優秀な医者がついておりますので……」みたいにお茶を濁しました。私は「あれ〜〜?」と思いました。教科書には自信たっぷりに、以下のようなことが書かれているからです。
「ヒトに10Gy(※注1参照)のX線を全身照射すると、数日を経ずして死亡する。したがって、10Gyといえば、かなり大線量である。しかし、熱エネルギー的にみると、これはわずかに2/1000℃の体温上昇をもたらすにすぎない。この微少エネルギーでヒト1人が死亡するのである。」
ほとんど教科書に頼ってメールを書いたので、その種本を紹介しておきます。「放射線概論」通商産業研究社(石川友清編)です。これは、とても有名な(というか唯一の)、「第1種放射線取り扱い主任者試験」の受験参考書です。
■避難勧告の範囲
また、半径10kmについてですが、広島の原爆を例にとると(って、この間の影響学会の受け売りなのですが)、爆心地から2kmくらいのところまでで、後日放射線が検出されたのだそうです。半径1km以内の人で、建物で遮蔽されてなかった人は、全く怪我してなくても全員後日死亡したのだそうです。だからまあ、10kmって、きりがよすぎるけれど、まあ、かなり広めにとってあるのかもしれないです。
本日、スチュワーデスの姉を持つ友人から来たメール。
姉が、事故のあった日、国内線に乗務して大阪に泊まったのね。で、事故の規模がわからないから心配でテレビつけたらどこもお笑い番組やってて、事故の報道をしてる局がなくてすごく不安だったらしい。関西まで距離的には500〜600キロぐらい? まるで他人事なんだよ。
ちょっとカメラをひいて地球全体を見てみて、一方でアメリカや韓国じゃ番組内容変更して事故をトップニュースとして扱ってるんだよ。むちゃくちゃな絵じゃない? 他所の国が深刻にとりあげてる中で当事者(その意識がないんだろうけど)である自国民は口あけて笑ってたんだから。
ジャーナリストもヨウ素飲んで現場に出向いたんだってね。テレビで現場の女性記者見ながら「この人、やだろうなあ」って思ってた。こんなところで性差別するつもりはないけれど、女性は子供を産む性だからさ。私は被曝するなら会社辞める。でもその前に、みすみす社員に放射能を浴びに行かせることについて会社側が考えるべきだと思う。
もちろん、彼女も私も実際に会社勤務をしている当事者になったら「被曝するくらいなら辞めてやる」と言えるかどうかは分からない。言えない雰囲気に巻き込まれることは容易に推測できる。収入とか、生活とか、様々な事情があるし。
また、ジャーナリストは報道への使命感があるだろうし、大事故が起こればそれだけ報道の要求も高まってくる訳で、ジャーナリストの命の保証と引き換えに多くの一般市民は情報を得ているのだから、一概に答えを出せることではないと思うが……。これは原発に勤める人たちにも言えることだし、もしもの事故が起こったときに駆け付けなければならない救急隊員にも言えることだし、事故現場周辺に生活するすべての人々にも言えることだと思う。誰かが被曝してでも職務を遂行しなければ、事態が収まらないとなれば尚更だろう。その「誰か」は直接原因になった会社であるべきだとは思うが、このような大惨事はもはや一企業だけの力で事態を収拾するのは不可能だし、その会社の下々の作業員たちが命を投げ出す羽目に陥るのは、根本的な解決にはならないし、望むところではない。
特別な職に就いていなくても、東海村事故現場付近の会社に勤める人たちは今後どうするのだろう。あまり事態を深刻視していない人もいるようだが、多くの人は現状を不安に思っているだろう。しかし、事態は一見収拾し、また月曜日からは同じような日常が始まってしまう。たった一言を言えるような雰囲気ではないかもしれない。
「被曝するのが嫌だから休みます」
当然の権利(だって生命にかかわることだし……)だとは思うけど、実際に目の前の仕事を放棄して、危険を回避することは難しいだろう。私が事故現場付近にある会社の職員なら休む、と言うか、休みたいし、出来ることなら引っ越したい……。しかし引越しなんて経済的に無理だろうし、欠勤すら難しいのが現実だと思う。99%の職員が出勤する中で、「被曝が嫌」という理由はきっと通用しないだろう。迂闊に休めば「無責任」というレッテルを貼られる現実も見え隠れしている。下手をすればリストラの対象になるだろう。
──そして、目先の不安を解消するために、命の保証を投げ出すのだ……。非常に諦めの入った大人の言い方をすれば、「生きて行くって、そういうもんだよ……」ってトコなんだろうか。そうしないと生きて行けない国、日本……。いや、もしかしたら現代社会すべてに言えることなのかもしれない。
上記の「05−報道と職務遂行の現実」の最後に書いた私の感想を覆す事実が明らかになった。10月4日(月)毎日新聞の朝刊27面より抜粋しよう。
■「放射能怖い」外国選手帰国/大阪で開催世界新体操
先月29日から今月3日まで大阪市中央体育館で行われた第23回世界新体操選手権大阪大会で、オーストリア選手団の9人のうち選手3人とコーチ1人が、茨城県東海村で起きた臨界事故による放射能汚染の危険性を恐れて、大会途中で帰国していたことが分かった。
大会実施本部によると、旅行会社を通じて連絡があり、4人は事故翌日の1日にホテルを出て関西国際空港から帰国したという。同国は団体競技だけを出場登録していたが、この帰国に伴い、1日の団体総合前半から協議を棄権した。
本部によると、事故が海外で大きく報道され、選手の父母が帰国を強く主張したという。また同国のほかにも事故による放射能汚染を恐れる声が相次いだため、本部は1日、松田治広本部長名で「事故現場から約700キロ離れている大阪にはまったく影響がない」とする文書を配布した。
うーん……。もうこうなると見事としか言えないなぁ……。事故現場から10キロが数日間封鎖されただけで、4日後には既に(精神的不安は別にしても)通常の生活に戻っている当事者=日本国民と、事故現場から700キロ離れた距離にいようが、大会途中であろうが、とっとと非難する外国人(正確にはオーストリア人だけど)。
私自身、放射能についての知識が豊富ではないので、今回の事故においてオーストリア人選手たちの反応が大袈裟なのか、適切なのかはよく分からないけど、とにかく分かったことは、少なくともオーストリアにおいて、こういった不確実な危機的状況に陥った場合、とりあえず避難することは恥ずかしいことではない、と言うこと。
例えば日本人選手が逆の立場で外国に滞在中に今回レベルの事故が起きたら、まず事実確認をするまではじっとその場を動かないと思うんだな。そういう時に逃げ帰らない心の内は、やはり「責任を投げ出して逃げ帰るなんて恥ずかしい」とか、「避難してから何でもなかったら恥ずかしい」とか、そういうまず世間体やら体裁やらを第一に考えて、自分の身の心配は後回しにしがちだと思う。危機に対して鈍感とも言える。一方、欧米人はこういうとき、まず自分の身の安全を真っ先に考えるんだと思う。全員がそうとは言わないけど、日本人よりその気質がずっと強いことは確かだと思うんだ。また、そうして逃げ帰ってきても、多分責めるような雰囲気はないんじゃなかろうか。
──しかし日本ではどうか。
これが日本人の悲しい性で、身の危険を感じて逃げ帰ろうモノなら「無責任」とか「根性がない」とか、ネガティブに評価されちゃうんだよね。だから事故が起こってとりあえずその深刻さが不確実なときに、「あまり騒いで何ともなかったら恥ずかしい」(もしくは出来れば無かった事にしたい)という気持ちが働いて、却って取り返しのつかない事態に陥っているように思う。
多分、東海村に住む多くの人たちは、事故からたった数日しか経っていない今、会社になんて行きたくないだろう。家にいても不安だと思うが、外を出歩くのは避けたいに違いない。もしも会社が事故現場付近だったらその気持ちは更に強まるのは当然のことだ。だが、皆が出勤する中で一人だけ休めば、「皆だって頑張って来てるのに、責任感のない奴め」とか、「ずるい」とか「卑怯」とか、そんな雰囲気が蔓延しないとも限らない。新聞やマスコミで「大丈夫だ」と無責任に騒がれれば、ますます休みにくくなるだろう。目先の体面を気にして、何が人間的な行動なのか分からなくなる、というのは、決して大袈裟な解釈ではない。
日本人特有の恥の文化とか、自己主張の弱さとか、協調性とか我慢強さとか、様々な要素が複雑に絡み合っているので一概にどうのと言うことは出来ないが、身の危険を感じたら形振り構わずさっさと逃げる、という欧米人の姿勢を少しは見習いたい……。
──そんなふうに考えてしまった記事だった。
[1999年9月30日の日記に戻る]