stay in IRELAND

愛蘭滞在記(6)〜Ennis編E


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 いよいよ最終章。学校も終わり、旅行と最後のエニス満喫の日々を克明に記録しておきます。私のために。
2003年6月1日(日)〜8月20日(水)の小見出し一覧
 6/1(日) スペイン旅行計画(前)  6/3(火) スペイン旅行計画(後)  6/6(金) 最後のピクニック
 6/7(土) 杜撰な英国旅行計画  6/8(日) 素人散髪式  6/9(月) 引き摺るスペイン
 6/11(水)〜6/18(水) 英国旅行記(7泊8日)  6/19(木) 忍び寄る荒廃
 6/20(金) 使えないUSIT  6/23(月) これぞアイリッシュ!  6/24(火) スペイン旅行心構え
 6/25(水)〜7/16(水) スペイン+ポルトガル旅行記(21泊22日)  7/17(木) 帰国実感
 7/20(日) やはりかなり好きエニス  7/22(火) イスラム教徒の考え方  7/23(水) 世界中どこも末期
 7/24(木) 祈りの効果  8/2(土) 素朴な結婚式  8/4(月) 川で泳ぐ
 8/5(火) 海で泳ぐ  8/10(日) インド人には解らない  8/11(月) くたばれ××
 8/13(水) 6年ぶりのTOEIC  8/18(月) 2度目の誕生日  8/20(水) 帰国前夜


2003年6月1日(日) スペイン旅行計画(前)
 今回のスペイン+ポルトガル旅行は、今までのような1都市滞在ではなく、22日間で南スペイン〜ポルトガルの周りたい都市を効率良くすべて周ろうと思っているため、大雑把に計画を立てたくても上手く立てられません。どういうことかと言うと、「セビーリャは宿が常時不足気味なので事前予約しておいた方が良い」「リスボン→マドリッドの夜行列車の2等は最初から数が少ないため予約しておいた方が良い」など、要所要所で確実に抑えておかなければならない宿屋や列車の予約が生じ、この予約に併せて前後の予約をしていくと、結局ほぼすべての予定を立てることになってしまうのです。
 気の向くままふらりと旅をすることも勿論できますが、22日という短い期間の中で2ヶ国11都市(含む村)を見て周りたいと思うと、結局1〜3日おきに移動して行かなければならず、しかもスペインからポルトガルへの越境を加味すると、バスや列車がそう頻繁に走っている訳ではないため、具体的には「金曜日にAからBへ移動しなければならない」というような制約が付き、最初から比較的明確な移動予定を立てておく必要があるのです。

 移動の多い旅行の計画は大変です。事前に宿を取るにも、万が一電車が動かなかったら……。だからと言ってこの時期に宿の予約を一切せずに現地に乗り込めるほど能天気にもなれません。前回のスペイン・ジローナでの宿探しの記憶は、トラブル好きな私にとって楽しい思い出ではありますが、苦い経験でもあります。あの時は丁度シエスタの時間に町に到着してしまったため、どこに行っても「18時頃出直して」と門前払いされ、仕方なく重い荷物を抱えたまま、観光をしているのか彷徨っているのか分からないような4時間を過ごしたのでした。
 1ヶ所の宿に長く泊まるのであれば、探す際に多少苦労しても、その後数日間は確実に「宿探し」から解放される確約があるので良いのですが、長くて3日、短くて1日と毎日のように宿を変えるスケジュールで、毎度毎度宿探しをしていたら、オフシーズンならともかく、このハイシーズンではそれだけ「時間が潰れる」のは確実です。しかも、現地の電話の掛け方に慣れることや、テレフォンカードの購入、公衆電話を探す手間を考えると、夏のスペインの太陽は身に染みそうです……。
 加えて、たとえ電話までスムーズに掛けられたとしても、予約が取れるかどうかは分からず、そろどころか、私が狙っている宿はすべて「その街でもっとも低い価格」の民宿なので、英語が通じないケースが多いことも念頭に入れておかなければなりません。英語が通じない場合はとにかく無理矢理話をつけて、空室がありそうな気配が掴めたら、直接民宿まで足を伸ばして確かめる他手がないのですが、この一連の動作を10kg以上のバックパックを背負ったままするのは、気力だけでなく、かなり体力が必要です。気力までは自信があっても、最近めっきり体力に自信がなくなったワタクシ……もう嫌々ながらにみっちりとした計画を立てる羽目に陥っているわけです。

 と言うことで、今回、旅の計画を立てているのは、主には宿確保から派生することであって、立てたくて立てているのではないので大変です。大体、行って見たいところと行けるところが一致するケースは少なく、行って見たい場所を如何に効率良く回ろうとするかを考え出すとキリがありません。Excelで行きたい場所、時間、価格を、路線図をベースにした表にまとめ上げるのに丸1日掛かってしまいました。「地球の歩き方」2冊と「トーマスクック時刻表」を広げて、机の上は英語の勉強をしている時よりもよほど「それらしく」なっているので目頭が熱くなります。
 ここでふと我に返るのが、「ああ……お金さえあったら……」ということです。宿を予約するのも列車を予約するのも、高い宿でも構わない、1等席でOKということならば、「宿は現地で探す」「列車は前日予約する」という余裕しゃくしゃくの態度で臨めるのですが、ハイシーズンの旅行で安い宿、安い席から埋まって行くので、こんな下準備が必要となってくるのです。

 また、鉄道パスを購入してしまった今、何が何でも鉄道を使わなければという泥沼に陥り、効率良く鉄道を使いたくても、スペインやポルトガルではバスの方が早い上に本数も多い、ということが最近分かってきて、くっそ、計画を立ててからパスを購入すれば良かったッと地団太を踏んでいます。本当に踏んでいます。ええ、そらもう。
 払い戻しは10ユーロで、この金額を差し引いて尚、やはりパスは高すぎるという結論に陥った今、キャンセルする意向は固まっているのですが、購入した店まで行く=往復9.5ユーロのバス代まで加算され、一体どこまで無駄遣いすれば気が済むのか……というところまで来ています。ああもう、世界で一番何が嫌って、無駄遣いほど嫌いなコトはナイというくらい無駄遣いが嫌いなのに……。お金は95%切り詰めて、5%の使うべきところでドカンと使うのが理想的なのに……。

 とまぁ、上記からお分かりのように、嬉し楽しい筈のスペイン旅行ですが、とりあえず今の段階でちっとも楽しめていません……。そして、楽しくもないのに寝ても覚めても旅行計画のことばかり考えています。枕もとにはイギリス+スコットランド、スペイン、ポルトガルの3冊の「地球の歩き方」が……。時々夜中に目が覚めて、「そーだ、こういう経路はどーよ!?!」とガバリと身体を起こして「地球の歩き方」を確認する日々……。くっそ、誰か計画立ててくれ……。もー「時は金なり」の格言によると、私はかなりのお金を掛けてこの旅行計画に臨んでいますよ……。1万円くらい出すから完全な計画立ててくれないかなぁ……誰か……。こりゃ旅行会社が儲かる訳だわ……。


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2003年6月2日(月)・祝 小休憩
 せっかくの祝日だというのに、インターネットカフェに入り浸りでスペイン旅行計画を立てていました……。隣の席には、来週からの3週間のヨーロッパ旅行の計画を立てている友人が……。
「いつもは計画立てるのも楽しいんだけど、今回は楽しくないんだよね……。かれこれ2週間くらいずーっと計画たてててさ……。もういい加減疲れた……早く解放されたい……」
 ………………ちょっと和みました。


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2003年6月3日(火) スペイン旅行計画(後)
 もう寝ても覚めてもスペイン旅行計画を立てている……という感じで、今では「地球の歩き方」の表紙が視界に入ると「うぷ……」という一杯一杯の気持ちになっています。しかし遅々とした歩みではありますが、徐々に輪郭を成して来る22日間の旅程に、時々にんまりしたり……という心裏腹な日々が依然として続いております。ということで、本日は安宿求めて価格問い合わせ&予約のためにスペインとポルトガルに電話をかけまくりました。
 南スペインとポルトガルというどことなく田舎な対象エリアに英語が通じるのかとかなり不安でしたが、半々以上の割合で通じる上に(「地球の歩き方」に掲載されている宿なので当然か……)、通じなくても明るいスペイン人相手の電話は結構楽しかったのであります。
 そしてふと、英語圏外の国に掛ける英語の電話ならば全く恐くなくなっている自分に気付き、おお!と感動してしまいました。まぁ未だに英語圏に掛ける英語の電話は少々緊張しますが。何せ相手が容赦なくペラペラと喋るので……。スペイン人の英語やポルトガル人の英語は発音に多少癖はありますが、英語圏のネイティブが喋る英語よりは速度が遅く、語彙も簡単なため、結果的には分かり易いのでした。

 しかし1、2ユーロの差額を知るために国際電話をしている私って……根本的に間違っているような気もしますが、まぁこの国では特殊なテレフォンカードを使用すれば市内電話よりも国際電話の方が安いほどですし、1分6〜10セント程度の出費であれば、根性を養うためにも気軽に電話する姿勢は変えたくないものです。
 周囲の友人たちによくよく話を聞いてみると、フラット探しにせよ、電話での問い合わせにせよ、海外ホテル予約にせよ、私はかなり電話をしているようです。普通の人は普通に賢いので、この電話に掛かる時間と費用を考えて、そこそこで手を打つ訳ですが、もう私の場合、要するに好きでやっているのでしょう。英語の得意・不得意にかかわらず、価格調査なんぞはやらない人は日本でもやらないでしょうし、やる人間は多少言葉が不自由でもやるのです。
 勿論、英語ができるようになるにつれて、電話は億劫ではなくなってきて、留学当初よりかなりサーチの幅が広がり、電話を気軽に掛けていますが、それ以前に己のサーチへの執念に我ながら天晴れ!という感じです。英語が多少できるようになって何が嬉しいかって、サーチの幅が広がったことですから、私の場合。

 それにしても、どこの国でも観光客というのはボラれる対象なんだなぁ……と実感した1シーンをご紹介しましょう。スペインの宿に電話したときのことです。
鷹瀬 「最も安いシングル部屋の価格を教えて下さい」
受付 「1泊35ユーロになります」
鷹瀬 「え……? もっと安い部屋はありませんか? トイレやバスは共同で構いませんので」
受付 「……1泊25ユーロになります」
鷹瀬 「…………えーと、私、ガイドブックを見てそちらを知りまして、そのガイドブックには去年の価格が書いてあるのですが、その価格が15ユーロなんですけど……」
受付 「……少々お待ちください」
(スペイン語で他の人と話している様子)
受付 「1泊18ユーロの部屋があります」
 ………………食い下がらない人間には最安と称して1泊35ユーロの部屋を勧めるワケかー……。

 何と言うか、日本でも勿論ボラレルということはあるのかもしれませんが、その頻度も程度も世界レベルで見て可愛らしい程度で、ホテルなどに電話を掛ける際に「気を張る」必要はまずありません。私も日本では店員や係員から告げられる価格に「本当ですか?」と聞き返したことはほとんどありません。……もしかしたら1回もないかもしれません。
 日本人が日本国内でぼられないということだけでなく、外人が日本で何かを買おうとした時に、咄嗟に「あ、外人だ。法外な値段を吹っ掛けてやれ」という人は、(いるかもしれませんが)そんなに多くないという自信があります。逆に、世界中どこに行っても、特に日本人は騙される対象になりやすいのですが、それは私たちが信頼関係が普通に成り立つ国で生まれ育っているせいで、「相場を調べてから行動する」ということに慣れていないからではないかと思うのです。それだけでなく、ボラレタ、騙されたと気付いた後に「コノヤロウ! 金返せっ!」と食って掛かることもそうそう出来る国民性でもありません。
 私は日本のこういう気質は凄いなぁ、と思います。しかしこれはもう文化なので、「外国よりの日本が良い」と白黒つける訳にも行きません。

 例えば、スペインのバルセロナで日本人が経営する、宿泊客は日本人のみという安宿に連泊したのですが、その際、宿泊客が共同で使用できるリビングに5ユーロ札が置いてあったのです。リビングには多くの宿泊客が絶えず出入していて、私はこの5ユーロ札を2日間に渡って見ていました。ある日、若い男の子が、その宿で知り合ったらしい同じ泊り客の同年代の男の子にこんなことを言っていました。
A 「あ、B君。この5ユーロ、この前の買出しの割り勘分だよ。ずっとここに置いておいたのに、取ってくれないんだもんなぁ」
B 「ああ、そうだったんだ。知らなかったよ。ありがとねー」
 もう……余りにビックリして、「ありえないっ!」と叫び出しそうになりました……。
 例えば、ここでこの5ユーロがB君の手に渡る前に盗まれたら、日本人の感覚としては「誰が盗んだんだ? 酷い奴がいたもんだ」になりますが、恐らくほとんどの外国では「こんな所に金を置く方が馬鹿」ということになります。盗む人間が悪いのではなく、盗まれるような状況をみすみす作り出す人間が悪いと、そういうことなのです。勿論、自室に置いてあったものが盗まれた場合などは、どこでも「盗んだ人間が悪い」となると思いますが、「鍵を掛けていなかった」「見える場所に置いていた」などの基本的な管理が出来ていなかった場合、やはり「それは君の落ち度だよ」という意識が常識です。
 私的には(今はそうとも言い切れないかもしれませんが)日本の高度な節度、礼儀、自己規制は素晴らしいと思いますが、海外に出てこれらの「日本の常識」を当然のように周囲に求めるのは愚かです。国境がなくなりつつある今、各国には各国の文化や常識という個性があって、それを熟知し、尊重しつつコミュニケーションを取ることが出来る人こそが「国際派」と言われる人なんだろうな、と思います。そういう意味で、個を殺し、何でも均一化するのが得意な日本では、なかなか国際派の人間が育たないことでしょう。

 そもそも日本は「国際派の人間の育成云々」以前に、まずは国内で子供の個性を殺すのではなく伸ばす教育に力を入れるなど、足元から見直すべきだと思いますけどね。子供がもっと自由にのびのびと生きることが出来る社会になれば、自ずと社会全体が改善されるでしょうし、そういう教育が根ざす国では、やはり自然と国際派の人間が多く輩出されることでしょうから。
 せっかく外から様々な価値観や概念が流れ込む時代になったのですから、今こそ日本文化を守り、自国を明確に意識することで他国をより深く理解するよう心掛けたら良いのになぁ……と思うのでした。


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2003年6月4日(水) 小休憩
 本日もスペイン旅行計画に明け暮れた1日でした。


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2003年6月5日(木) 小休憩
 本日もスペイン旅行計画に明け暮れた1日でした。ちゅかれたずら。


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2003年6月6日(金) 最後のピクニック
 本日、半年ほど通った語学学校の最終日です。どう贔屓目に見ても余りやる気のない先生方、及びごく一部の例外を除く生徒たち、こんなに明確に大義名分を掲げて授業を潰せる機会を失ってなるものかと、学校から車で30〜40分ほどのところにあるドロモア国立公園(のようなもの)に打ち上げを兼ねたピクニックに行くことになりました。2クラス合同のピクニック。面子は教師2名、韓国人3名、日本人2名、ロシア人1名です。
 車に乗り込んだ時から曇り空だった天気は、目的地である公園に着くと同時に小雨に変わり、雨宿りする私たちを追い詰めるかのように大雨になってしまいました。「タイミング良過ぎ……」と呆然とする生徒たちとは裏腹に、そこは changeable な天気に慣れているアイリッシュの先生方、慌てることもなく「いずれ止むわよ」とゆったりと構えております。一方、日本語で言う「ざんざ降り」に相当するほどの大雨を前に、「止むのか、コレ?」と不安になる生徒たち。しかし驚くなかれ、ほんの15分ほど雨宿りをしている内に、いきなり晴れ間が広がり、何の事はない、ピクニック日和に早変わりしたのであります。

 公園の奥までぐんぐん歩いて行き、丁度良い場所に木の机を見付け、ではそろそろランチでも……と、皆で持ち寄った料理&食料を机に広げ、いかにもピクニックらしい時間を満喫しますが、皆が食に暴走する中、ロシア人男性R君だけは湖の方を気にして落ち着かない様子。
先生 「R君、食べないの?」
R 「僕、今から泳いできてもいいですか? あと30分くらいまだここにいます?」
先生 「泳ぐの? 湖で? いいわよ! いってらっしゃい」
 言うが早いか、湖目指して草むらに消えるR君。いやー、日本人には余り居ない淡々としたマイペース型、いいですねぇ。

 さて、残された私たちも机に広げられた持ち寄りランチに舌鼓を打ちます。特に韓国人3人がそれぞれに作ってきた韓国料理が美味しくて、先生たちも大満足。韓国人は男2人、女1人という内訳でしたが、男の子もこったモノを作ってきてポイントが上がります。対する日本人は女2人だと言うのに、両名共にこのピクニックをそんなに真剣に捉えておらず、出掛けに大急ぎでサンドイッチを作った子と、スーパーで飲み物と果物とお菓子を購入した私のダメダメチームとなってしまいました。国辱モノの私たち……。
 何はともあれ、遠くの方で上がる水音に皆が視線を湖にやると、バタフライをしているR君が小さく見えます。楽しそう……くそう……男だったら簡単にパンツ一丁になれるのに……。今度自転車でここまで泳ぎに来ようと決意を固めて、今回は目の前の食に集中することにしたのであります。

 このピクニック自体も楽しかったのですが、ちょっと感動した出来事があったので記録しておきましょう。
 湖に泳ぎに行ってサッパリして帰ってきたR君、その腕に綺麗な7本の水百合を抱えているではありませんか。
R 「ハイ、皆にお土産。湖底に咲いていたんだ」
 いやね、深い意味はありませんが、ちょっと思いましたね。……………………日本人の男の子でこういうことがサラリと出来る人って、何%くらいいるのかなー……って。1%もいるかしら……。潜在的にいたとしても、周囲の輩から「カッコつけちゃって」とか「女に媚び売ってるよ」とか言われる内にやらなくなって行くんだろうなぁ……。


Water Lily

 日本にも好きな女性に花を贈る男性は(西洋に比べて話にならないほど極端に少なそうですが)いることはいると思います。しかし、R君のように誰にでも分け隔てなくちょっと小粋で相手が嬉しくなることを気軽に、しかも頻繁にする男性は、日本に存在している気がしません……。こう思っているのは私だけでなく、取り敢えず日本人留学生の間では「日本ではありえないよね」というのが共通の認識です。
 例えば、R君のフラットに遊びに行ったとき、皆で喋っていると、ふと彼が消え、現れたときには綺麗に盛られたおつまみのお皿を持って来たり……。またそのおつまみがただ皿に盛られているのではなく、花形にレイアウトされていたり……。暫く喋っていると再びふと消えて、今度はフルーツポンチを作って運んで来てくれたり……。この時も、その場にいた日本人同士で「日本でR君みたいな人ってどれだけいるんだろうね……」と沈んだトーンで囁き合っていたものです。

 私個人としては、思い遣りのある人は素晴らしいと思いますが、花を贈るとかちょっと台所に立って人のために何か用意するとか、そんなこたぁ女性がしようが男性がしようが、言ってしまえばしなくてもどうでも良いと思っており、こんなことが思い遣りの表現形だとは思いません。しかし実際問題、花を貰ったり、綺麗に飾られたおつまみを出されたり、フルーツポンチを作って貰ったりすると、された側は非常に嬉しくなるのです。幸せな気持ちになるのです。
 以前R君に「R君みたいな人はロシアの中では普通なの? 特別なの?」と聞いたことがありますが、その時の答えはこうでした。
R 「普通だと思うよ。女の子には、いつでも『綺麗だね』『今日はどうしたの?』って話し掛けて、気を遣うのが当然だろ。日本では違うのかい?」
 ………………まったく違うんだなコレが。
 ピクニックの帰り道、そんな私のわだかまる思いを先生に打ち明けると……。
鷹瀬 「今日、R君が皆に水百合を贈ったじゃないですか……アタシャ感動しましたね。日本じゃあり得ませんよ、こんなこと」
韓国女子 「韓国でもあり得ないなぁ」
先生 「R君はフェミニストだから。でも、西洋じゃR君みたいな人は珍しくないわよ。特にスペインなんか、女性は女神のように扱われているわ。アジアは違うんでしょ?」
鷹瀬 「中国では最近女がめちゃめちゃ強いらしいですけどね。実際、Cちゃん(中国人女性)のトコのカップルなんか、彼が食事とか全部用意して、彼女はデンと床で寛いでたしなぁ……。私が彼のお手伝いをしようとしたら、Cちゃん、『ああ、彼にやらせておけばいいわ』って言って止めたくらいだし。『このカップルは特別なの? 普通なの?』って聞いたら、彼の方が『皆こんな感じだよ』って言ってましたよ。ま、これも中国の最近の話、しかも都会の話だと思いますけどね。でも、日本では都会も田舎もR君みたいな人は珍しいどころか、いるかどうか……って感じですよ。多分、韓国でも」
韓国女子 「韓国の男の子もR君みたいなことは出来ないな」
先生 「アジアでは男性が神様のように扱われているって訳ね」
 いや……少なくとも日本では、男性が神様のように扱われているとも思わないケド……。ウチの父なんかは神様のように振舞っているケドね……。
 まぁそもそも文化背景が違うので日本男児に対しては何も言えませんが、単に女性の立場から考えれば自然に、「男性が女性に気を遣うのが当たり前の西洋って良いわねー」と思うだけです。中国の例は、余りにも女の子が強いため、意外にも全く羨ましくありません。何だか男の子が可哀想だったし……。やはり男性がどっしりと構えていて、そして何の強制力もない上で、自然に女性に気を遣っている様子を見ると、心が温まるのでした。

 そうそう、今日のお題はピクニック! 楽しい思い出の1頁、写真集はこちら

【追記】
 (現代?)中国の男女間の力関係について、中国に留学したことがある友人からのこんなコメントを紹介しておきましょう。
鷹瀬 > こっちでは、むしろ男性の方が細々と動く。中国の男の子なんか凄いよく働くよ……。
そうなのよ。私、大学生のとき中国に短期留学したじゃない。その時、中国人大学生と交流したことが何度かあるのね。で、最初のほうに男子学生からされる質問、

「日本の女の子は優しいんだよね? 男の人をたてるって本当? 家事はみんな女の人がやるんでしょ?」

……なんだかね、ちょっと悲壮感漂ってると言うか、夢見ちゃってると言うか。中国人の女は強いからね、相当。
「いやあ、昔はそうだったけど今はそうでもないよ」
って言っても
「いや、それでも中国に比べれば女の人が色々やるんでしょ? そうだよね?」
みたいな……。あっちはあっちで思うところがあるんだろうな。

 「家事はみんな女の人がやるんでしょ?」と聞くくらい、中国では男性が家事をするのが当然なようです。私の友人の中国人カップルを見る限り、想像に難くないなぁ、この現状。……こんなに極端じゃなくてイイ……普通がイイだけなんだ……うう……。


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2003年6月7日(土) 杜撰な英国旅行計画
 言葉が通じる可能性の低い上に一人旅のスペイン+ポルトガル旅行に比べ、英語は通じるわ友達と一緒だわ、なんて気楽な英国旅行。「もう大体のことはどーにか解決できる」と気が大きくなっているもので、英国旅行に対する心構えは、後に控えるスペイン+ポルトガル旅行に対するそれの正反対のベクトルを示しています。
「宿? 前日かその日に探せばいーよ。いざとなりゃー駅で語り明かしたっていいさ」
「旅程? その日考えればいーよ。最後の日に空港に辿り着いてりゃいーさ」
「時刻表? どーにかなるって。路線がある場所なら1日に1本は走ってるでしょ」
「初日はここら辺に泊まって、翌日は行けたらここら辺、行けなかったらどっか。次の日は……」

 …………ああ、本来の旅の気楽さが滲み出ている旅行計画。これぞ個人旅行の醍醐味ではなかったか、という感じです。対するスペイン+ポルトガル旅行……計画立てるのもう嫌……吐き気がする……。


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2003年6月8日(日) 素人散髪式
 アイルランドで髪を切るというのは、かなり覚悟が要ります。西洋人の髪質と日本人の髪質は著しく異なるということに加え、毛先を地面と水平にキッチリ揃えて切ることに命を掛けているような美容師が蔓延するアイルランドでは、「シャギーを入れてください」などと言ったところで通じるかどうかも微妙です。シャギーという英語が通じないのではなく、髪が細く髪のボリュームが少ない西洋人には「髪を剥く」という概念がそもそもないようで、一概に彼らの技術が日本の技術に劣るとも言えませんが、平均の話をすれば日本人美容師の方が様々な技術を要し、レベルが高いと言い切ってしまって良いと思います……。

 アイルランドで髪を切った日本人の実体験としては、「髪を湿らせもせずにいきなりパッツン切りされた……」と呆然とする人、アラレちゃんに変身してしまった人、日本人形になってしまった人など……被害の形は様々です。イギリスまで髪を切りに行った日本人留学生もいるほど、この被害は深刻と言えるかもしれません。
 私は今回の1年間の留学をするに当たって、このような話を聞き知っていたので、アイルランドでの1年間、髪を切るつもりはありませんでした。ですから、アイルランドに来る前……つまり2002年5月上旬、友人から紹介してもらった腕の良い美容師さんの元を訪れ、乱暴なリクエストと共にバッサリと髪を切って貰ったのであります。乱暴なリクエストとはすなわち、
鷹瀬 「1年間切らなくても良いような髪型にして下さい」
だった訳で、髪が長くなってもまとめ上げることでかなり長い間対応してきましたが、今年の3月コークで試験を受けた後、パートナーだったクリスティナが髪を切りたいと言い出したことから、いい加減鬱陶しくなってきた長い髪を摘まんで、それなら私もそろそろ切ろうか、と挑戦してみたのであります。
 失敗しても隠せるように、取り敢えずシャギーなどと言っても分からないだろうと思い、過去の写真を見せつつ、「こんな感じで、でも結べる程度の長さに……」とリクエストすると、なんと驚いたことに店員の方から「レイヤーを入れたいのね?」と聞いてきます。これには感動! レイヤーなんて技術を知っていましたか! これは期待できるかもしれません!!
 ――と、舞い上がる私が再び沈下するのは会話開始からたったの数秒後です。会話全文をご紹介しておきましょう。
店員 「どんな感じにしたいのかしら?」
鷹瀬 「えーと、この写真より少し長い程度にして下さい。形はこんな感じで。ギリギリ結べるくらいの長さでお願いします」
店員 「レイヤーを入れたいのね?」
鷹瀬 「っっ!! ええっ! そうです、レイヤーを入れていただけますか?」
店員 「分かったわ」
喜ぶ鷹瀬。急に後ろを振り向き他の美容師に話し掛ける店員。
店員 「ねぇ、誰かレイヤーやったことある人いる?
美容師A 「以前やったことあるわよ」
店員 「そう、それじゃあ彼女をお願い」
美容師A 「OK」
 うっわ〜、美容師5人もいてレイヤー実務経験ある人はたったの1人ですかっ?! しかも「before」って……どのくらい before なんだか……。恐い……これは非常に恐いっす。
 怯える私を更に怯えさせるように、もたもたと手際の悪い美容師。切る前に髪は湿らせたものの、いきなり始まる地面と水平のパッツン切り。不十分なシャギー。
 しかし結果的に、覚悟していたよりもまともに仕上がり、日本人たちの間でも
「へぇ! 良かったじゃん。まぁまぁ普通だし。アイルランドでこれなら全然OKだよ!」
と、好意的な採点を付けられたのでした。試験後で気が大きくなっていたこともありますが、33ユーロならまぁOKかな、と。

 以上のような経緯を経て、3月に一度髪を切っているのですが、失敗を恐れて「結べる程度の長さに……」と言ってしまったために、現在既に鬱陶しい長さに逆戻りしており、今度の夏のスペイン+ポルトガル旅行を前に、長い髪では色々面倒ということから、再び髪を切る決意をしました。しかし今度は美容院に駆け込むのではなく、友人に頼むという面白企画の下での散髪式です。
 アイリッシュの美容師よりも、素人の日本人を選んでしまうほど彼らを信用していない訳ではありませんが、30ユーロの出費を抑えたいことや、単に面白そうということから、最も器用そうな仲良しの友人に頼み、そよ風の吹く庭でゴミ袋を頭からかぶり、約2時間かけての散髪式。頼んだ友人が思った以上に器用で小粋な知恵を披露してくれるので、出来上がった髪型にも120%満足しましたし、その上、この散髪式そのものにも200%満足したという大々満足のイベントになったのであります。
 プロのアイリッシュには万が一にと「結べる程度の長さに……」と言っておきながら、素人の日本人には「バッサリ行っちゃって!」とかなり短く切ってもらい、本日ワタクシ去年日本から渡愛した当初の髪型に戻りました。スッキリ〜。

 散髪の後にパンケーキを作って食べて……ああ……アイルランドにいると(……ってか、単に時間に余裕があると、なのかも)本当に生活が素朴で楽しいです。


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2003年6月9日(月) 引き摺るスペイン
 明後日から英国旅行だと言うのに、そのことでは全く頭を働かせておらず、未だに寝ても覚めてもスペイン旅行計画を立てている……という状態から抜け出すことが出来ません。徐々に固まりつつある計画表を前に、時折にんまりすることもありますが、基本的には頭を抱えたくなるような難関がちらりほらりと残っているので堪りません。
 スペインからポルトガルへの移動連結が上手く行かず、スペイン国鉄ポルトガル国鉄のWebサイトを見比べながら、スペイン国鉄サイトのそこここに現れる「この時刻表の有効期限は2003年6月14日まで」という表記に悩まされつつ計画を立てている訳ですが、夏時間の時刻表の更新をしていないだけなのか、本当に6月14日以降にはその電車が走らなくなるのかの見極めがつかず、恐らく更新していないだけと踏んだワタクシ、「しっかり働け! スペイン人!」と理由もなく八つ当たったりする日々を送っております。早くこの計画地獄から脱して、旅行を楽しむ体制に突入したいのですが、まだまだ先は長そうなので、いい加減ウンザリします……。

 スペイン国鉄とポルトガル国鉄のWebサイトを見比べながら、「どこか一箇所でヨーロッパ全線の一括管理してないんかい……」という思いに駆られ、「ヨーロッパを一括管理する代表国って言ったらどこだろう……」とふと思いを巡らせたとき、思考が行き着いた先は「ドイツ」でした。
位置的にも中心だし、気質的にも鉄道の時刻表管理とか得意そう……。
 強引な思考回路ですが、私のこの乱暴な直感能力、結構侮れたものではなかったのであります。
 ドイツ国鉄のWebサイトで他国情報を入力して時刻表を検索すると、出るわ出るわ統括情報! さすがドイツ!!

 そんな経緯を経て、スペイン国鉄(RENFE)、ポルトガル国鉄(CP)に加えてドイツ国鉄(DB)のサイトを絡めつつ、宿の都合上、確実に移動しなければならない経路の詳細を固めているところなのですが、この統括管理サイトでの検索結果と各国の検索結果が微妙に異なるので気が狂いそうです……。恐らく他国との兼ね合いのないローカルな列車に関しては各国の時刻表の方が正しいのでしょうが、ドイツ国鉄のWebサイトの使い易さに、ついついこちらを信じたくなってしまいます。

 今回のサーチに関しては、基本的にどのWebサイトも明確で使い易かったのですが、ドイツ国鉄の時刻表検索ページの「痒い所に手が届く」的な配慮に少々ウットリしてしまいました。しかしスペインやポルトガルも負けていません。シンプルですが分かり易く、英語表記にも簡単に切り替えられ使い勝手は良好です。ドイツ国鉄の検索ページは英語表記に切り替えるのに、少々裏技ちっくな操作をしなければならないため、多くの人は入口で英語を求めて彷徨い、英語検索まで辿り着かないのではなかろうか……という感じなので、もしかしたら大々的な一般公開は避けているのかもしれません。

 何にしても時刻表をダウンロードしまくり、Word とExcel で自分用の時刻表を作成し、スケジュール表を作り……すべては「効率良く! 安く!」がキーワードなのですが、この計画を立てる時間をお金に換算したら、12ユーロの安宿に泊まらずに30ユーロのホテルに泊まれるのではなかろうか……と切ない考えがよぎります。ま、基本的には好きだからやっているんでしょうけどね。


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2003年6月10日(火) 小休憩
 明日に控える英国旅行。


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2003年6月11日(水)〜18日(水) 英国旅行記
 詳細は追って書きます。


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2003年6月19日(木) 忍び寄る荒廃
 今年初めの試験コースで苦楽を共にしたオーストリア人のクリスティナが、10ヶ月間のアイルランド滞在を終えていよいよ帰国します。よくよく考えてみれば彼女は19歳で私とはひと回り弱の年の差があるのですが、彼女が落ち着いているからなのか、単に相性が良かったのか、「物凄く仲良し」という訳ではありませんが、地味に仲良くしていたため、彼女の帰国を寂しく思うのでした。
 もう残された日数も数日ということで、今日は2人だけでパブに行ってやはり地味に語り明かしたのですが、聴く話すに関してほぼネイティブ並みに見える彼女は、さすがに私とは普段の生活から拾える情報量が比較にならないほど違うなぁ……と羨ましくなってしまいました。
 ――と同時に、聴きたくも無いまで情報を拾ってしまえるため、「エニスは良いねぇ」とも言っていられないようです。
鷹瀬 「イギリスは、何だか期待していたほどではなかったな。人も無愛想で基本的に不親切だしさ。やっぱりアイルランドって良いな〜ってしみじみ思ったよ。ま、でも帰りにダブリン(アイルランドの首都)に寄った時、やっぱり空気が殺伐としていたから、アイルランドと言うよりも、単にエニスが良いのかもしれないけど。エニスは平和で良いよね〜」
K 「私もそう思っていたけど、最近そうでもないみたいだよ。私の友達の彼氏がアイリッシュなんだけど、ついこの前、パブの帰りにいきなり棒で殴られて、気が付いたらお財布とか盗まれてたんだって。スペイン人の子が3人でパブに行ったら、その内2人がスリに遭ったって。この前スーパーで並んでいる時、後ろの若い子たちがお金を盗んだとか盗まれたとか話してたし……。トーコ、もうエニスだって平和じゃないのよ」
 私が知らなかっただけで、こんな人口たかだか2万人程度の素朴な町エニスでさえオヤジ狩りがあるなんて……かなりショックです。
 勿論大都会に比べて依然として犯罪は少ないかもしれませんが、人口と比較した場合の犯罪率はもしかしたら世界中どこも同程度……とまでは行かずとも、どこも悪化しているのは確実なのかもしれません。


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2003年6月20日(金) 使えないUSIT
 後で書きます。
公衆電話で10分待たされる。電話口の10分というのは体感時間で1時間に匹敵します。これは放置されている状況なのか、それとも待つべきなのか、何度切ってしまおうかと思い悩んだことか。


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2003年6月21日(土) 小休憩
 私の次に今のフラットに入居を希望している友人と、大家さんを引き合わせるべく少々奔走しました。


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2003年6月22日(日) 小休憩
 フラット引き継ぎ完了。


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2003年6月23日(月) これぞアイリッシュ!
 多少荒んで来たとはいえ、それでもほのぼのとした場面を感じてしまうアイルランド。本日ファーストフードでチップス(フライドポテト)を購入した際の出来事です。1.25ユーロのチップスを購入し、支払いの際に2.25ユーロ(2ユーロ+20セント+5セント硬貨)を渡し、1ユーロのお釣りを待ったのですが、お釣りを貰えず……
鷹瀬 「あの……お釣りは……? 今、2ユーロ渡したんですけど……」
店員 「? 1.25ユーロだったわよ?」
鷹瀬 「え……? そうでしたか……??」
 おっかしいなぁ、2.25ユーロ渡したと思ったんだけど……気付かなかったのかなぁ……私が間違えていたのかなぁ……。と店を出て暫く腑に落ちない思いを抱えて歩いていると、後方から先程の店員が走って私を追ってくるではありませんか。
店員 「ごめんなさい! さっきのは2ユーロだったわ!」
 うわもう感動……っ! やっぱ人が良いよアイリッシュ! 私が店員だったら「まぁいいや」とか言ってそう。
 そして話はここで終わらないのであります。追って来るついでに1ユーロを持ってくれば良いものを、そこは人が良くても手際の悪いアイリッシュ、丸腰で私を追って来たようで、店まで戻るように私に声を掛けます。彼女と連れ立って店に戻ると、他の店員が彼女に「良かったわね、間に合って」などと声を掛けています。そして、彼女は私に「ごめんなさいね、ハイ、これ」と言いながら、レジから取り出した2.25ユーロを私に渡したのであります……。
 ……なんで? 1ユーロでイイと思うんですけど……。とりあえず貰えるものは貰っておけの精神で生きているワタクシ、にっこり笑って「ありがとう」と言いつつ2.25ユーロを握り締め、急いで(←ポイント)店を後にしました。

 店からかなり離れたところで右手に握られた2.25ユーロを確認し、やはり「……なんで?」という思いに苛まれるフツーの日本人、鷹瀬。これは「間違えちゃってごめんなさいね」という意味での全額返金という意味なのでしょうか……それとも……。
 そんな思いを持て余してポテトを摘まみながら歩いていると、偶然友人に出会います。そして今の出来事を彼女に話すと……
友人 「うっわ、バッカだねぇ。やっぱアイリッシュだよ! 頭悪いんだから!」
鷹瀬 「これってやっぱ間違えたのかなぁ? お詫びのつもりじゃなくって?」
友人 「違うでしょ? 単に間違えたんだよ。お金返した時、何て言ってた?」
鷹瀬 「え? お金は返さなかったよ。2.25ユーロそのまま貰ってきちゃった……」
友人 「えぇ?! ……トーコもトーコだよね」
鷹瀬 「てへへ。だってくれるものは貰っておかなくちゃ。でもさー、やっぱアイリッシュって親切だなぁって思ったよー。わざわざ追って来てくれてさ。私が店員だったら『まぁいいや』とか思っていそうだし」
友人 「えぇ?! 私だったら追うけど。…………トーコもトーコだよね」
 この会話から何が分かったかと言うと、アイリッシュが親切ということだけではなく、アイリッシュが余りお利口さんではないということと、私が一般平均以上に汚い人間だということでしょうか……。


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2003年6月24日(火) スペイン旅行心構え
 22日間の南国旅行を控え、日焼け止めクリームは購入済みですが、サングラスを購入すべきかかなり悩みました。眩しいであろうことは想像に難くないのですが、それでもサングラスを使うことで景色の色が変わってしまうため、今までどんなに眩しい場面でもサングラスを使わずに来たからです。
 どうせなら物価の安いスペインで購入すれば良いと思うのですが、安いサングラスを探すことで観光の時間を削りたくはない。しかも余り安物を買っても視界が歪むなど、結局使わない羽目に陥るのでは……と思う反面、余り良い物を買ったところで、今後の人生でサングラスを使う気はせず、今回の旅行のためだけに買うのもなぁ……と、どうにも買う気が起きないのです。このように散々悩んでいた私の背中を押したのは、つい先日まで北スペインに1週間ほど行って来た子からのこんなアドバイスでした。
「もう焼けた焼けた。1週間の旅行だったけど、そばかすも増えたよー。顔も腕もそばかすだらけだ。南に行くの? 北でこんな状態だからね……覚悟した方が良いかも。サングラス? 絶対に必要でしょう! 私、帽子かぶってサングラスしてたけど、それでも目が太陽にやられて眼球に水ぶくれが出来ちゃったもん
 サングラス購入決定ーッ! ってか、恐いんですけど……。

 結局エニスの雑貨屋で試着してみて、デザインよりも機能重視で、視界が歪まない、それでいて安いものを選んで10ユーロ。しかし1400円という半端な価格のものを購入すると、旅が終わったからといって捨てるには勿体無い、一生持つにはちゃち過ぎるというどこまでも半端な存在なんだな……と実感したのは、サングラスを購入してから10分後だったのであります。

【後日談】
 結局、当初の予想通り、サングラスを掛けると景色の色が変わってしまって楽しみが半減したため、多少眩しくてもサングラスを使わず、22日間の旅でサングラスを使用したのは合計2時間ほどでした……。勿論、眩しいことは眩しくて、常に目を細めていたためか眉間や目頭が痛くなることもありましたが、それでも眼球に水ぶくれが出来るほどではなかったので、恐らく彼女は目の調子が悪かったか、元々目が弱かったのではないかと……。


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2003年6月25日(水)〜7月16日(水) スペイン+ポルトガル旅行
 早く書きます。


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2003年7月17日(木) 帰国実感
 昨日、灼熱の国スペインから戻って来た訳ですが、空港に降り立つと同時に肌寒く、旅行中「何で持ってきたんだっけ……」と後悔したカーディガンを早速羽織り、バスを待っている間に降り始めた雨に、やはり旅行中「何で持ってきたんだっけ……?」と後悔した折り畳み傘を開き、ああ、アイルランドに戻ってきたんだなぁ……としみじみ実感しました。
 しかしいきなりの雨に「やっぱアイルランドよねー」と思っていると、どうやら私が旅行していた間、アイルランドも晴天・高温の真夏日が続いており、寒さに慣れたアイリッシュにとっては「暑くて眠れなかった……」というほどの日々だったようです。この前のイギリス旅行のときもそうでしたが、なぜ私がいないときばかり良すぎる天気が続くのでしょう……。私が帰ってくる度に「久し振りの雨」に見舞われ、もしかして私ってば本格的な雨女なのかなぁ……と思ってみたり……。


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2003年7月20日(日) やはりかなり好きエニス
 旅行から帰ってきて、数日間スーパーに食料品の買い出しとネットカフェに外出したものの、基本的には家に篭って旅日記+1000枚以上の写真の整理に没頭していましたが、さすがに寝ても覚めてもPCに向かって作業……という状況を4日間ぶっ通しで続け、ついには気持ち悪くなってしまったので、本日久し振りにプールに行き、エニスの町をぶらつきました。すると今までも認識してはいましたが、当然のこととして受け止めてしまっていたため、取り立てて何も思わなくなってしまったことを再確認したのであります。
 歩いているだけで「How are you?」と声を掛けてくる人々。細い道で鉢合うと、自然と道を譲り合い、譲れば当然にっこり微笑んで「Thanks」。そろそろ帰国ということで、天気の良い日を選んでエニスの町を写真に収めているのですが、カメラを構えて普通の家の庭などを撮っていると、それを見掛けたご近所の住人が「写真を撮っているのかい?」と声を掛けてくるし。「とっても綺麗だから」と答える私に、満更でもなさそうに笑って、「この辺に住んでるの?」と聞いてきたり……。今日、たかだかプールに行って帰って来る間の数時間の間に、何人もの人と言葉を交わしたよ。笑顔を交わしたよ。ああ、やっぱり良いわ、アイルランド。

 まぁこの前イギリスから帰ってきたときに首都ダブリンの街を歩きましたが、道行く人は顔をしかめ、セカセカと歩いていたので、アイルランドが良いと言うよりも、エニスの町が良いのかもしれません。エニスを選んで良かった。本当に良かった。しかも観光シーズンに突入した今、町中に花が飾られ、海外旅行をして綺麗な景色に感動していた私が、「何だ、エニスの町も物凄く綺麗じゃない!」と、足元にある幸せに気付くチルチル・ミチル状態。

 ポルトガルの旅は、エニスの魅力を再確認するために必要な旅だったと言えるかもしれません。


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2003年7月22日(火) イスラム教徒の考え方
 リビアについては2月5日の日記でも少々触れていますが、とりあえず基本情報だけは繰り返しておきましょう。
 北アフリカ、地中海に面しているエジプトとアルジェリアに挟まれた石油大国リビア、イスラム教徒の国です。私の通っていた語学学校には何故かリビア人が多く、私自身が直接親しい訳ではありませんが、私の友達がリビア人と比較的親しくしており、そんな彼女がこんなことを言ったことから、イスラム教徒の基本的価値観の違いを考えさせられました。
彼女 「いやぁ〜、何かリビア人ってやっぱりもう根底の価値観が違うと言うか、この人たちとは分かり合えないな、って思ったよ。個人個人はとても良い人たちなんだよ? なんだけど、文化の違いが壮絶で、これはもう仕方ない、分かり合えないと思った」
 具体的にどういう経緯で彼女が上記のような考えに至ったのか説明しましょう。
 まず、彼女がリビア人男性からこう聞かれたところから話は始まります。
リビア人 「日本では結婚前にセックスするのは当然なの? それは文化的なもの? それとも宗教的なもの?」
 彼女が「まぁ、割合から言ったら当然かな。勿論しない人もいると思うけど、少ないと思う。私たちの多くは宗教を持っていないので、文化的なものかなぁ」と答えると、まず彼らにはそれが理解できない、と言うのです。イスラム教国であるリビアでは、公衆の場で男女が手を繋ぐことすら許されておらず、結婚前のセックスなど以ての外、強姦罪は死刑です。確か浮気も死刑だったと思います。個人的に「強姦罪は死刑」というのは大賛成ですが、それゆえに強姦する側も命懸けで、リビアで強姦された場合は「証拠隠滅のために砂漠に捨てられる」という定説もあり、「イスラム教国メチャ恐い」というのが正直な感想です……。
 話は逸れましたが、リビア人は更にこんな質問をしてきたと言います。
リビア人 「日本では結婚相手を見付けるのは難しいの?」
 現代社会に生きる日本人で、結婚相手を見付けるのが簡単と思っている人は一体どれだけいるでしょう……。当然彼女は「そりゃ、難しいと思うよ」と答えました。すると、やはり彼らにはそれが理解できない。
 ――では、リビアではどうやって結婚相手を探すのか?
 そもそも女性は公衆の場では顔を隠さねばならず、その上公衆の場で男女が話をすることもままならない国で、結婚相手を探すとなれば、そらもう果てしなく難しいか、果てしなく簡単かのどちらかでしょうとも。そして上記の問い掛け方からもお分かりのように、果てしなく簡単なのです。
リビア人 「街で見かけて『あ、あの子可愛いな』って思ったら、僕の親がその子の親の所に申し込みに行けば良いだけじゃないか。相手に婚約者がいなければこっちから結納金を提示して、相手が了解すればそれで結婚成立だよ」
 ………………君たち「恋愛」って知ってるかい……?
 しかも「あの子可愛いな」も何も、公衆の場で見かける女性は目以外はすべて隠している訳だから、この可愛いというのも「瞳の輝き」で判断するしかないという……ある意味純粋だって??
 とにかく、こんな感じで結婚を決める訳ですから、そら難しくないでしょう。断られた場合、また次の「可愛いな」と思う子を見付ければ良いだけで、これってスーツを選んでいるのと同じ感覚ですから。店で見かけたスーツを気に入ったら購入決意。売約済みなら他のスーツを予算内で……ということでしょう。
 思ったのは、そもそも彼らには私たちが言うところの「愛」があるのかなぁ……という基本的な疑問です。

 彼女のフラットにはたくさんの人が出入し、頻繁にパーティーなどを開いており、そこにリビア人たちもちょくちょく顔を出すようですが、妻帯者のリビア人男性が奥さんを同伴したことはただの1度もないという事実もあります。また、エニスに住む外国人カップルで、中国人やアフリカ人、インド人は夫妻(+子供)仲良く連れ立って歩いている場面をよく見かけるのですが、アラブ人が夫妻で一緒に歩いている場面はほとんど見かけません。スペインで同じアラブ人家族を違う場所で3回見かけましたが、気温35度の中、旦那と3人の子供は半袖Tシャツに短パンにも関わらず、毎回奥さんだけが目だけが見える民族衣装を身にまとっており、一体どれだけ暑いんだろう……と気の毒になってしまいました。
 更には、友人(日本人女性)からこんな話を聞いたこともあります。
日本人女性 「私とB君(ベルギー人男性)とL君(リビア人男性)で道を歩いていた時のことなんだけどね。B君は元々紳士で、徹底したフェミニストなんだけど、彼が私に前を歩くように言ったのね。そしたらL君が『俺の前の女が歩くなんて言語道断!』って言ってさ。B君が『女の子に後ろを歩かせるなんてとんでもない。何かあった時に直ぐに助けられないじゃないか!』って言ったら、L君、『横までは許せても、女が男の前を歩くなんて許せない』って言ってたのが印象に残ってるなぁ……」
 リビア人男性が全員そうだとは言いませんが、色々話を聞くにつけ、彼らにとって女性はあくまで子供を産んで育てるだけの道具で、人生のパートナーという位置にはなりえない気がします。妻を3人まで娶ることが出来るという一夫多妻制も、本当に誰かを愛したら他に2人の女性と結婚する気なんぞ起きないだろうと日本人常識で思うのですが、彼らにとって妻の数はそのまま豊かさの象徴、社会ステータスの一環であり、「結婚」の定義がまるで違うということを理解する必要があります。
鷹瀬 「奥さん同士の中で嫉妬とかはないの? 3人の奥さんの内の1人だけが物凄く好きとかないの?」
と聞いたことがありましたが、
リビア人 「絶対に平等に扱うから、妻たちの間に嫉妬とかはない。例えば妻に何か贈り物をするときは、絶対に同じ物を3人に贈るし、1人だけに贔屓するようなことはない」
と言い切っていました。…………複数人にキッチリ平等に注げる感情って、「義務感」や「習慣」であって、「愛」じゃない気がするんですけど……。
 何と言うか、女性は持ち物と一緒なんだな、と思いました。だから「多く持っている方が良い」という単純明快な意識がまかり通っているのでしょうし、常に男性の買い手市場。勿論、世界の情報が簡単に入手できる昨今では例外的な人もいるとは思いますが、多数派でないのは確実です。これは宗教および文化から来るものなので、いくら世界が拓けた現代でも、そう簡単には変わらないと思いますし、ここまでの価値観の差があると、良いとか悪いという結論ではなく、「分かり合えない……」という感想以外出てこないのでした。

【追記】
 友人と私のこんな会話も、参考までに明記しておきましょう。
鷹瀬 「前にA子が『ムスリム(イスラム教徒)の国には絶対に行きたくない』って言ってた理由が最近よく分かるようになって来たよ……。この前スペインで出会ったバックパッカーの女の子も、『ムスリムの人は、イスラム教徒以外の女には何しても良いと思っている』って言ってたなぁ……」
友人 「ああ、それは本当だよ。こっちに来てるリビア人とかもさ、自国で抑制されてるから、その反動なんじゃないの? 何だかもう『手当たり次第!』って人が多いもんねぇ。モロッコとかも凄いよ。ウザイくらい言い寄ってくるし、1日に何度結婚を迫られたか」
鷹瀬 「げぇ……。それってやっぱ遊びたいからなんだよね?」
友人 「中には本当に外人と結婚したい人もいるみたいだけどね」
鷹瀬 「え? でもそういう人って、外国の女は自国の女みたいに扱えないって知ってるのかな?」
友人 「知らないでしょ」
鷹瀬 「そもそもどうして外人と結婚したいんだろ?」
友人 「結納金を払わないで済むから
 こっわ〜……。本当に恐いわ、イスラム教徒の国……。


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2003年7月23日(水) 世界中どこも末期
 日本が世界基準で見て荒んでいるというのは(少なくとも私の周りにいる)日本人留学生の中ではもっぱらの共通認識ですが、私が滞在しているアイルランド一大きな町エニスでさえも、「1年前に比べて荒んで来ている」と、この町に長期滞在している友人から聞き、衝撃を受けました。
 まず、この穏やかな田舎町エニスにさえ、人種差別があるというのです。
鷹瀬 「この前、道で先生(アイリッシュ女性)に会った時、『スペインとポルトガルはどうだった?』って聞かれてさ、『良かったけど、エニスの良さを再確認しましたよ。安全だし、穏やかだし、親切だし』って言ったら、先生、さも意外そうに『ええ?! そうかしら?』だって。『今、夏のコースでスペイン人の学生が大勢来ているんだけど、その子たちがパブに行ったとき、アイリッシュの女の子がスパニッシュの女の子を理由もなく殴ったのよ』って、先生が言ってたんだけど……いくらなんでも『理由もなく』なんてことはないよねぇ?」
友人 「いやぁ、最近分からないよ。本当に理由もなく絡んで来る人とかいるからね。この国の人種差別も年々酷くなってるし
鷹瀬 「人種差別? これって人種差別なの? 相手が西洋人でも? 東洋人なら分かるけど……」
友人 「西洋人も差別対象だね。要するに、『アイリッシュ以外』を嫌悪してるって言うか……。S君(スウェーデン人男性)とか、パブでしょっちゅう因縁つけられてるし。理由なんか、例えば『英語のアクセントが変なんだよ!』とか、そんな理由だよ。結局、理由はないんだよね。足引っ掛けられたり、ビール瓶投げ付けられたりしたこともあったらしいよ」
鷹瀬 「ええっ?! 知らなかった……。でも私、そんな目に遭ったことないし、それこそ学校の友達とかで、そんな目に遭ってる人はいないよね?」
友人 「トーコ、パブとかナイトクラブに行かないもんねぇ。それに、女の子にはさすがにそういうことはしないみたいだよ。女の子は別の危険があるからね」
鷹瀬 「でもだからって別に強姦とかする訳じゃないでしょ? 単にしつこく迫られるとかだけで」
友人 「まぁ、それはそうだね。しかもそんなにしつこくもないし」
鷹瀬 「それなら一応合意を求められてるんだから、いきなり因縁つけられるより全然イイよね。自力で回避できるじゃん。女で良かった……」
友人 「そういう考え方もあるか」
鷹瀬 「でも、そういう人種差別って最初からじゃないでしょ? 私、この国は他の国に比べて人種差別の雰囲気は少ないと思うんだけど……」
友人 「うーん……ここ最近酷くなってきた、って感じなんだよねぇ。私の知り合いに黒人のアフリカ人がいるんだけど、その人、2年前にアイルランドに出稼ぎに来たのよ。その人が言ってた。来た当初は皆親切で、『どこから来たの? 独りで頑張ってるね』って労ってくれてたのに、今では『国に帰れ!』って言われるって」
鷹瀬 「それはやっぱり外国人が色々問題起こしてるから?」
友人 「それもあるだろうし、何よりもまず、移民が増え過ぎたのが問題なんだよね。さすがに今は取り締まりも厳しくなって入国制限が掛けられているけど、問題は既に居付いてしまった不法滞在者なんだよねぇ。町で見かけるアフリカ人とか絶対に子供連れてるじゃない? あれも、こっちで子供を産むと、子供がアイルランド国籍を取得できるし、国籍が取得できれば、あとはアイリッシュと同じだけの権利を得ることが出来るからなんだよ。だから、不法滞在した挙げ句に子供ぽこぽこ産んで、こっちに住み着くアフリカ人とかかなり深刻な問題になっていて、こういう移民たちをどうにか一掃出来ないか、って裁判している最中なんだよ。この裁判で国が勝てば、同じような例の1万人くらいの移民を一掃出来るし、もしも国が負ければ、その1万人は居座ることが決定だから、結構注目を集めている裁判なんだって」
鷹瀬 「それは移民を追い出そうというアイルランドと、残りたいっていう移民の間での裁判なの? そういう裁判をこの国でしたら、それはアイルランド政府が勝つに決まってるんじゃないの? 大体、不法滞在している移民がどうやって裁判起こせるの?」
友人 「それはご親切なアイリッシュの人権保護団体とかが、移民のために裁判する訳よ」
鷹瀬 「はぁ〜……何だかどこにでも過剰に親切な人がいるもんなんだねぇ……」
友人 「アイルランドもさ、特定の黒人を経済難民として受け入れてて、住居まで用意してあげてるんだよ。しかも、訳が分からないんだけど、彼らに居付いて欲しくないからって、働くことは禁止しているのね。それはいいんだけど、それじゃあ生きて行けないから、ってんで1人当たり1日30ユーロ(4200円)の生活補助金を出してるの。しかもこの国、人口たかだか360万人くらいだってのに、戸籍管理なんかしてないから、隣接する各州に名義を登録して、3〜4つの州から重複してこの生活補助金をせしめている黒人も実際にいるんだよ。無職にもかかわらず、アイルランド政府から1日120ユーロの支給を受けてるアフリカ人とか、実際に知ってるし。ま、嫌われて当然だよね」
鷹瀬 「そのお金って、アイリッシュの税金から支払われているんでしょ? どうして怒らないんだろうね……」
友人 「知らないんじゃないの? それに、馬鹿だから」
 実際、働いている黒人は少ないのに、町に子供を連れている黒人はゴロゴロいて、「一体この人たちはどうやって生きているんだろう」と疑問に思っていたのですが、なるほど、上記のような理由があったのです。
 エニスは特に黒人(ナイジェリア人)の受け入れ先として名乗りを上げているらしく、他の都市に比べても黒人が異様に多いのですが、この「経済難民受け入れ」という極々普通のシステムを見ても、様々な国の政治の腐敗を見ることが出来ます。

 まず、エニスが受け入れる対象としているのは「経済難民」と認定される人々なのですが、この難民指定はナイジェリアで行われており、そこには「難民指定斡旋業者」なるものが介在しているのだそうです。そしてこの斡旋業者は所謂エージェントですから、手数料さえ支払えば誰にでも「難民」の認定をしてくれる、というのです。これはどういうことかというと、ナイジェリア国内で比較的裕福な人間が、更なる金儲けをしようと両国からお墨付きで国外に渡る手段として、この経済難民受け入れ制度を利用しているということです。
 本当に貧しい人々は難民を受け入れている国外に出ることなど許されず、既に金持ちとして経済的に余裕がある人間が、海外で荒稼ぎをして更に裕福になって国に戻る。――どこの国でも「貧しい者はより貧しく、金持ちはより金持ちに」という図式が成立しているんだなぁ……としみじみ思いましたね。

 要するにどこの国も、国を動かす法律やシステムを作っているのは極々一部の限られたお偉いサンで、世の中はこの「お偉いサン」たちに権力、財力が集中するように出来ているのです。作り手に有利な構造になっているのは、もはや当然とも言えます。こうして搾取のピラミッドが成立し、その他大勢の下々は、お偉いサンの生活をより良くすべく、黙々と労働力を提供していると、そういう訳なのです。
 これも下々が賢かったり強かったりすると、そもそもこのピラミッドは搾取する側に数で勝てるように出来ているので、一致団結して上を突き上げ、自分たちの生活を改善するように押し迫るのですが、例えば日本では、下々が賢くならないように仕組まれた骨抜きの教育制度に加え、生まれ持った「謙遜」「協調性」「生真面目」という国民性をブレンドし、更には「出る釘は打たれる」という社会に蔓延する雰囲気でトドメを刺しているため、この搾取のピラミッドを突き崩すのは非常に難しいと言えるでしょう。
 下々の中で「こんなのオカシイ! 改善しようよ!!」と声を上げる者がいると、同じく下々の中から「我儘言うなよ」「皆やってるんだし」「非常識な奴め」と自然淘汰の力学が働き、搾取する側であるお偉いサンたちが指一本動かすことなく、下々の中で起こった筈の社会を改善しようとする火種は、下々の中で鎮火して行くのであります。

 さて、話を戻します。
 しかし彼女の締め言葉も凄いっス。この締めはどうかと思いますが、実際問題、アイルランドの法や取締りのめちゃくちゃさ加減を見ると、「馬鹿だから」で片付けたくなる気持ちも少々分かります……。
 まず、「国民総アル中」と言われるほどお酒大好き、アルコール中毒が深刻な社会問題になっているアイルランドでは、条件付きで飲酒運転が可能です。この「条件」とは、「ギネス1パイント(約570ml)以下の飲酒であればOK」ということです。……マジっすか?! 大体、アルコール耐性は人によって違うのだから、1パイントで泥酔してしまう人もいるでしょう。「飲酒運転禁止」というのはそういった体質による個体差を無くすために設定される常識的な判断基準で、ここに条件を付けるべきではないと思うのですが……。
 こんな調子ですから、案の定と言いますか、飲酒運転およびそれにまつわる交通事故は日常茶飯事で、この国の交通事故の率は人口比率からするとかなり高いと聞いたことがあります。

 また、アイルランドはヨーロッパ一、1人当たりのドラッグの消費量が多い国でもあります。私は夜遅くまでパブにいることが少ない上に、ナイトクラブには行った事がないので、ドラッグ使用者を目の当たりにしたことはありませんが、パブに通っている人によると、「ゴロゴロいる」「夜のパブの床はドラッグの残骸だらけ」だそうです。もしかしたら気付かなかっただけで、私がアル中と思っていた人の中に、ドラッグ使用者がいたかもしれません。
 ここでまたよく分からない法律なのですが、アイルランドではドラッグの売買は違法ですが、ドラッグの所持は合法です。……だから、どうやって買わずに所持することが出来るのさ……。ドラッグやってる人は皆庭で栽培でもしとるんかいッ! と、ツッコミ所満載ですが、このような明らかに片手落ちちっくな法律は少なくない国で見られ、この理由は「モノの売買と個人所有では管轄省庁が違うため、適用される法律も違ってくる」からであり、決してアイルランドだけが群を抜いて間抜けという訳ではありません。日本にも似たような例は無数にあるでしょう。

 外国に長く滞在していると、母国同様、その国の悪い面や嫌な面が徐々に見えてくる訳ですが、それでも私は依然としてアイルランドが好きです。そしてアイルランドが好きだと思う理由は、主に「人」です。尊敬しているかと言うと実はそうでもないし、余りお利巧サンではないな……と正直思うし、トホホ……と思うことも多ければ、「お前等いい加減働けやっ!」と思うことすらありますが、それでもそういうところも含めて、日々の生活の中で思わずニッコリしてしまう場面が多いこの国を留学先に選んで本当に正解だった、と思うのでした。
 これは単に相性の問題ですから、万人が私のように大満足するとも思いませんが、個人的には、イギリスでもなく、アメリカでもなく、オーストラリアでもなく、アイルランド(主にエニス)だったからこそ、私はこんなに120%幸せだったのだと思います。

【余談】
 このくらい単純で素直な愛情を、母国にも注いでみたいものです。日本には勿論愛情を注いでいますが、複雑で深刻で、「好き」なんて単純に言えません。しかしこれは私が日本に対して並々ならぬ期待と責任感を感じているからなのでしょう。アイルランドはしょせん他人の国ですからね。そこに何の責任も重みも無く、簡単に「好き」と言えるのかもしれません。


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2003年7月24日(木) 祈りの効果
 私は無宗教ですが、無神論者ではありません。個人的には、神様がキリストや仏、釈迦、アッラーという名を持っているとは思っていませんが、神様はいると思っています。自分の人生の転がりようは、自分で舵を取るものだと思っているため、その神様が私の人生を良い方向に導いてくれるんだ……というふうには余り思いませんが、「んもう、神様ったら私のこと好きなんだから(はぁと)」的なことは、冗談半分本気半分でよく思っています。要するに、かなりお馬鹿で健全で幸せな思考回路なんだと、我ながら思います。

 そんな訳で、幸せを感じると神様の万人に対する普遍的な愛を感じ、目の前で起こる事態が特別珍しかったり面白かったりすると、そこに神様の私への個人的な愛を感じるという非常に独り善がりな発露で神様との付き合いを続けているのですが、事態の改善を求めて神様にお願いすること、つまり、「祈る」ことはほとんどありません。
 はるか昔、受験の頃などに「合格しますように」などと一時的に私利私欲塗れにちゃちく祈ったことはありましたが、いつの頃からか、
「合格しますように、ってアンタ。努力でどうにかなることを神頼みしている場合か。そんな時間があったら勉強しろや」
という思考回路になり、たま〜にするお願い事はもっと漠然とした、己の努力が及ばないもの、具体的には「父の性格が良くなりますように」だとか、「母が幸せになりますように」だとか、「世の中がもっと良くなりますように」だとか、それこそ天の介在がなければどうにもならない事態に対してのみとなりました。

 しかし、神様はいると思っていても、「忙しいんだろうなぁ」とも思っているもので、根っからのモノグサ根性に加え、「しょせん幸せな私の小さな頼みなんか聞いている暇はないだろう」「私の願いを聞く以前に、もっと切実な祈りを捧げている人が世の中にはたくさんいるんだし」という半ば言い訳じみた結論で、普段の生活で祈ることは滅多にありません。ここら辺が宗教を持っていない者の信念のなさ、弱さなのかもしれません。もしかしたら、お気楽さかもしれません。逆に言うと、苦しい状況に置かれた人が宗教に救いを求めるのは、半ば当然の成り行きだと私は思うのです。
 勿論、状況に関わらず宗教を持っている人間は大勢いて、世界レベルで見た場合、無宗教の方が少数派なのではないかと思います。そして、生まれた時から宗教を持っている人間からすれば、生まれた時から無宗教の日本人の方が理解を超える存在であり、彼等からの素朴な疑問、
「死んだらどこに行くと思ってるんだ?」
「祈る時は何に祈るんだ?」
「自分がなぜ生まれて来たと思っているんだ?」

を、宗教観なしに答えるのは一苦労なのです。(※注:「生まれた時から無宗教の日本人」というのは一般的な話であって、勿論、生まれた時から宗教を持っている日本人もいるのは承知しています。ここでは常に一般的な話をしているということをご理解ください)
 私的には、「生まれた時から無宗教」というのは、言わば「生まれた時から宗教を持っている」のと同じで、「無宗教」という宗教に属しているようなものだと思っています。無宗教の人間が人生の途中で何かの宗教に入信するというのは、イスラム教徒として生まれた人間がキリスト教に改宗するのと同じくらい大変なことではないかと思うのです。しかし、こういう考えこそが宗教を持たない人間独特のものなのかもしれません。

 私がどう思おうと、無宗教国日本においては「宗教」に対する警戒心は相当なもので、馬鹿にする傾向すらあると言っても過言ではないでしょう。私個人としては宗教というジャンルに関しては考察の対象外であることが多く、余り真剣に考えたこともなかったのですが、留学して宗教を普通に持っている人たちと話をするようになると、中にはどうしても「宗教を持たない状態」を理解できない人もいて、その人たちと話すことで「宗教を持っている不思議、持っていない不思議」を考えるようになりました。

 さてここで、宗教の有無で、日常生活の中で決定的に違う点は何だろうと考えます。それがすなわち、神様との対話、つまり「祈るか、祈らないか」ということではないかと思うのです。
 そんなことを考えていた折、何気ない話から友人が「祈りには効果があるんだって。ちゃんと学問的に証明されているんだってよ」と言うので、その話の出所を尋ねると、1冊の本を貸してくれました。


「生きがいの本質」 著:飯田史彦 PHP文庫

 結論から言うと、この本は私的にかなり面白く、非常に感銘を受けました。馬鹿にする人は簡単に馬鹿にすることが出来る本ですが、私はこの本から何かを感じ取って、それで人生に対して前向きになれる素直な人の方が幸せで、結局は精神的な自己治癒力が高く、最終的には強いのではないかと思いました。
 私的には、信じる、信じない以前に、この作者の読者への配慮に敬意を抱いています。宗教ちっくとも受け止められる内容を、無宗教で、かつ宗教に対して警戒心を抱く日本人に受け入れ易いように学術的な切り口で調理し、最終章では自分が紹介した様々な実例や論文や研究結果を、「これらは事実ですが、それに付随する私の考察はすべて仮説であり、道具であり、これらを加工して自分なりに人生をより良く生きるために使って貰う事こそが、本書の目的です」と明言している点に、この作者の理知的で肯定的、寛容な人間性を垣間見ることが出来ます。
 心が丈夫で、人生に何の疑問も持っていない人には無駄な本ですのでお勧めしませんが、やはり何かしら疑問や不満や不安がある方にはとりあえずお勧めしてみたい本です。その結果、「け! 馬鹿馬鹿しい」という感想を抱かれた場合には、スミマセンとしか言えませんが……。

 話を「祈りの効果」に戻しますが、上記の本の中でまさしく「祈ることの効果」と題される章があり、それが非常に面白かったので、一部抜粋しておきます。
 元カリフォルニア大学の心臓学教授であったアンドルフ・ビルドは、サンフランシスコ総合病院で、次のような実験を行いました。
 まず、心臓治療ユニットに入院した393人の患者を、コンピュータを使って、ランダムに2つのグループに振り分けました。A群は「祈ってもらうグループ」(192人)で、B群は「祈ってもらわないグループ」(201人)でした。
 この振り分けは、臨床実験で用いられる厳密な基準を適用して行われ、しかも、患者本人は勿論のこと、医師や看護婦にも、どの患者がどちらのグループに入るのかは知らせませんでした。もしも本人に知らせてしまったら、「自分は祈ってもらっている」という喜びが「心の治癒力」を引き出して、実験結果に影響を与えてしまうかもしれないためです。また、医師や看護婦に知らせてしまうと、やはり「この患者は祈ってもらっている」という先入観が、治療に何らかの作用を及ぼしてしまう危険性があるためでした。
 次に、「祈ってもらうグループ」に振り分けられた患者達のために「祈ってくれる人」たちを、全国のローマ・カトリックとプロテスタントの教会から募集しました。そして、ひとりの患者に対して5〜7人程度、「祈ってくれる人」を割り振ったのです。その「祈ってくれる人」たちには、患者の名前と病状を教え、その人たちのために毎日祈ってくれるように依頼しました。ただし、祈り方については何の指示も与えず、祈る人それぞれの祈り方に任せておきました。
 その結果、驚くべきことが判りました。祈ってもらった患者たち(A群)の方が、祈ってもらわなかった患者たち(B群)に比べて、病気の進行が明からかに遅かったのです。

1.A群はB群に比べて、抗生物質を必要とした患者が、6分の1の人数にとどまった(3人:18人)
2.A群ではB群に比べて、心臓疾患により肺気腫になった患者が、3分の1の人数にとどまった(6人:18人)
3.A群では、喉に人工気道を確保する気管内挿管を必要とする患者はいなかったが、B群では12人の患者が必要とした

 この実験によって、「心」が遠くの出来事に影響を及ぼすことができるということ、つまり「祈る」という行為が、何100マイルも離れた心臓治療ユニットにいる患者の症状の経過に、大きな影響を及ぼすことができることが明らかになりました。
 長くなるので、この本に書かれている実験結果などをまとめると、以下のようになります。
(1)祈りは距離に無関係
(2)祈ってもらう主体が厳しい状況に置かれている時ほど、祈りの効果は大きい
(3)祈りの量は効果に比例する
  →長く祈れば祈るほど、効果は大きい
(4)祈りが効果を持つためには、誰(何)に対して祈っているのかを明確に意識する必要がある
  →「世の中の病気の人々」に祈るよりも、「病気のAさん、Bさん、Cさん……」に祈った方が効果がある
(5)祈りの経験の長い人の方が、経験の少ない人よりも効果を生む
  →普段祈ったことの無い人の祈りよりも、普段から祈っている人の祈りの方が効力がある
(6)指示的な祈りよりも無指示的な祈りの方が効果がある

 それぞれの結論を導き出すために行われた研究は非常に興味深く、「研究というのはこうやって行われるのか」と感心してしまいました。また、もっと基本的に、このような研究が行われていること自体にも大変感銘を受けたのですが、特に面白いのは(6)です。これは一体どういうことかと言うと、指示的、つまり具体的な祈りを捧げるよりも、無指示的、つまり漠然とした祈りの方が効果があるというのです。
 一連の実験を行ったラリー・ドッシー医学博士は、この現象をこのように解説しているそうです。
 健康を損ねたとき、問題が起きたとき、我々は自らが最も望む結果になるように祈ってしまいがちだ。我々は、最適な状態はどうあるべきかを知っていると信じており、すぐに宇宙に対して、どうすべきかを命令してしまうのだ。腫瘍は消えるべきだ、苦痛は減るべきだ、我々はもっと繁栄すべきだ、と祈ってしまう。
 しかし、少し考えれば、自然が果てしなくこうした方法を享受できるわけではないことが分かる。祈りがすべて叶えられて健康が取り戻せるとすれば、死ぬ者などいなくなるだろうし、地球はとうに人で溢れ、とても住める状況ではなくなっているだろう。死は、自然の中に織り込まれたものである。我々はすべての破局に対して、いちいち神の救済措置を祈るべきではないのだ。我々の感覚は、死が自然なものであり、それに相応しいときがあることを教えてくれる。
 では、いつ祈るべきなのか。治療のためには、いつ祈るのが最適なのか。人間の限界を考えれば、我々がいつ祈るのがいいのかを、知ることはないのかもしれない。それでは、危機の際の対応を、より高次の宇宙的な知性に決定を任せて、無指示的な祈りを捧げるべきなのか。無指示的な祈りの方が効果が高いという事実を踏まえれば、そういうことになる。「私の意思が叶えられる」ではなく、「すべてお任せする」と祈った方が良い。つまり、「正しい」ことのために祈るのだ。

 何分、単純で影響を受け易い私ですので、この本を読んでから毎日のエクササイズ、英語の勉強、日記という日課に加えて、寝る前のお祈りが加わったことは言うまでもありません。


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2003年7月26日(土) 小休憩
 最近、エニスに来て良かった〜……としみじみ思います。エニスにあって他の都市にないものの代表格と言えば「パブ音楽」です。年に2回の音楽祭では世界中から音楽家たちが集まってくるだけあって町は大盛況。


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2003年8月2日(土) 素朴な結婚式
 本日、友人と町を散歩していると、大通りにある教会で結婚式をしていました。私は正直、日本の一般的な堅苦しく拘束感が強く、その上文化色がほとんど失われている結婚式が余り好きではないのですが、アイルランドで見かける結婚式は素朴で気軽で自然体で、見ていても微笑ましくて楽しくなります。(これは留学当初、2002年5月19日Aの日記でも書いています)
 さすがに完全なる部外者が教会の中に入る訳にはいきませんので、中での式は外からちらちら覗く程度でしたが、教会の外で待つ馬車の近くでその他の見物人に混じって、主役2人が出てくるのをかなり長い時間待っていました。途中何度も「もう行こうか……」と教会を離れかけては、「いやいや、ここまで待ったんだから」と新郎&新婦が現れるのを待ち、いよいよ2人が現れたときには、待っていただけの甲斐があったと喜んだものです。


新郎新婦、馬車に乗って退場

 主役は30代前半〜半ばくらいの大人の雰囲気を醸し出した頭の良さそうなカップルで、花嫁の知的な美しさにうっとりしつつ、やはり長いこと脇から見物していると、参列者の中に東洋人の中年の男性とその人の子供が目に映ります。参列者の数はそんなに多くなかったので(40人程度?)、こうやってアイリッシュの結婚式に呼ばれるほど地元に密着しているんだー、と感心していると、参列者の中から女性の声で「日本人ですか?」と日本語で話し掛けられました。参列者の中に東洋人の女性は見当たらず、この声は一体どこから?ときょろきょろしていると、アイリッシュの中年女性が非常に流暢な日本語で、私たちに「日本人?」と聞いてくるではありませんか。新婦の従姉だという彼女は、大阪で10年暮らしていたらしく、先程の東洋人の男性は彼女の旦那さんだったのです。

 そんなに長いこと話した訳ではありませんが、ほんの短い会話の中から「やっぱりか……」と重く圧し掛かった事実をご紹介しておきましょう。
「そう、大阪に10年住んでたの。日本語覚えるの大変だったよ。一生懸命勉強したよ。日本語難しいね、とっても。今はね、こっちに戻ってきたの。(3〜5歳の子供2人を指差しつつ)やっぱり子供育てるにはこっちの方が良いと思って
 ……今まで私は日本人と国際結婚をした外国人で、「日本で子供を育てたい」と言っている人に出会ったことがありません。日本人同士のカップルですら、「日本で子供は育てたくない」という人は少なくありません。その位、日本の教育はヤバイという認識は確固たるものになりつつあるという事実が、ただでさえ「帰りたくない」と思う私の気持ちに拍車をかけるのでした。


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2003年8月4日(月・祝) 川で泳ぐ
 丁度2ヶ月ほど前、語学学校の最終日6月6日に、先生を交えてクラスメイトたちと国立公園にピクニックに行った際に、ロシア人男性が湖で泳いだのをずっと羨ましく思っており、今度チャンスが巡ってきたら、私も躊躇せずに絶対に泳いでみよう、と心に決めていました。エニスは緑が多く、長距離の散歩を満喫できる公園も町の中心からちょっと歩いた場所にあり、その公園には川が流れているのですが、人は少ないものの全くいない訳ではないので、やはり泳ぐならば人が全くいない場所まで少し遠出しなくては無理だろうと思っており、いつか自転車をレンタルして前回行った国立公園まで行ってみたいと思っていたのです。
 そして本日、3連休の最終日で静まり返る町に友人と2人で繰り出し、ドロモア国立公園まで自転車で行って湖で泳ごう!と、タオルや水泳用のタンクトップとパンツを用意してレンタル自転車屋に赴きました。すると、休日で静まり返る町ですもの……当然レンタル屋も閉店……仕方がない、歩いて行ける場所にあるいつもの公園で散歩でもしようか……と、「湖で泳ごう計画」は簡単に潰れたのであります。

 公園に行くと、休日のせいか日光浴をしている人々が私たちがいつも利用しているベンチを使っており、落ち着ける場所は既に売約済み。友人が笛の練習をしたかったこともあり、人がいない所を探そうか、ということになりました。公園の中を突っ切ってグングン歩いて行くと、公園からすぐ近くに見渡す限り草原の河川敷が広がっているではありませんか。


公園という訳ではない何でもない広場
こういう場所が町の中心から徒歩圏にゴロゴロある
ンもう最高ッ!!!

 遠くの方に住宅地が見えましたが、とりあえず周囲には見渡す限り誰もおらず、「わ〜い、私たちだけの場所!」という感じで、その場でお弁当を広げて日光浴を楽しみます。本日はアイルランドには珍しく快晴、しかも蒸し暑いほど温度が高く、日光浴日和だったのです。
 しばらく日光浴をしていると、かなり暑くなってしまい、周囲に日陰を探しますが上手い具合に影になっている場所が見付かりません。暑い。そして、目の前には川。そーだ、ここで泳げないかしら……と川を覗き込んで確認すると、水は透き通っていて、途中までは底が見えるものの、途中から全く底が見えず、一体どれだけ深いんだろう……と少し恐くなります。水の温度を確認するとかなり冷たいのですが、川の流れは表面上ほとんどなく、水草などから判断しても水底に急な流れがあるようにも見えません。泳げそうな気もするし、恐そうな気もする、という微妙な感じでした。

 周囲をもう一度確認すると、遠くの方に釣りをしている男性がいるものの、こちらからその人物の顔や背格好が全く分からないように、あちらからもこちらは見えないだろう、と言うことで、よっしゃ腹を括りました。ずっとやってみたいと思っていたことですもの。これは今やらなくては一生後悔することに違いありません。
 友人は一度アレルギーで痛い目を見ているだめ、「私は止めておくわ」と笛の練習に勤しみ始め、私はそんな彼女に「溺れたら助けてね」との言葉を残し、360度遮る物が何もない草原で水泳用に持ってきたタンクトップとパンツに着替えます。いやぁ、アタシャ大自然の中で裸になるのがこんなに爽快だと、本日初めて知りましたヨ。いやもう解放感も解放感、ここまでMAX値に近い解放感を味わったのは初めてかもしれません。
 遠くに見える橋は比較的交通量が多く、結構車が行き交っていたのですが、「あの人裸じゃない?」程度には認識できても、詳細は見えないだろうと思うと羞恥心とか全く湧かないものなんですね。(人によるかもしれませんが……) ま、完全に丸裸だった時間はものの10秒ほどですから大したことはないのですが、それでも水泳用のタンクトップにパンツ一丁になって「ひゃっほ〜!」と川に向かって行った私は、近年稀に見るほどハイでした、ええ。

 勢い良く川岸まで近付いたものの、その勢いを殺すかのように水にそっと足を入れると冷てぇ冷てぇ! 少しずつ足を入れて水温に身体を慣らしますが、浅いと思っていた川岸ですら、足を入れて川底の土を踏みしめようとすると水中で土が舞い、足はずぶずぶと土に埋もれてしまって初っ端から全く浅くないことが分かりました。いきなり泳ぎ始めたくても水温が低いため、なかなかエイヤ!と川の中心部に泳ぎ出すことが出来ず、身体が沈まないように川岸の草を片手でしっかり握り締めつつ、もう片方の手で腿や肩に水をかけて、川の水温に身体を馴染ませます。
 室内プールの水温に慣れきった軟弱な身体は、なかなか自然の水温に慣れず、かなり往生際悪く川岸に留まっていましたが、腿や肩が徐々に冷水に慣れてきた頃に腰まで一気に水に浸かり、冷たいもののそんなに竦むほどではないと分かると、そのまま思い切って川の中央に身を投じました。全身を浸すまでは冷たいと思っていた川の水も、一度泳ぎ出してしまうと冷たさを感じなくなり、それよりも顔に照りつける太陽の暑さと水の冷たさのギャップがぞくぞくするほど気持ち良く、時折足に絡みつく水草に「ひえ〜恐い〜」と悲鳴を挙げつつも、もうウッキウキです。


River Fergus で泳ぐ妖精
……スミマセン言ってみただけです

 とにかく水深が分からない場所で泳ぐのはこれが初めてで、コンタクトをしていたため顔を水に浸けられないものですから、水底の様子が全く分からず、恐いのと楽しいのでハイもハイ。依然として足に絡み付く水草が適度な恐さを演出し、ハイな状態に拍車を掛けます。
 そんな川遊びを一通り満喫して10分もしない内に川から上がりましたが、この充実感と満足感、そうそう味わえるものではありません。川の水は海と違ってベタベタしていないため、身体を拭いて服を着た後の清涼感も抜群。暫くTシャツにパンツ一丁で草原に仁王立ちになり、最後の解放感を満喫して、幸せの余韻に浸ります。

 初めは冷たくて「本当に泳げるのかな」などと思っていたと言うのに、泳ぎ始めてしまえばその冷たささえも心地良かった事実に、またお得意の思考回路、「人生みたいだ……」を炸裂させつつ、「ああもう私、本当に日本を出て良かったなぁ」と思い、「アイルランドを選んで良かった」「エニスに来て良かった」を経由して、そのエニスで共に散歩して、このような時間を楽しむことが出来る価値観の似通った友人が出来て本当に良かったと己の幸運を噛み締めました。
 さすがに独りでここに来ていたら泳ぎたくても勇気が足りず泳げなかったと思うので、たとえ一緒に泳がなかったとしても、泳ごうとする私を止めずに一緒に楽しむことが出来る友人のお陰で、私はこんなに楽しい時間を持てたのね、と彼女には本当に感謝しています。リムリックでの大収穫がアミットだとするならば、エニスでの大収穫は彼女だと言えるでしょう。

 さて、私が120%の幸せを満喫している本日の出来事は、田舎で生活している人にとっては極々普通の一場面で、こういう楽しみが毎日を構成しているんだろうなぁ……と思うと、一流企業でエリートとしてバリバリ働いている人には微塵にも羨ましさを感じない私が、「いいなぁ……」と腹の底から思うのでした。
 都会出身で田舎に馴染めない人、田舎出身で都会に馴染めない人は多く、それだけ生まれ育った環境こそがその人の基本となり、最も落ち着く状態になってしまうのは世の常ですが、時々、田舎生まれの田舎育ちだからこそ、田舎を嫌い、都会に出ることを強く望む人がいるように、私は都会生まれの都会育ちゆえに都会が大っ嫌いで、田舎生活をこよなく愛しているんだろうなぁ……と思います。本当に、つくづく私は都会との相性が悪いんだなと、この1年で思い知ったのであります。


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2003年8月5日(火) 海で泳ぐ
 本日はアイルランド過去10年の中で最も気温が高い真夏日でした。正確な温度は知りませんが、恐らく26〜8度程度で、アイルランドには珍しく蒸しており、冷房設備がほぼ0のこの国で、寒さ慣れはしていても暑さにめっきり弱いアイリッシュたちがクッタリとしていました。
 そんなことも相俟って、エニスから車で30分程度のところにあるビーチ Lahinch に、アイリッシュの青年が日本人4人を連れて行ってくれるということで、奇しくも昨日の川に引き続き、海水浴としゃれ込むことになりました。


混んでいると言っても充分空いているビーチ

 ラヒンチに着いたのは19時過ぎで、18時頃までは暑い暑いと大騒ぎしていた私たちも、ビーチに降り立つ頃には「……寒い」と腕をさするほどでしたが、ビーチには余りにも違う体感温度を備えたアイリッシュたちが繰り出しており、海水浴をして10年来の最高気温を満喫しています。最初は「どうしようか……」と迷い気味の私たちも、周囲の浮かれた雰囲気に飲み込まれ、「せっかくここまで来たんだから、足だけでも海に入ろうか」と、おずおず着替え始めます。
 着替え終わってしまったら、後はもう行くっきゃない! 海に向かって砂浜を全力疾走したのは20年ぶりくらいではないでしょうか。しかも3人で。
 ラヒンチのビーチには貝や小石などが一切なく、完全な砂浜なので足に気持ち良く、水は冷たいものの、海に入ってもその綺麗な砂底が続いており、不快感が全くないものだから、最初は膝まで……と思っていたというのに、徐々に腰まで、お腹まで、胸まで、肩までと進んで行き、結局最後は泳いで楽しんでいました。

 海水浴の後は当然、あの独特のベタベタ感との戦いになるのですが、それさえもが楽しい気持ちの一環で、体中ベタベタ、手足からパンツまで砂だらけの状態でコンサートに行って、家に着いたのは翌日でした。
 楽しいなぁ……。


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2003年8月7日(木) 小休憩
 エニスでの楽しい思い出の7割くらいに関わっている仲良しの友人が、一足先に帰国しました。同じ東京在住で、家もそう遠くないので帰国後も簡単に会えるだろうということから、安心してお別れが出来ると思っていたにも関わらず、彼女がバスに乗り込む際には危うく泣きそうになったものです。
 来週にまた1人帰国し、再来週は私が帰国し、こうやって徐々に友人が減って行くと、残される方も寂しいものです。こちらで仕事でもしてどっぷり現地に馴染んでしまえば別なのでしょうが、なかなかそれも難しく、帰りたくはないけれど、帰り時かな……とも思うのでした。未練があって中途半端に帰るよりも、自発的に「まぁもういいか」と思って帰る方が気持ち的にスッキリするので、今のこの流れはイイかもしれないと、謀らずも満足しています。


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2003年8月9日(土) 小休憩
 今週1週間はアイルランド史上「最も暑い夏」に分類されるほど蒸し暑い日々が続いておりましたが、本日になって漸く、従来通りのアイルランドらしい天気に落ち着いてきたようです。1日中薄っすらと曇った空に、何故かほっとするまでになってしまったようです。暑さに慣れていないということだけでなく、暖房設備は完全でも冷房設備が皆無、夏だろうと布団は2枚常備のこの国では、日中の30度も夜間の生暖かいのも逃げ道がなく、厳しいのです。ま、寒さに震えて眠れない……という事態よりは、セミダブルベッドの右半分に布団を追い遣って、右半身に熱さを感じながら眠る方が数倍マシですが……。


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2003年8月10日(日) インド人には解らない
 いつか書きます。


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2003年8月11日(月) くたばれ××
 今回は、かなり危険な話をします。タイトルの「××」にどんな単語が入るのか、下記の文章を読んだ上で各自心の目で埋めて下さい。

 私は正直、アフリカ系の黒人に良い印象を持っていません。そうなったのにはそれなりの深いワケがあるので、一朝一夕、簡単な気持ちで「嫌い」と言っている訳ではないことをご理解いただきたく、同時に、私の黒人に対する警戒心は、イメージや刷り込みによるものではなく、前情報が「0」の状態から実体験を経て生まれた100%自分の意見であり、今から書くことを読んで、黒人と付き合ったことがない人までもが「そうか! 黒人ってヤツは!」とは思わないで頂きたいのです。ただ、こういう事実があるのだということだけ、数ある情報のひとつとして読み流していただけると幸いです。

 まず話を始める前に、心しておくべき大きな問題があります。私は「黒人」という人種に詳しくなく、外人から見れば同じに見える中国人と韓国人と日本人ですら全く違うということからも考えられるように、恐らく黒人の中にも色々な種別があり、肌の色だけで「黒人」と括っても、出身国や育った国によって性質や気質は全く違うのだろうと簡単に想像できます。実際に
「ジャマイカ出身の黒人は怠け者でどうしようもないが、本土出身のアフリカ人は優秀な人が多い。アメリカの大学にいるアフリカ人は本当に優秀で、クラスでも一目置かれている」
という記述をとある本で読んで、ふ〜んそういうものなんだ、と感心したことがありました。また、日本のように国民全体が総中流という訳ではないアフリカでは、留学という形で外国に来ている黒人と、出稼ぎに来ている黒人では、同国出身であっても同じ枠には分類できないほどの違いがあるかもしれません。本来なら「黒人」という安易な言い方は避けたいのですが、他に言い様がないので一般的な話として使用させていただきます。

 余談ですが、私がここで述べようとしている「黒人」とは、最初に明記しているように大雑把に言ってアフリカ系の人々を指します。肌の色が黒いか白いか黄色いかで分類して行くと、インド人も「黒人」と分類される程度に黒い人が多い国民ですが、その性質は大きく異なるようです。ふと、インド人の友人が真剣な面持ちで言っていたこんな台詞を思い出してしまいます。
「僕たちは肌の色はアフリカ人と同じように黒いけど、アイツ等とは全然違う。同じと思わないでくれ」
 ……相当一緒にされたくないようです。私は、アフリカ人とインド人が似ていると思ったことはただの一度もありませんが、黒いと言うだけで同じく括りにされることもあるらしく、そのインド人の友人は本当に嫌そうに「全然違うんだ」と繰り返していたのが印象的でした。この人だけでなく、100%とは言いませんが、傾向として、インド人にはアフリカ人を嫌っている人が多いように思います。

 私が今から書こうとしている「良い印象を持てなかった黒人たち」はアイルランドを始めとして、スペインやポルトガルの街で出くわした人々なので、これが大学などで出会う黒人やアフリカの大地で出会う黒人ならばその傾向も違ってくるのかもしれないという可能性を念頭に置いて読んでください。よろしくお願いします。
 では、長い前置きを経て、いよいよ本題に入ります。

 私が黒人に対して不信感と言うか、嫌悪感のようなマイナスの感情を抱くに至った直接的な原因には、5ヶ月間のリムリック滞在でのフラットメイト、約4ヶ月寝食を共にしたアフリカ人・キャルの存在が明確にあります。
 最初は「図々しい」から始まり「愛情深い」を経て、「非常識」をちらつかせつつ「恥知らず」のオマケ付きで「自分勝手」に辿り着いたアフリカ人・キャルへの評価の変化は、2002年7月25日から彼女がフラットを去る11月22日までの約4ヶ月間に渡って過去の日記にリアルタイム形式で紹介されていますが、中でも2002年9月中旬〜10月下旬の激動の期間を読んでいただければ、極限状態における彼女の人間性が分かります。
 この一連の出来事を「文化の違いなのか、単なる彼女の個性なのか」と周囲の友人たちと話し合った際に得た回答が、
「アフリカ人はそんなもんだよ」
であり、ここで初めてアフリカ人の国民性論が浮上し、これを契機に私の中でのアフリカ人ウォッチが本格化したのでした。
 まず、最もガップリ付き合ったキャルに関する記述を改めてするのは億劫なので、未読の方はポイントとなる場所だけ拾い読みして状況を把握していただけると幸いです。(参考文献:2002年9月21日C25日A26日10月15日18日25日@11月22日@

 キャルを通して得た黒人に対する国民性のフレームは、「図々しい」「喜怒哀楽が激しい(愛情深いということも含まれる)」「自分勝手」という3大柱でほぼ網羅されます。悪い面ばかりでないのはご覧の通りであり、それでも私が彼等との付き合いを控えたいと思うのは、要するに「度が過ぎるから」というのが一番明確に言える理由です。
 ナイジェリアの経済難民を受け入れているエニスには黒人が多くいますが、彼らがネットカフェやリサイクルショップなどで店員と押し問答をしている場面はそう珍しいことではありません。具体例としては、いくつも挙げられますが、まずはネットカフェでの出来事です。
 ある日のことです。1度店を出た黒人男性が少し時間を置いて店に戻ってきて、レジで店員と押し問答していました。
店員 「――10ユーロ札でした」
黒人 「違う! 俺は20ユーロ札を出したんだ! 4ユーロの代金を払って、釣りは16ユーロの筈なのに、お前は6ユーロしか渡さなかった!」
店員 「10ユーロでしたよ」
黒人 「証拠はあるのか?! 俺は20ユーロ出したんだ! この20ユーロ札が俺が出した20ユーロ札だ! さあ! 10ユーロの釣りを寄越せ!」
 店員は同じ語学学校に通う韓国人青年の新米バイトで、黒人がレジの20ユーロ札を勝手に摘み上げて「これが俺の出した金だ!」と喚くのに対抗して、必死で「あなたが払ったのは10ユーロだった!」と言い募りますが、体格的にも迫力的にも完全に負けています。店内に客は私ともう1人(黒人)しかおらず、彼を助けてくれるものはありません。結局、韓国人青年は根負けし、黒人に10ユーロを払っていました。店内に私1人になると韓国人青年ははぁ〜……と溜息を吐き、こんな話をしてくれました。
青年 「さっきの見てただろ? ああいうの、結構あるんだよね。黒人は嫌だよ。言いがかりをつけたり、代金を払わなかったり」
鷹瀬 「でも、アレで払っちゃったらどんどん舐められるんじゃない?」
青年 「そうだけど……あの剣幕、見ただろ? あれ以上の抵抗は僕にだってできないよ。この店、オーナーが黒人だから黒人がたくさん来るし、彼らがああいうことをするっていうのはオーナーも承知の上なんじゃないの? 僕は出来ることをするまでさ」
 確かに、自分の店ならともかく、安い賃金で大雑把に雇われているバイトの身分で、そこまで店に忠誠を尽くすのは不可能だと思うので、彼の対応は当然だと思います。
 同じネットカフェでの別の日の出来事です。今度の店員は古株のアラブ系の男性。回線の故障で数分間ネットが使えなくなった時のことです。既に1時間以上ネットを使っていた黒人女性が店員を呼び付け、大声で喚きます。
「ちょっと! 繋がらないじゃない! 急いでるのよ! ああっ、もういいわっ! 帰るからっ。今日のお金は払いませんからね!」
 そして宣言通り、1時間(以上)分の代金を一切払わずに店を出て行きました。店員は慣れたもので、肩を竦めただけで動じた様子もなく、この事態を受け流していました。
 …………店のサービスが悪い点を指摘し、その分を支払わないのは別に悪いことだとは思いませんが、彼らの遣り口を見ていると、そう言った明確な信念に基づいて支払いを拒絶しているのではなく、単に「隙があったらネジ込め」というように見えるので、つい眉を潜めてしまいます。

 リサイクルショップでも、こんな場面を見かけたことがあります。
黒人 「ね〜え、この服、半額に負けて頂戴よ」
店員 「またあなたね! 値引きは絶対にしませんっ! 大体、あなたの姉妹も同じように毎回値切って行くのよ。いい加減にして頂戴っ! そんなに言うならここで買わなけれりゃいいわっ」
 店員はアイリッシュで、かなりキツイ口調で「No!」と繰り返していたのですが、対する黒人女性はふてぶてしいと言うか図々しいと言うか……まるで動じずに自分の要求だけを呑気な口調でしつこく繰り返し、その内アイリッシュの店員も態度を軟化させて笑っていました……。結局、店員は最後まで頑張り、値引きはしなかったようですが、黒人のしつこさ、ふてぶしさ、図々しさはどれを取ってもゲンナリするほどで、店員が笑っても私は笑えませんでした。

 イギリス旅行の際、夜のバス車内で騒々しく喋る3人の女性の声に振り向くと、3人とも黒人でした。これだけでは何とも思わなかったと思いますが、それまでの経験から何となく「ここでもか……」と印象に残りました。
 22日間のスペイン+ポルトガル旅行をした際は非常に顕著でした。スペインやポルトガルは基本的に地図の関係でアフリカ大陸からの移民が多く、都市によっては黒人が目を見張るほどいます。スペインのアンダルシア地方ではそれほどいなかったのに対し、ポルトガルのリスボンでは恐いくらい多く、ロシオ広場なる中心地の一角に何故か毎日黒人がたむろっているので、その横を通る際にはいつも仄かに緊張していました。
 たった22日間の旅だったと言うのに、移動している道中で4回ほど「大声で喚き散らす黒人女性」を見掛けました。3回はバス車内で、1回はバス停留所で、いずれのケースも言葉は分かりませんが、共通して言えることは黒人女性が運転手や白人に対して大声で喚き散らしているというパターンです。運転手に対して怒鳴っていた件では、明らかに乗車運賃の支払い拒否で、どういう遣り取りがあったのかはよく分かりませんが、結局黒人女性は料金を支払わずにバスに乗っていました。
 大抵の場合、周囲は喚く黒人に多少の突っ込みを入れるものの、最終的には口を噤み、彼らが黙るまで遣り過ごす……という感じで場が収まります。
 アレ? 今気付きましたが、「黒人が喚き散らす」という場面は結構見掛けて来ましたが、そう言えば黒人同士が怒鳴り合っている場面はまだ見たことがありません。これはたまたま私が見なかっただけなのか、イギリスで言われたように
「黒人は、何かと言うと直ぐに『人種差別だ!』と騒ぎ立て、もはや状況は逆差別の域に達している」
ということで、歪んだ権利主張の表れなのか……。半分は彼らの気質の問題という気がしてなりませんが。

 実は、ある時ふと黒人の行動の共通項に気付いた私は、喚く黒人を端から見るという係わり合いの他に、意識的・能動的にサンプリングもしていました。その対象となった黒人の行動とは、「絶対に礼を言わない」と言うことでした。
 ある時、ベビーカーを押した黒人女性が、両手が塞がった状態でスーパーの入口をベビーカーで押し開けようとしていたので、後ろから手を伸ばしてドアを支えてあげたら、私の方を一瞥もせず、当然礼も言わずに中に入って行きました……。感じ悪ぅ〜ッ! 別に感謝して欲しくてした訳ではありませんが、常識として「Thank you」くらい言っても罰は当たらねぇぞ!とささくれ立つ私にトドメを刺すように、同日に起きた出来事です。
 上記スーパーのトイレに並んでいると、私の前に並ぶ黒人の10歳くらいの少女が、手にしていたカメラを落としてしまいました。カメラの蓋や電池の蓋が壊れて弾き飛び、少女が慌ててそれを拾おうと屈むと同時に、トイレの個室から母親が出てきて「やだ! 何やってんのよ!」という調子で何か言い、少女の腕を掴んで引っ張ります。私が、壊れて外れた電池の蓋を拾って少女に差し出すと、少女は振り向きざまにそれを私の手から引ったくり、礼も言わずに母親の方に向き直って「どうしよう、コレ」などと話しています。当然、母親も私の存在なんか眼中にありません。………………もうねー……本当にムカついて、引っ叩いてやろうかと思いましたよ……さすがに。

 この2件の立て続けに起こった出来事を契機に、「何、もしかして黒人って国民性として礼を言わない人種なワケ?」というどーでもいー疑問が生まれ、その回答を見つけるべく、その後、意識的・能動的に困っている黒人がいると積極的に手を貸すようになったのであります。
 ――結果、驚くべき統計が出ました。10人(男1・女9)に手を貸し、礼を言ったのは0人……。
 手を貸した状況は様々です。ベビーカーを押した黒人女性にドアを開ける。落としたものを拾う。順番を譲る。
 唯一の男性サンプルはこんな感じでした。図書館で黒人男子学生の落としたレポートを拾って手渡すと、彼の視線はレポートを一瞥しただけで、私の方は一切向かず、例も言わず、友人との話に夢中になっていました。それまで喚くのも礼を言わないのも圧倒的に女性が多かったので、男性はどうなんだろうと思っていただけに、「やっぱりかーーーーっ!」とちょっと嬉しかったのを覚えています。
 サンプル数が5を超した辺りから「黒人ってヤツは絶対に礼を言わない」と周囲に漏らし始めていましたが、それを聞いた友人が「そう言えば私のときも……」と記憶の糸を辿ると、そこここで礼を言われていないケースが発覚したこともありました。

 これはアイルランドのエニス(一部ポルトガルも含む)での話ですから、もしかしたら偏った傾向などあるかもしれませんし、黒人の文化として物を拾って貰ったり、ドアを支えて貰うことは礼を言うほどのことではないのかもしれません。ただ、彼らが他人の物を拾ったり、ドアを支えている場面に出くわしたことがない以上、やはり黒人に対するマイナス感情は消えません。

 アフリカ大陸に住むアフリカ人は、大らかで陽気で素朴で親切だと聞きます。ただでさえ「黒人差別」がある外国で、ともすると彼らは図々しくならねば生き残ることが出来なかったのかもしれません。「散々白人に苛められて来たんだ。そうなるのは当たり前」という意見もありました。簡単に白黒つけることの出来ない問題だということはよく分かります。ただ、そんな歴史的背景を一切無視して、自分の経験と感覚だけで単純に言わせていただけるならば、私の締め言葉はこうなります。

 何はともあれ、上記のような様々な生身の体験を経て、「黒人ってのはこーゆーモンだ」と憎憎しげに思うに至ったのでした。


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2003年8月13日(水) 6年ぶりのTOEIC
 私が初めて TOEIC を受験したのは、新卒で勤めた会社での新入社員を対象にした強制的な状況下で、1997年のことでした。1986年に中学校で「英語」という教科に出会って以来、腹の底から英語が嫌いで、「好きだから頑張れる。頑張るから良い結果が出る。良い結果が出るからより好きになる」という好循環の逆バージョン、「嫌いだからやらない。やらないから伸びない。伸びないから余計に苦手になる」という相思相嫌の王道を11年間貫いた結果、この初回 TOEIC でゲットしたスコアは驚くなかれの380点(※注:990点満点)でした。


初めて受けたTOEIC/1997年4月に受験した結果
※注:お守りとして財布に入れて持ち歩いている

 初めて己のスコアをこの手にしたときは、この380点というの点数がいかほどのものかピンと来ず、本人的にはいたって満足していましたが、何故か結果を返却するアドバイザー(研修期間中の担当)の態度が非常に冷たかったことが仄かに気に掛かり、その後の風の噂で己の立場を明確に知りました。
「この前の TOEIC の平均点って営業が550点くらいで、技術系が650点くらいなんだって。海外事業部の連中とかは7〜800点くらい軽く行くんだろうな。ま、営業が一番低いってのは当然だよなぁ。でも聞いた? 今回の TOEIC の最低点取った奴、やっぱ営業らしいよ。340点とか言ってたかな? なんか営業新卒約100人の内、300点台が2人もいるらしい」
 ………………正確な情報をアリガトウ。では私は下から2番目ってコトなんだね。
 勿論、中学〜高校での中間、期末試験に対応するような上っ面の勉強はしたことはあっても、大袈裟に言って、本当の意味での英語の勉強などしたことがなかったものですから、別にショックと言うほどショックではありませんでしたが(……いや、ショックだったかも……ショックだったな、確か)、英語に対するコンプレックスのようなものがあったのは確かです。

 そんな私が自主的に英語に興味を持ち、勉強しようと重い腰を上げたのは、2001年、27歳のときでした。動機はかなり漠然としていて、今回の留学を視野に入れてのことではありません。ただ「英語が話せるようになったらいいなぁ」という、あってないような目的のために、何故か英語を勉強しようと思ったのです。自己分析としては、恐らくこの頃人生がかなりつまらなかったため、「努力する」というお題目を自分に与えたかったのではないかと思われます。
 とにもかくにも、2001年、21世紀の新年明け早々、私は迷うことなく「今年は英語を頑張る」と心に誓いましたが、余り口には出さないようにしていました。と、言うのは社会人として努力する対象が「英語」というのはいかにもメジャーで、英語を目標に掲げるというのは誤解を招きそうで嫌だったからです。私の目標とする「英語」は、ごく普通に想像するような立派なものではない……すなわち、私の場合は「英語力を磨く」のではなく、「英語力を探す」というレベルにあったのです。

 この誓いをひっそり立てた新年早々、サンフランシスコの叔母の家に遊びに行っているN.Y.在住歴3年目の兄から電話がありました。その時の話を交えて、私の悲惨な当時の状況を確認してみましょう。
兄 「何? 最近、英語やってるんだって?」
鷹瀬 「いや、やってるってほどでもないけど……今年からやろうとは思ってる」
兄 「ふーん。TOEFL とか受けんの?」
鷹瀬 「取り敢えずは TOEIC の方をね」
兄 「アレだぞー、あんなん800点以上採らなきゃ意味ねぇぞ」
鷹瀬 「…………そうは言うけど、やっぱ300点と600点じゃ違うと思うよ」
兄 「……300ってなんだよ……」
鷹瀬 「いや、だから……4年前に受けた TOEIC、私、300点台だったんだよね……。それ以来、英語なんか触れてもいないし……」
兄 さっ……さんびゃくぅぅぅ?! 何ソレ?! お前、4年制の大学出てンだろっ?!?!
 ああ、一応出てンだよ。悪いか。僕ぁ、「学歴なんて意味ない」ってことを、身体張って証明してるんだよ。そっとしといてくれ。
兄 「しかもあの試験ってマーク式だろ? 解答を全部『A』とか『B』とかにしておいたら、300点くらい採れるんじゃないの?!」
 ウッセーよ。僕の点数は当てずっぽうの結果じゃないんだ。考えた結果なんだ。そっとしておいてくれってば。ちなみに300点じゃなくて、正確には380点だもん。10の桁を四捨五入したら400点だもん。大きな意味では440点の人と肩を並べてもOK?ってな微妙な位置にいるんだもん。兄ちゃんよぅ。今、自分がブイブイ言わせてるからって、海を隔てた遥か彼方遠くの異国から電波に乗せて、声裏返して「300」って絶叫することないじゃん。哀しくなっちゃうだろ。イタイケな妹はよ。
 ──という言葉が喉元に絡まりましたが、よくよく吟味せずとも余りに虚しい内容だったので、黙っていたのを覚えています。

 とにかく、私の「TOEIC 380点」は当時ネタ化するほど深刻でした。
 今から考えると、学生時代に TOEIC のテストを受験していること自体、英語に対して積極的な姿勢を持つ人たちなのだという最も重要なフィルタリングがなされていることに気付きますが、当時の私の周囲で TOEIC を受けたことのある友人たちは、「何もしないで5〜600点台」もしくは「ちょっと勉強して6〜700点台」だったので、380点というのは、ある意味未知の世界に相当していたようです。私が自己申告で点数を告げても、冗談と受け止めようとし、マジと分かると「……」という一瞬の溜めの後、堰を切ったように言うのです。
友人 「いや、でも、TOEIC って慣れとかあるから。その380点の時って、全然勉強してなかったんでしょ? あ、ほら、やっぱり。ね。事前に勉強しておくと点数なんかすぐ変わるよ。うん」
 ………………でも220点は変わらないと思うぞ。慰めはいいよ。友達だからって甘やかすなよ。
友人 「…………そうだね。ちょっとやそっとの勉強じゃ、200点は上がらないだろうね……」
 だからっていきなり現実に戻るなよ。
 自分で撒いた種だというのに拗ねるワタクシ。話を続けたい訳でもないのに、何となく380点の内訳なんぞを追加情報として報告してみます。リスニング195点、リーディング185点という、どうにもならない追加情報です。
友人 「そ、そっか。じゃあリスニングの力の方があるんだね!
 それは違う! 195点と185点なんてのは、どっちも無いんだってば!! コメントに困ったのは手に取るように分かるけど、下手な慰めはいらーんっ!!! 私は自分の英語力が如何なるもののか、よーく知ってるもんっ!!!!

 上記のような物悲しい歴史を経て現在のワタクシがある訳ですが、何はともあれ6年以上ぶりの TOEIC です。期待と不安が入り混じり、ドキドキしない訳がありません。しかし、今年3月に受験した合否のある試験と違って、スコアを磨く TOEIC の勉強というのはメリハリが付き難いというか、ばんやりし易いというか、まぁ正直なトコロ、余り勉強もせずに臨みました。リラックスしたものです。試験当日だって、緊張の一欠けらもしませんでした。だって受験者、私1人です。試験官すらいませんでした……。「じゃあこのテープが終わったら Reading に移ってね」と言い残し、試験管は私独りを部屋に残し、去って行きました……。こんな状況下でどうやって緊張すれば良いのでしょう。

 結果はまだ返ってきていないので分かりませんが、正直600点台に到達しているのかどうかも疑問です……。近所に住む友人(アイルランド滞在暦2年)は「800点くらいは採りたいよね」などとふざけたことを言っていますが、神様、私はそんなに身のほど知らずではありません。600点を超えていたら満足です……。

【追記】
 700点には届きませんでしたが、本人的には大満足の結果にちょっと小躍りしていたら、上記の友人が大した勉強もせずに860点を楽々打ち出し、嬉しい気持ちは全く無くなってしまいました……。ああ憎いこの相対評価な自分が。


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2003年8月17日(日) 小休憩
 「アイルランドの夏は7月に始まり8月で終わる」「夏が終わると冬になる」などと言われているようですが、今年はヨーロッパ全域における猛暑の影響で、つい先日まで25度以上の(アイルランドにしては)かなり暑い日が続いていました。しかしそれもそろそろ完全に終了したようです。昨日から一気に冷え込み、本日も引き続き曇り空に肌寒い空気で、ああいよいよこのまま一気に秋に突入して、気付くと冬なんだろうな……と思わせる雰囲気を醸し出しています。丁度「これからどんどん過ごし難くなる」という時期に帰国の照準がピタリと合って、何となく得をした気分なのでした。


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2003年8月18日(月) 2度目の誕生日
 遂に私も30歳、重く言うなら三十路です。
 若かりし頃は30歳と言えば完全な大人だと思っていましたが、自分の今の精神状態や社会的状況を鑑みると、学生の頃からどれだけ成長しているんだか……と驚きます。そして同時に、世の中の所謂「大人」も、私が思うほど「大人」ではない人間が五万といるに違いないと確信するのでした。…………いや、五万とはいないかもな……。

 日本にいた頃は、年を重ねるごとに確実に夢や希望が失われて行き、自分の中にあった輝かしい気持ちが年々萎えて行くのがかなり明確に自覚できたのですが、そう言った下降気味の世代の幕開けに当たる20代後半から30代にかけて、年齢を忘れることが出来る海外に出たことは、本当に正解だったと思います。
 アイルランドにいると30歳と言うことに対するわだかまりはほとんど無いのですが、日本にいると「30歳=人生オシマイ=あらゆる挑戦の終了」という年齢制限神話に囚われる可能性が高いため、29歳に引き続き、30歳の誕生日をこちらで迎えることが出来て幸運でした。
 去年の誕生日は留学ならではの特殊な状況における、かなり幸運で奇跡に近い環境下で迎えたもので、恐らく去年の誕生日ほど派手に幸せな気持ちになることは今後無いだろうという予想通り、今年の誕生日は去年ほどの幸福感はありませんでしたが、依然として地味に幸せなものでした。この時間がいかに平凡でありながら幸せか、きっと日本に帰ったら骨の髄から思い知るのでしょう。


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2003年8月20日(水) 帰国前夜
 早く書きます。


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