stay in IRELAND
愛蘭滞在記(6)〜Ennis編C
ある意味大きな山場を越えてしまった留学生活も残すところわずかになり、これからどうなるどうする私の人生、って感じでしょーか。
| 2003年4月1日(火)〜4月30日(水)の小見出し一覧 | ||
| 4/1(火) 4月馬鹿の日 | 4/2(水) 「合う」という状態 | 4/7(月) 盛り上がる咳 |
| 4/8(火) 咳止め薬の購入 | 4/9(水) 引き続き欠席 | 4/10(木) そして回復の兆し |
| 4/11(金) ネット事情 in エニス | 4/13(日) 愛蘭病院体験記 | 4/14(月) その後の経過 |
| 4/16(水) イースター | 4/17(木) ウニ狩り | 4/18(金) 長引く肺病 |
| 4/19(土) ウニ再び | 4/20(日) 通院と募る不安 | 4/21(月) 変態の市民権 |
| 4/22(火) 言葉の威力 | 4/26(土) 健康第一 | 4/27(日) 週間総括 |
| 4/29(火) ヨガに挑戦 | 4/30(水) お次はタイ料理 | − |
詳しく書けることではないので、ただ単に自分の記録として。今年ほどエイプリル・フールを堪能した年はかつてありませんでした。ありがとう友人Z!
2003年4月1日(火) 4月馬鹿の日
3月31日から新タームが始まっており、数人の古株を除いてどっと新しい人たちが入ってきた訳ですが、例によって例の如く、そう簡単に「気が合う人」など見付けられる筈もありません。初見で好悪印象を持つことは可能ですが、本当の意味での第一好悪印象を決定するにも最低1週間は必要で、最初から過度な期待を持つのは止めよう、というのがそろそろ分かってきた better way というヤツです。
2003年4月2日(水) 「合う」という状態
100%会話の通じる人間がゴロゴロいた日本でさえ、友達と呼べる存在などそう簡単に作れない私が、こんなに限られた世界で「友達」を短期間で作れる筈などないのですから。
人が「合う」という状態は、「性格が合う」のと「性質が合う」のと2つの要素が必要になってくるから難しいのです。例えば「お酒嫌いで、パブもそんなに好きではない。家には早く帰りたい」という性質が合う子がいたとしても、その子と性格が合わなければ「友達」にはなれません。逆に性格は好きで友達になりたいなーと思う子がいても、その子がパブが大好きで出歩くのが大好き、となると性質が合わないためイマイチ親しくなれません。と言うか、親しくなるチャンスがそもそも作れません。
性格は必ずしも一致する必要はありませんが、共に時を過ごすと言う点から性質は一致していた方がベターで、まだ性格などが判らない内から「パブとか大好きで毎日でも行きたい」と明言されてしまうと、その後どんなにその人のことを好きになっても、ある一線以上は絶対に親しくならないんだろうな、と簡単に予想できてしまいます。数少ない例外もありますが、概ねこの法則に当てはまるというのが29年間生きてきて実体験から言えることです。
前タームに「性格が好きで性質が合う」という奇跡のような子がいましたが、彼女はつい先日に帰国してしまい、せっかく出来た友達を失ってしまった私は現実の付き合いよりも、その子とのメール交換、サイバー友情を育む方に精を出してしまいそうです。
ああ、彼女がいた時は楽しかった……。お互いのフラットを行き来したり、ご飯を作ったり作ってもらったり……。また現れないかなぁ……インドア派の人……。
勿論新しい人たちとは普通に仲良くやっていますし、英語で言うなら私たちは「friends」ですが、日本語で言えば恐らく私は「知人」という言葉を使うでしょう。私が日本語で言うところの「友達」はちょっとやそっとで作れるものではないと思っていますし、実際に私は数少ない友達しか持っていません。「友達」と「知人」の差は計り知れないほどありますし、日本語では「私の友達が……ってか、知人がね」とわざわざ言い直すことも少なくありません。ただこちらでは英語で「acquaintances」と言うのは長い上に言い難いので、「知人」も「友人」も皆「friends」と表現していますが。
そんな訳でどこに行っても友達の少ない私ですが、人と親しくなるのはひょんなことが切っ掛けだったりしますし、基本的には多くの時間を共有しないことには親しい友達にはなれないというのが大前提の事実なので、諦めずに根気良く他人と長く時間を過ごすように努力してみようかと思うのでした。
何故か分かりませんが異様に疲れる日々が続いております。まるで渡愛してすぐの状況のようです。風邪を引いているからなのでしょうか。
2003年4月3日(木) 小休憩
体調が悪いんですけど。すっごい疲れるんですけど。看病してくれる人もいないんですけど。
2003年4月4日(金) 小休憩
昨日の夜から何となくヤバくなりそうだな……と思っていた風邪が本格的なものになり、咳のし過ぎで腹筋が痛くなり、「ならば今日の腹筋はしなくていいや……」などと思考の迷路に迷い込みつつ、「嫌だもしかして無熱肺炎……?」と怯えながら1日ベッドで過ごしていました。
2003年4月5日(土) 小休憩
家で一日養生していました。熱は微熱程度、痰を伴う咳をしているので今流行りの SARS ではないことは確かだと思うのですが、症状を正確に伝えるには言葉も不十分、医療機関も信用できないこの国で病院になんか行きたくありません。ゴホゴホ……苦しいよう……。
2003年4月6日(日) 小休憩
今日も朝から体調は絶不調、学校なんか行きたくない……と言うのに、どうせ食料の買出しに行かねばならない、ということで、宿題だけ提出しようとウッカリ学校に顔を出してしまったのが敗着でした。どんなに病んでいても健康そうに見えるのが祟って、先生からは「前半の授業だけ出なさいよ」と軽く言われ、授業中どんなに酷い咳をしてもきちんと公平に指され、流れ勢いに巻き込まれるうちに結局後半の授業にも参加し、咳のし過ぎでボーっとする頭で(←恐らく酸欠)、牛乳やら水やらジュースやら計6リットルに上る重い系の買い物をしてフラフラしながら家路に就きました。
2003年4月7日(月) 盛り上がる咳
死に至る病気だったら歩けないよね? このくらいだったら寝てれば(いつか)治るよね? いきなりこじれて死んだりしないよね? 昔の人はもっと大変な環境で生きてきたんだよね? こりゃ深刻にヤバイと思ってから病院に行っても間に合うよね? ――と答えのない問い掛けをしつつ、一度始まるとなかなか治まらない咳に涙を流しつつベッドの中で悶え苦しむ午後3時。
日本で39度の熱を出した時の方がよほど安心感があったなぁ……などと考えながら、誰にも看取られないで死ぬのって寂しいもんだね……と計らずも自分の将来を深刻に思い悩んでしまった午後6時。
胃には無関係な病気なので、取り敢えず栄養を取っておこうということで、しっかりビビンバ(大盛り)を作って独りで食す午後8時。
体調不良になったときこそが孤独との闘いの正念場ではないかと思う今日この頃。(←言ってみただけ。実際はそんなに大袈裟なものではナイ決して) そして同時にこんな状況を克服しても人生ちっとも幸せな方向に向かわんと確信を深めるのでした。
よく「独り暮らしは自己管理能力を高める」だとか大仰に言っている人がいますが、私はそうは思いません。確かに親元で暮らしていて何から何まで負んぶに抱っこな若者はどうかと思いますが、家族という小さな社会の中で役割分担を果たし、お互い支え合って生活する方が独り暮らしなんぞよりよほど重要なことだと思います。情緒面もさることながら、何よりも効率が良い。
独り暮らしは独立の表現系、マネージメント・スキルがどうのこうのと言うのは成熟しきった先進国のみでの話であって、本来、人間は寄り集い大家族の中に身を置く形態こそが自然であり、ヒト社会とはそもそもそういうふうに出来ているのだと思います、私は。現代社会の問題点は、親元にいても学べる筈のことが、親の責任により学べていないだけ、子供に対する愛情と甘やかしの区別がついていないがために生じる歪みだと思うので、こんな根本的な歪みを抱えたまま独立がどうこうという話をしても空回るだけでしょう。実際「独り暮らし」をしていても独立していないケースはゴロゴロありますし。
ただ家事全般を一通りこなす体験の確保、という意味では独り暮らしを数年経験するのもいいと思いますけどね。「主婦は三食昼寝つき」という偏見をイマイチ捨て切れていない一部の日本人男性や寄生先を親から夫に移しただけという一部の女性は特に。
伴侶からの理解と協力があれば、主婦業はかなり楽しくて遣り甲斐のある仕事だと思うのですが、そういう幸せな状態が成立するケースは少なくとも日本では(ってかもしかしたら世界中で)少数派だよなぁ……としみじみ思ってしまう今日この頃なのでありました。
――ってことで、総括です。……優しくて頼れる旦那さん(理想)と可愛い子供たち(理想に基づく仮定)、余り頼れないけど優しい母さん(現実)に会いたいよぅ……ゲホゴホ……。父さんはイイ。(←厳しい現実)
熱を計ると恐い思いをしてしまいそうなので、「何となくありそう……」というもやもやした気持ちを抱えつつも熱は計らず、しかし学校を休むことにしました。現在まで合計34週間の授業の内、欠席は本日で2日目。所々で2〜3週間のお休みが入っているため、会社に属していた頃よりも出席率が良い。こういうところからも休暇の重要性が分かりますね、ハイ。(何か違う……)
2003年4月8日(火) 咳止め薬の購入
昨日無理をして学校に出席した際に、日本人留学生たちに咳止め薬を持っているかどうか聞いたところ、「風邪薬なら持っているけど、咳止めは……」ということで、本日腹を括って辞書を片手に薬局に飛び込み、咳止め薬を購入してまいりました。液状の咳止め薬、飲みやすいようにシロップで味付けがされているのですが、これがまた仄かに腐った南国系果物の果汁の味がして、飲んだ後に大量の水で後味を消し去り、涙目で「やってくれるぜアイルランド……」とか呟くのでした。
学校に行かなかった本日の収穫は、「痰を伴う咳は wet cough、痰を伴わない咳は dry cough」だけでした。辞書まで持参したと言うのに、痰を説明しようと思って咄嗟に出た言葉は
「I don't know the word in English, but white or cream sticky one.」炎症を説明しようと思って咄嗟に出た言葉は
「I feel like fire at deep of my throat. It's very painful.」そしてどちらも難なく通じてしまうし……。英語を学ぶに当たって、強い意志、確固たる目標意識を持たないと、「どうにかなる」という確信ばかりが育ってしまうのよねーん、と思い知る今日この頃。間違った自信を育てないようにコントロールするのが大変です。
体調は微妙に快方に向かっているようですが(定かではない)、いかんせん死ぬんちゃうかという激しい咳が消えないもので、私が良くても授業中ゲホゴホやられちゃ周りが迷惑だろうなぁ……と思い、咳を除けば体調は欠席するほどでもなかったのですが、昨日に引き続き大人しく寝ていました。
2003年4月9日(水) 引き続き欠席
寝ている間は咳から解放されるのですが、睡魔よりも咳の威力が勝ってしまった時が咳との闘いの火蓋が切って落とされる時であり、夜になる前に睡魔の威力を頼っていると、夜になった時が苦しいので、もうウトウト昼寝も出来ない……って感じです。してますが。
また、飴を舐めていたり、何か食べている時には不思議と咳が治まるので、とにかく起きている間は出来る限り何かしらを食べている状態で、せっかくゲッソリ痩せる機会だと言うのに、逆に太っているような気がしてなりません。しかしだからと言って何も食べずにいると速攻で襲ってくる咳……タチの悪い風邪を患ってしまったものです。
友達からヨガの本を借りたので、気管支を強くするポーズ、風邪を引かなくなるポーズを研究中ですが、ヨガって難しいんですね……。ポーズはアクロバット的なものも勿論ありますが、非常に簡単なものもあり、ポーズを作ること自体を難しいとは思わないのですが、呼吸法が非常に難しい。その上かなり重要らしい。間違った呼吸法をしている限り意味がないとまで言い切られ、こんなに咳をゲホゴホしている私が正しい呼吸法など再現できる訳も無く、「今はヨガの時ではない……」とつい数分前にした決意も虚しく、再びベッドに潜り込んで脳内フレンドとの会話に勤しむのでした。
うおーもー生き返ったがなー、4〜5日間のグロッキー状態を経て。ふーう。
2003年4月10日(木) そして回復の兆し
未だに咳は少々残っていますが、一番酷かったときを振り返ると今なら何でも来い状態デス。今回の回復ほど「自力で治した。自然治癒力をフルに使った!」と腹の底から思える回復も滅多にない、と自分で感動するほど自分以外の何をも頼らずに(←誤。正解は「頼れずに」)独りで闘いましたよ、結構悪質で粘着質な風邪と。結局、薬はほとんど使いませんでしたし。近所に住む日本人から貰った「新エスタック12」を1日試して止め、アイルランドで購入した咳止め薬を2回飲み、その後症状が悪化したので止め……。
とにかくビタミンCと水分摂取を意識して暇さえあればキウイを食べるわ1日1リットルのオレンジ・ジュースをこれまた1リットルの水で割って飲みまくるわ、宗教がかった信念を持って病気を克服した、って感じがします。はーあ。
そもそも余り病気に罹らない体質な上に、罹ったとしても1〜2日で目処がつき、つかない場合は3日目に医者に行く、というのが日本での私の病気(主に風邪)対処法でしたが、医療機関が信用できないこの国で確固たる意志を持って5日間に渡る「こじらせると大変そう……ってかもう既にこじれてる?」という病状&精神状態を本当に外部からの助けが一切ない状態で克服でき、いやーイイ経験をしましたよ、全く。
看病してくれる人も当然無く、見舞いに来てくれる人も当然無く、家で寝たきりの私が会話をした相手は自分! 独り言のみ!!! フラットメイトとも会っていませんでしたし(家にいるのは知っている)、ああもうこの世で独り……?みたいな感覚を存分に味わえて、良い経験をしたと言えば良い経験をした……のでしょうか。
「トーコって何でも独りで解決するよね……。でも女は『私できない。助けて』っていう子の方が幸せになれるんだよ」という一見前半で肯定的な意見を言っているかに見えて、その実、重みはあくまでも後半、しかも真実、みたいな不吉な言葉を叩き付けられたことがありますが、この呪い……もとい台詞がなかなか根深く私の意識に残っていまして、体調が確実に快方に向かいつつある今でも「……なんか私、幸せになれないかも……」という呪縛から逃れることができません。
……………………いかん、トラウマになりそうだ。
さて、アイルランド一大きな町エニスですが、外界との最重要接点であるインターネット、しかも1日1時間まで無料で使用できる図書館のインターネットが現在使用できません。「現在」というか正確には3月31日の時点で既に使えず、それからずーっと使用不可なので、もうそろそろ2週間目に突入なのですが……。
2003年4月11日(金) ネット事情 in エニス
図書館員に理由を聞いたところ、「Dublin の電話線が故障して……」と言っており、「通常どのくらいで直るんですか?」と聞いても「こんなこと初めてだから見当もつかないわ」と堂々と言い切られてしまっています。
アイルランドで一度「Out of order(故障中)」になると数ヶ月その張り紙が貼られたまま……というシーンを何度も見ているので、ちょっと恐い状況です。このまま3ヶ月使えない……なんてことも考えられないことではなく、これこそがアイルランド。アイルランドとは一言で言えばこういう国なのです。
図書館では制限時間がある上に日本語が使えないので、私は基本的には図書館のネット環境はそんなに利用していないのですが、私以外の人の問題で、皆図書館が使えないので学校にある1台のPCに群がるため、学校で新着メールを読もうとしてもゆっくり読めません。返事を書くなどもっての他状態です。今は学校で受信したメールをFDに落として、家に持って帰って返信メールを書いてFDに落として、それを学校に持ち運んで……という経緯で返信を送っている次第です。それともなければ有料のネットカフェか。
さすがに1週間目までは毎日のように図書館に通い、今日は直っているか、まだなのかと多くの生徒たちが確かめていましたが、1週間を越えた時点で「誰かが直ったのを確認したら行こう……」という諦めともつかぬ声がチラホラ上がり始めています。しかし私は思いましたね。賭けてもいい、きっとこのまま私がこの地を去るまで使えないな、ありゃ。「ダブリンの電話線が故障している」って……ダブリンって曲がりなりにも首都ですよ? ありえないでしょう、2週間も。恐らくダブリンでの回線の故障(?)はとっくの昔に直っていて、要するにエニス側でPCの再設定できる人間がいないんだと見ました。図書館に技術者が出入している様子もありませんし。
と言うことで、ネット環境に怯えていた割には最初から比較的問題なくインターネットが使用できていた今回の留学ですが、そこはアイルランド。最後の最後でヤッテクレタという感じです。
【追記】
5月12日(月)、私の知る限り43日ぶりに図書館のネットが使用できるようになりました。長かった……。
【追記2】
5月16日(金)、再び使用不可に……。
前の学校の友達がリムリックから遊びに来たので、存分にお喋りに花を咲かせ、彼女が帰ると同時に入れ替わりで前タームでの友達がコークからエニスまで遊びに来たので、久し振りに再会し、今日は1日楽しい時を過ごしました。
2003年4月12日(土) 小休憩
本日のサブタイトルは、「どんでん返しと教訓」というところでしょうか。ええ、ええ。本タイトルからも推測できるように、そういう内容です。
2003年4月13日(日) 愛蘭病院体験記
順調に回復に向かっていた風邪ですが、昨晩急に左肺、正確には左側の鳩尾に痛みが起こり始め、最初は咳をした時や肺呼吸をした時だけズキンと痛んでいたのが、真夜中にかけて徐々に痛みが深刻になって行き、今朝方には背筋を伸ばすだけでもかなりの痛みを感じ、咳をした時などかつて経験したことがないほどの激痛を感じるようになり、初めて「これはもしかして風邪がこじれて大変なことになったのかもしれない……」という思いに駆られました。
もしかして入院なんてこともありえる……?と怯えながらも、今回こそは病院に行かない訳には行かないような症状で、それでもイマイチアイルランドの病院を信じ切れていないため、病院に診察に行く前に自分の症状がどれほど深刻なものらしいか、日本の医学書で確認しておきたいと思いました。日本にいた頃からよくお世話になっていた赤本「家庭の医学」のご登場です。
携帯の有り難味を実感しつつ、ベッドの中から母に電話を掛け、自分の症状を伝えて可能性のありそうな病気、どのような診断が必要になるのかなどを確認してもらいます。
「片肺、鳩尾近辺に起こる激痛、しかし熱は伴わない」という特異な症状のため、的も絞り易く、取り敢えず最も近そうなものの中に「肺気胸」というものがありました。
「何かの拍子に肺に空気が入ってしまい、呼吸やくしゃみをする際に痛みを感じる。心電図や肺のレントゲンを撮ることで確認でき、空気を抜くことで治療する。酷くなると空気を除去するために手術を要する場合もあるため、素人療法せずに医者に診断してもらうこと」「素人療法せずに医者に診断してもらうこと」――ドンピシャの耳が痛いアドバイス……。これはもう直ちにでも病院に行った方が良い、とここまでは決意が固まりましたが、本日は日曜日。しかも病院がどこにあるのかすら知りません。咳をする度に左鳩尾を襲う激痛は、徐々に寝返りを打っただけでも感じるようになり、「イタタ……アイタタ……」と呻きながら大家さんに電話を掛けます。しかし何故か電話が繋がらないため、「肺に痛みが……病院に行きたいのですが、本日でも開いている病院があったら教えてください」とのメッセージを残し、再び待ちの姿勢で痛みに耐えます。
暫くすると大家さんの奥さんから電話が掛かり、とにかくすべて手筈は整えて家まで迎えに行くから、安心して寝ていなさいとの暖かいお言葉が……。うう……ホームステイでは味わえなかったこの感情……これぞアイルランドのママン……もう感動……。
そして10分も経たない内に車で家に駆け付けてくださった大家さん夫妻……弱りきった私を病院まで連れて行って下さり、診察の間中……どころか door to door で病院から帰り道まで全行程付き添って下さったのでした。もうこの恩は自らの羽で着物を織るしかナイというくらい感動しつつ、肝心のアイルランドの病院レポートですが……。
まずいきなりベッドの上に横になれと促された状態で、症状を説明しながら、事前に辞書で探し当てておいた単語「pneumothorax(気胸)」と書いたメモ用紙を見せ、「コレの可能性は……」と自ら聞いてみると、「pneumonia(肺炎)の経験はある?」と聞かれ、「10年以上前に1度だけ……」と答えると、見る見る内に心電図を取り、血圧を測り、採血をし、肺のレントゲンを撮り……やって欲しいと思っていたことはすべてしてもらいました。
いやもう失礼な話ですが、「エニスの病院に心電図を取る器材なんか揃っているのかしら?」とまで見損なっていたため、少々汗臭いベッドに寝かされ、カーテン少し開いているんですけど……という状況で上半身裸にさせられても、「心電図取って貰えるんですか? え? レントゲンまで……?」という意外感が強く、「手際良いじゃん、アイルランド! やるじゃん、アイルランド!!」と感動してしまいました。
右腕に血圧を測る装置を巻き付けられ、血圧を測っている最中に心電図の装置を上半身にぷちぷちと取り付けられ、心電図が終わると同時に乱暴に取り外された心電図を測るための小さなテープがベッドや床の上にまばらに落ちている状態で(←誰も拾わない)、左腕から採血。採血をするための血を止めるバンドをした状態で看護婦さんが「アラ、針がないわ。どこかしら……」と注射針を探しに行ってしまい、かなり長い時間バンドで縛り上げられた左腕が痺れてしまったとしても、「やっぱアイルランドだよ! 日本じゃこんなことありえないよ!」と否定的な気持ちになるどころか、「ふふ、このくらいはご愛嬌よね。野戦病院ではこんな混乱は当たり前よ。頑張ってるじゃない、アイルランド! 手際良いし!」と非常に肯定的な気持ちですべての検査を受け止めることができましたとも。採血が終わった後で、注射針が入っていた包装ビニールがベッドの上にくしゃくしゃになって放って置かれているのが目の端に入ったとしても、「些細なゴミよりも患者第一という姿勢がニクイね!」とウキウキです。
日本の「丁寧だけれどいちいち待たせる」という姿勢とは正反対、「雑だけれどもとにかく素早い」というアイルランドの病院の姿勢は私的には非常にありがたく感じました。とにかく辛いものですから、待たされるのが何よりキツイ。しかし今回の一連の診察ではほぼ全過程において待たされる場面は非常に少なく、「これは結構信頼してもいいのカモ……」とかなり心が軽くなったところで、すべての結果を前に先生とのご対面です。トドメとばかりに現れた先生はインド人! 「信頼していいのカモ……」から「ヤッタね、信頼しますよ100%!」に切り替わった瞬間です。ええ、ええ、偏見と言われようと思い込みと言われようと、私はインド人のお医者さんを世界一信用しています。危うく抱きつきそうになったほど嬉しかったのです。もしかしたら目がハート型になっていたかもしれません。
医者 「いつから風邪を引いているんですか? 1週間前から……ふーむ。肺の痛みはいつから? 昨晩急に……。薬は飲みましたか? 1〜2回だけ。ふむふむ。じゃあちょっと聴診をしてみましょうか。――なるほど、恐らくウィルスが肺に入り込んでいるんでしょうね」きゅーんきゅーん。症状が回復した訳ではありませんが、精神的なこの安堵感たるや……。来て良かった……。診察の間中ニッコニッコしていたので、馬鹿と思われたかもしれませんが……。
鷹瀬 「肺に空気が入り込んでいる、とか、肺炎とか、そういう可能性はないですか?」
医者 「レントゲンから炎症を起こしている様子も空気が入り込んでいる様子も伺えないですし、聴診をしたら少々雑音がするので、ウィルスが入り込んでいるんだと思いますよ。それが痛みの原因でしょう」
鷹瀬 「こんな痛みを経験するのは初めてなんですけど、これってそんなに深刻な状態じゃないんですか?」
医者 「肺炎だったら深刻ですけど、肺炎じゃないですから大丈夫ですよ。今まで薬を飲んでいなかったからウィルスが死んでいないだけで、それが原因で痛みが起こっているんですよ。とりあえず抗生物質を出しますので、1週間それを飲んで調子が回復しないようならまた来てください。――え? シャワー? ああ勿論、通常通りの生活をして大丈夫ですよ」
依然として痛みはありましたが、「通常通りの生活をして大丈夫ですよ」という言葉から「大したコトないんだ」という思いに浸ることができ、辛いけど嬉しい!みたいな。気分的にはもう大丈夫!みたいな。
最後にお尻に注射を打たれて釈放されたのでした。言葉が流暢なら「なんでお尻なんですか?」と聞きたいところでしたが、質問までは出来ても返答を理解できる自信がなかったので、黙って「テヘヘ……」という風情を醸し出しつつ、診察に当たって下さった全スタッフおよびインド人のお医者さんに充分にお礼をして診察所を後にしたのでした。所要時間40分程度。素早い。
すべてを終えて待合室に顔を出すと大家さん夫妻の手厚い取り扱い……実の両親だってこんなに良くしてくれないぞ(母はしてくれても父はしてくれない)……と感涙。そして病院から提示された薬を受け取りに薬局に赴き、足りないお金を私に代わって素早く支払って下さる奥さんに、「ATMに寄っていただけませんか?」と尋ねると、「お金のコトなんか気にしないでいいから、自分の体調が良くなることを気にしなさい!」と夫妻両人から力強く言われ、「薬を飲む前に何か食べた方がいい」ということでそのままレストランに向かって食事をご馳走になり、家まで送っていただき、「何かあったら時間なんか気にせずにすぐに電話を寄越すんだよ。体調が良くなったら電話してね」との言葉でサヨナラをしたのでした。
もうね、思いました。今回の一連の出来事は「独りで解決できるもん」と強がる私に「人を頼ってみちゃあどうだね」という神様からの荒っぽい提案だったんだと。やはり人間はイイ。人との係わり合いはイイ。ああ、人生って素晴らしい……。これぞ Life is beautiful. というヤツですか? 片や背景はナチスドイツ、片や自己管理不足によるこじれた風邪。どこまでもスケールは小さくなって行く様ですが、己の人生の主役はいつだって自分ですから、ええ。ゲホゴホ……イタ……イタタ……。
教訓1:素人療法はかなり危険。妙な自信と宗教がかった信念を持つ前に、素直に医者に助けを求めましょう。
教訓2:「友達」「知人」など細かいことを気にせずに、人々の優しさに気付きましょう。世界は優しさに満ち溢れています。
追記1:一般的な話として、アイルランドの病院が手際が良いとは言えないということを明記しておきましょう。私の友人は体調が悪く診察に行ったところ、結果が返ってきたのは2ヶ月後だったそうで、「本当に深刻な病気だったら死ぬところだった」と言っていましたし、他にもアイリッシュの先生から「父はガンだったんだけど、診察の結果が返ってきたのは死後数ヶ月後だった」という話も聞いたことがあります。まぁ私は運が良かったんだ……ということで……。
追記2:本日15(火)、授業にて先生に「対応が素早くて感動した」との病院報告をすると、こんな種明かしをしてくださいました。
「それは今流行りの SARS のせいね。肺が痛いといって診察に来たあなたへの対応は、優先順位が高かったのよ、きっと」なるほど、そっかー。では私が受けた診察は一般平均のアイルランド病院での対応ではなく、ある意味VIP扱いだった訳ですね。どうりでお医者さんってば、何度も「最近日本に帰った? アイルランド国外に出た?」と確認していた訳だ。なるほどねーん。そうなると教訓3を付け加えねば。
教訓3:何事もタイミングが命。
昨日病院から帰って薬を飲み、数時間寝た後から症状は大分治まり、昨晩の内に「かなりの激痛」は「少々の痛み」に落ち着きました。お医者さんからは「通常通りに生活して大丈夫」と言われましたが、やはり咳をすると少々痛むことは痛むので、今回ばかりはきちんと治したい、と思って本日も学校を休みました。学校が始まって延べ11日しか経っていないのにもう3日も休んでいます。どんどん失われるやる気を前に、試験コースでなくて良かったと思うのでした。
2003年4月14日(月) その後の経過
昼にクリスティナが手作りのパンを家まで届けてくれるし、友達が様子を伺ってくれるし、大家さんからは電話が入るしで、「人は独りで生きていくもんじゃないのよネ」との思いを新たにし、かなり弱ってしまった身体に「そろそろ日々のエクササイズを復活しようかしら……」と脈絡なく思っています。
通常通り学校に行って何事もなく1日を過ごしましたとさ。
2003年4月15日(火) 小休憩
18(金)と21(月)はイースター・ホリデーのため、今週末は4連休になります。旅行を計画していましたが、今回の風邪のせいで計画が潰れたため、近場をうろつく程度でこの4連休は過ぎ去って行く予感がします。
2003年4月16日(水) イースター
さて、イースターと言うことで町中卵の飾り付けがなされ、地味に楽しいです。スーパーでも卵形のチョコレートが山積み売られ、「早くイースターが終わってこのチョコレートがバーゲンにならないかしら……」などと考えている私は勿論キリスト教信者ではありませんが、様々な種類の卵形のチョコレートは目にも楽しく、見ているだけでも飽きません。
そんな折、家に帰ると台所に大きな木箱に入ったでっかいイースターのチョコレート卵が置いてあるではありませんか! もしかして大家さんっ?!
昨年のクリスマスの日、大家さんは我がフラットの台所に同じようにチョコレートとシャンパンを差し入れとして置いて下さったのです。ああもううちの大家さんってば最高に気前イイ! 感動っ!
イースターのチョコレート・ギフト
しかしクリスマスの時同様、何もメモ書きもありません。クリスマスの時はたまたま私がその場に居合わせたため贈り物を受け取り、フラットメイトたちに「大家さんからの差し入れ」と告げましたが、今回は誰が受け取ったのでしょう。早くフラットメイトに会って、このイースター・チョコレートが大家さんからの差し入れであることを確認したいのですが……。
美味しそうなチョコレート……紅茶もあるし準備万端!と思って夕食を作っていると、アイリッシュのピーターが帰ってきました。しかしこのチョコレートについての伝言はなし。しかもピーター、チョコレートの位置を勝手に変えてるし。………………あれ? ってかそもそもこのチョコレートって、本当に大家さんからの差し入れなのかしら? もしかして……
鷹瀬 「もうすぐイースターだねー。……そのチョコレートってピーターの?」うおー、良かった食べちゃわなくて! 危ない危ない。
ピーター 「ああ、そうだよ。従姉への贈り物なんだ」
先日授業後に先生が「近くに sea urchin が取れる場所がある。日本人はコレを食べると聞いたことがあるけれど、本当なの?」と聞いてきました。「sea urchin」――ウニです。
2003年4月17日(木) ウニ狩り
ウニと聞いて目の色を変えるワタクシ。日本でウニがいかに愛されているか、いかに高価な代物かを懇々と話し、場所を教えて欲しいと迫ります。横で聞いていた同じクラスの中国人の女の子も参加したいと盛り上がります。すると興味を持った先生が潮の満ち干を調べ、17(木)午前11時が完全な引き潮、絶好のウニ収穫日和であることが分かりました。
先生 「もし皆の同意さえ得られれば、授業の代わりにエクスカーションとしてウニ狩りに行くことも可能だけど、どうする?」日本に帰ればどーせ忘れてしまう英語の勉強よりも、ウニ狩りに思いを託したい――じゃなくって、まぁ良い経験じゃないかと。
私と中国人の女の子はノリノリでしたが、ベルギー人の女の子はノリノリではないけれど「行っても良いよ」という感じ、他の日本人の女の子は行きたくないようでした。しかし先生までもが行きたがっている雰囲気が滲み出る中、彼女もハッキリと「行きたくない」とは言えなかったようで、結局3人の行きたいパワーに圧されて先生+生徒4人の計5人でウニ狩りに行くことになったのであります。
人生はいつだって多数決で進んで行きます。ええ。たまに多数派に属すことが出来るとかなり嬉しいものですね。ハイ。
そして本日。ナイフにスプーン、手袋にご飯と醤油と海苔を携帯し、いざウニ狩りに臨みます。車で乗り付けることが出来る場所からひたすら歩いてウニが潜む岩場を目指し、漸く見付けたウニ畑。ああもうこの感動たるや。
そもそも日本のウニと味は同じなのかという懸念を抱いていましたが、サイズがかなり小振りというだけで味はほぼ一緒。殻を割ってオレンジ色のウニが現れた時は、中国人の女の子と狂喜乱舞してしまいました。13時までに学校に戻らなければならないということで、ウニ狩りの制限時間はおよそ30分。とにかく取れるだけ取って中身を取り出すのは学校に帰ってからにしようということになり、私と中国人の女の子、そして先生の3人が真剣にウニを集めます。ウニは海面下の地面に半分身を埋めていて、かなり強固に地面に密着しています。殻を割らないように上手く穿り出すのは難しく、一体いくつものウニを壊してしまったことでしょう……。
そんなこんなで貴重な経験をした1日だったのであります。ドキドキの写真集はこちら。
最近天気はすこぶる良いし、日は長くなって21時頃まで明るいし、このイースター4連休は正しく旅行日和だったというのに、未だに治りきっていない肺病のせいで近場でゴロゴロと過ごすことになってしまいました……。
2003年4月18日(金・祝) 長引く肺病
しかしそろそろ前回病院に赴いてから1週間になるというのに、なかなか肺の痛みは完全に消えません。朝夜には決まって激しい咳が襲うし……。咳をする度に肺の痛みは仄かに増してくる気がするし……。
薬を飲んでいる間は肺の痛みも引いているのですが、その薬は今日明日で終わってしまうため、その後が心配です。もう1度病院に行くのは厄介ですが、あのインド人のお医者さんに再会できるならそれはそれでイイかも……と咳をする度に痛む肺を押えつつ、それでもやはり出来ることなら完全回復したいなぁ……と思うのでした。ゴホ……イタタ……。
午前10時――そらもうまどろんでいるといきなり学校の先生から電話が……。
2003年4月19日(土) ウニ再び
「起こしちゃってごめんなさいね。実は昨日家族でウニ狩りに行ってきたのよ。たくさん取ってきたんだけど、子供たちは余り好きじゃなくて、私もトーコほど好きじゃないし、捨てるのは嫌だし、もし良かったら今日タウンセンターまで買い物に行くからその時に渡せると思うんだけど、どう? 欲しい? それに取りに来る時間はあるかしら?」欲しい欲しい。ありますあります時間なんていくらでも! お礼に昨日作ったほうれん草カレーをいそいそとタッパに詰め、小脇に抱えてタウンセンターに向かうワタクシ。友達がいなくたって先生と大家さんがいれば結構シアワセ……じゃなくって!
時間制限のあった先日のウニ狩りの成果と同程度の量のウニを頂き、しかし今回は友達を誘おうにも皆出掛けてしまって、もしくは連絡がつかなくて、仕方ないという大義名分の元にたった独りで食したのでした。充分な量を思いのままに食すことが出来る今回、念願のウニ丼を作ってみました。
写真はこちら。
初期症状を含めると既に3週間近く患っている肺病ですが、先週の日曜日に病院に赴いたことで原因も明確になり、薬も貰い、貰った薬を飲んだことで順調に回復に向かっていました。…………少なくともそう思っていました。
2003年4月20日(日) 通院と募る不安
しかし先日金曜日に与えられた3種類の薬の内の2種類が終わり、最後の1種類も昨日で終わり、すると再び昨晩から肺の痛みがぶり返して来たのであります。ある意味、薬は的確に効いていたんだな……という考えも出来ますが、それよりも病院に再び赴かねばならないようです。
肺に痛みがあること以外は至って健康(?)なので、とりあえず散歩がてらに病院に向かいます。
前回訪れた窓口に赴き、先週ここに来たこと、その際にお医者さんから薬を出してもらい、それを飲んでも治り切らなかったことなどを告げると、前回と同じように待たずに診察室に通されます。前回のお医者さんが不在だったため、新しいお医者さん登場です。
いつアイルランドに来たのか、最近国外に出たか、海外から来た友達などに最近会ったか、など、明らかに SARS を意識した質問をされ、それに答えてゆき、検温、聴診の後に再び肺のレントゲンを撮ることになりました。今回は心電図や採血はなしです。
レントゲンを終えて再び診察室に戻ってお医者さんの診断を待ちます。ここまでは概ねゆったりした雰囲気の中、コトは進んでいました。問題はこのお医者さんを待っている間、カーテンの向こうから聞こえてきた看護婦の会話です。看護婦2〜3人が明らかに私のことを話しているようなのですが、何を言っているのか早口な上に小さな声だったのでよく聞こえません。しかし聞こえてきた会話の一部が不安を煽ります。
看護婦A 「――ええ、そうなのよ。先週、彼女に何も言っていないの」……………………この部屋にいる患者は私だけ……。看護婦の1人が「She is there.」と言った後、彼女たちのお喋りが更に低く小さく早口になったのがめちゃめちゃ気になります。「come back here」した「there」にいる「waiting for the doctor」な患者と言えば私のことだと思うのですが、ヒソヒソ話される内容の見当が付きません。
看護婦B 「症状が良くならないって言ってまた来たんでしょ? 今彼女はどこにいるの?」
看護婦A 「そこにいるわ。担当医を待っているのよ」
――何? 何なの? もしかして不治の病とか? 何か危機的な状態なの?! 私に言っていない何かって何っ?! くぅ〜ヒアリング力さえあれば……。
不安が募る中、緊張感なく現れたお医者さんは何でもないようにケロリと言い切ります。
医者 「レントゲンの結果、何も異常はありませんから。恐らくアレルギーですね」…………物凄く不安なんですけど……。言葉が出来ないと不安も倍増です。くぅ……。上記の会話は本当はもっと複雑で、実際は会話中に何度も何度も聞き返しています。何度も聞き返しても不明だったところを「**」と表現しているだけで、分からないまま受け流すほど自分の状況に安心してはいません。念のため。
鷹瀬 「アレルギー? 何のアレルギーなんですか?」
医者 「分かりません」
鷹瀬 「……え? えーと……私は何に注意すればいいんですか?」
医者 「どういう意味ですか?」
鷹瀬 「いや、アレルギーというので……。例えば何か食べ物のアレルギーだったらその食べ物を避けた方がイイとか……」
医者 「ああ、そういうことではあません」
鷹瀬 「じゃあ何のアレルギーなんですか?」
医者 「分かりません。**が**なのでしょう。**は**ですから*****(←聞き取れず)」
鷹瀬 「……でも私の胸が痛むのはアレルギーのせいなんですか?」
医者 「そうです。**が**で**なので**ということで、**(←聞き取れず)に対する薬を出しますから、それを飲んで様子を見てください」
鷹瀬 「……その薬が終わってもまだ痛みが引かない場合はどうしたらいいんですか?」
医者 「そうしたらまた来てください」
しかしそれにしたって、なぜ先週のお医者さんと言うことが違うのでしょうか? 私の肺の痛みはウイルスが原因じゃなかったんですか? だからこそ抗生物質の薬が効いていたんじゃないんですか? なぜ前回の薬と違う薬を提示されるんですか? 前回の薬を飲んでいる最中は症状が治まっていたということは、適切な薬だったからなんじゃないんですか?? そもそも看護婦たちは何を囁き合っていたんですか???
ああもう先週の分まで含めて信用度が落ちて行きます……。私は一体何の病気なの? アレルギーって本当の話? 深刻な病気じゃないという見解は正しいの?
くぅ〜一体どこまで信用していいんだか……。恐いよぅ……。早く健康になりたい……。
アイルランドに来て11ヶ月が経った訳ですが、この約1年の間にワタクシ3人の変態に対峙しております。
2003年4月21日(月・祝) 変態の市民権
最初の1人はパリで出遭ったパリジャンですので、アイルランド滞在に換算はしないでおこうと思いますが、もう1人もエニスで出遭ったスペイン人なので、アイルランド滞在に換算するべきか微妙なところであります。最後の1人はエニスで出遭った正真正銘アイリッシュの中高年で、見せたい対象が私だったのか世の中だったのか微妙……という大変オープンな自己展示を試みて下さった変態です。この方は今のところ私の中で、栄えある「アイルランドで出遭ったアイリッシュの変態」という唯一のポジションを欲しいままにしています。
今気付きましたが、よくよく鑑みれば1年間で3人ではなく、正確には去年末から3人ですから、約4ヶ月で3人の変態に遭遇していることになりますね。他の留学生に話を聞いてもこんな経験をしている人は周囲にはいませんから、お国柄、土地柄の問題ではなく、恐らく私の星巡りがそうなんだ……と解釈しています。
パリで出会った変態は、私が本屋で立ち読みしていた時にウィンドウ越しにニコニコと笑いながら左手を振りつつ右手でモノを振っていたという、ウッカリすると周囲の風景に溶け込んでしまうタイプの変態で、私と来たら悔しいことに最初気付かずにニッコリと微笑み返してしまったくらいです。(その後気付いてシカトしましたが……)
正真正銘アイリッシュの変態は、学校に向かう通学路の途中で出遭いました。折りしも時間は朝8時50分。私の通学路には小学校があるため、当然道には私だけでなく多くの子供たち、保護者がいたのですが、変態が盲点的な場所に立っていたためか、彼の存在に気付いていたのは私だけだったかもしれません。朝日を浴びて下半身丸出し、みたいな……。比較的お年を召していらっしゃる方で、いまいちボケとの区別が付き難いプレゼンテーションをされてしまったため、私も「うわ変態!」と短絡的に罵る訳にも行かず、「How are you?」という挨拶にまともに応えてしまったのが記憶に疼く思い出です。
そして目下進行形で変態を繰り広げているエニス在住のスペイン人ですが、彼は町に2軒しかないインターネットカフェの古株の方のネットカフェで働いており、ただでさえ週に数回店に通う状況に加えて、こんな小さな町ですから、ネットカフェでだけでなく町中でもよく見かける人でもあります。このネットカフェには私の通う語学学校の生徒が入れ替わり立ち代り頻繁にバイトをしており、個人的な知り合いではありませんが、名前も含めて何となく知っている……というポジションの人です。
このエスパニオ(仮名)、一見普通の人に見えます。ハンサムではありませんが普通の容姿で、いかにもスペイン人らしい濃さ以外に取り立てて言及できるポイントもありません。容姿の面だけでなく、雰囲気を加味しても、コンピュータおたくという雰囲気もありませんし、お客と気軽に話している様子など、本当に普通の店員という感じです。
しかし前タームの生徒で、このネットカフェでバイトをしていた韓国人の女の子から、エスパニオが業務時間中に受付の高台(※注:胸くらいまである)の向こう側でマスターベーションをしていることがあるという情報を聞いており、仄かに「……そーゆー人なんだ」と思っていましたが、実際私がこの目で見た訳ではありませんし、取り立てて細かく想像してもいなかったので、そういった情報は単なる情報として頭の片隅に転がっていただけだったのであります。――本日までは。
本日はバンクホリデーで町中が静まり返る休日です。ほとんどの店が閉店になる中、インターネットカフェだけはオープンしていたため、自分のPCを持って馴染みの店に通います。正午前に店に赴いたためか店内には客が私独り、受付にはエスパニオが1人……。
最初は別に何も気にしていませんでしたが、エスパニオがいきなり私の隣のPCのところに来て、「音楽を変えようかな」などとわざとらしく呟きながら、私に「どんな音楽が好き? 今から音楽変えるけど」と話し掛けてきたことから雲行きが怪しくなって行きます。エスパニオが操る隣のモニターを覗くと音楽クリップのようなものがネットを通して選べるようで、プロモーションビデオなども RealPlayer で見ることができ、「ホラ。最新のビデオクリップだよ」などと言いながらモニター画像を見せてきたのです。そこまでは普通の遣り取りでした。後から思うにプレリュードってヤツですか。
――で、私が「へー」とか言いながら画面をちらっと見て自分の作業に戻ると、エスパニオの興奮気味に話し掛けてきたのであります……。
「お! ホラ、見てご覧!」――言われるままに隣のモニターを見るとお約束のようにAV……モザイク無しアンダーグランド裏映像!みたいな……。何だかいかにも偶然を装っているのですが、明らかに故意にやってるのが見え見えで、目を輝かせながら何度も何度もしつこく「見てご覧よ! ホラ!」と絡んできて、途中操作を間違えたフリをして音も出し始め……。これ見よがしに「Shit!」と舌打ちしながら「上手く消せないゼ」という演出をするのですが、「Look! Look!」ともう弾む心を隠し切れずウキウキ……。
余りにも変態見え見えだったため、「うわもうコイツヤバイ」と恐くなり逃げたかったのですが、制限時間まで残り20分もある上に、この場を逃げたところで自分のPC使えるのはこのネットカフェだけなので、いずれ再びこの変態と対峙しなくてはなりません。そうなるとあからさまに逃げたところで根本的な解決にはならず、「Look! Look!」とはしゃいでしまっているエスパニオにビビりつつも一言。
鷹瀬 「That's enough for me. Leave me alone.」その後はどんなにエスパニオが話し掛けてこようともシカトして、自分の作業を黙々と続けていました。
その内に他の客が入ってきたので、どうにか何気なくその場の雰囲気から逃れることが出来たのですが、会計の際に受付で再びエスパニオとご対面です。しかしさすがスペイン人と言うか何と言うか……エスパニオは悪びれる雰囲気を微塵にも見せず、ニッコリ笑顔で爽やかに話し掛けてきます。
エスパニオ 「学校の方はどう? 最近リビア人たちを見ないけど、彼らはどうしたの? ――え? もう他の都市に行っちゃったんだ。君はいつまでここにいるの? ――ふーん。ハイ、2ユーロね」………………アッケラカンとしていると言うか、変態であることの苦悩とか全くないんだろうなぁ……と言うか……。不覚にも感心してしまいました。そしてまた一方で、日本によくいる(?)「見るからに変態」という異常者タイプ、もしくは「普段は生真面目。でも時々隠れて異様に変態」という鬱屈タイプとは全く異なる、変態行動が日常生活の一部に溶け込んでいるごくごく自然な振る舞いに、ああなんか西洋って変態の市民権が確立されているのかも……などと妙なことを考え出す始末。良いか悪いかは別にして、ストレスや裏暗さは全く伺えない気がするのです。
だってこんな小さな町であんなに堂々と……。韓国人の女の子がエスパニオの変態ぶりをレポートしてくれたように、勿論私も学校でこの話を報告しますし、するとインターネットカフェを利用する顧客の結構な%(パーセンテージ)が彼が変態であることを認識すると思うのですが、それでも彼は「俺様には関係ない」と言わんばかりに全く態度を変えずにあの受付に立つのです。高台の向こうで何をしているのか知りませんが。(うっ……自分で言ってゲンナリしてしまった……)
数少ない経験を元に「西洋人の変態には市民権がある」とは言えませんが、漠然と感じたことを記録しておこうと思ったのでした。
しかしどうして私が遭遇する変態は見せたがり屋さんが多いのでしょう……。痴漢によく遭う人はやはり痴漢に付け入られる雰囲気(大人しそう、反撃して来なさそう etc.)を持っていると聞きますが、見せたがり屋さんの変態に遭遇する頻度が高い人間は一体どういう雰囲気を持っているのか、客観的に自分を知りたい今日この頃……。
痴漢に対しては「死んでしまえ」という攻撃的な気持ちになりますが、見せたがり屋さんにはどうにもそこまで強い感情を抱くことも出来ず、「……トホホ」という憐憫の感情が強いのが正直なトコロ。変態(※注:見せたがり屋さんに限る)に対して大らかになりそうな危険性以外さしたる弊害はないので、構わないっちゃあ構わないのですが、出来れば変態に遭遇する確率で素直に心打たれる人に遭遇してみたいという、人並みの願望を抱いているだけです。
………………平穏に生きたいなぁ……。
【追記】
この日記アップ当初、上記変態エスパニオをスペイン人と勘違いしていましたが、すみません、彼、アラブ人でした。なのでエスパニオではなく仮名も「モハメド」が妥当かと……。スペイン人の評判を著しく下げてしまって申し訳ありませんでした。
しかし変態の市民権が確立しているのは西洋だけでなく、アラブ諸国でも……な訳はないか……。
最近の肺病にまつわる不安な心の内を友人に報告がてらにメールしたところ、ズバッ!っと解決な返信を得ることが出来ました。
2003年4月22日(火) 言葉の威力
鷹瀬 > アレルギーって「何の?」って聞いたら、「分かりません」だって。この無駄のない力強いアドバイスたるや……大好き。
こういう対応がアッケラカンとできる病院は
本当の病気を隠したりしない(できない)と思うんだが。
私が鷹瀬だったら、まず日本語を話す医者に会いに行く。
海外保険の冊子にそういう医者に会うためのマニュアルがあったよね。
「病は気から」で、不調の理由がハッキリしたら半分治ったようなもの。
万一、それでも不安が取り除かれなかった場合は、きっぱり帰国する。
でもきっと、日本語で医者と話せたら解決すると思う。
その大好きな友人のアドバイスそのままに海外保険の小冊子の「日本語の話せる医師のいる病院一覧」を調べますが、そうそう、思い出しました。この小冊子にはアイルランドの病院は紹介されていないんでした。最も近くてロンドン――これは覚悟してあったことです。それでもこの保険を選んだのは、日本語による救急サービス適用地としてアイルランドが挙げられており、緊急事態に備えて24時間日本語対応してくれるパリ・センターから「救急病院の紹介・手配」「転院の手配」「輸送機関の手配」などのサービスがあったからでした。正直言えば、自分が保険を使うとは思っていなかったので、価格だけを決め手にしていた記憶が蘇ってきましたが、まぁいい。
さて、早々に打つ手がなくなってしまったので、
急にお腹が痛くなった、交通事故でケガをしたなど緊急事態でお困りの時、日本語による24時間年中無休の、日本語救急サービス(無料)を用意致しております。の煽り文句に誘われて、「今、病気になった訳ではないのですが……」と言うことで、何かしらの現状打開策を求めて取り敢えずパリのサービスセンターに電話を掛けてみます。
事情を話すとロンドンにある日本人医師がいる診療所を紹介していただき、今度はそこに電話をします。そこから更に分室のような診療所を紹介して頂いて、いよいよ先生との電話越しでのご対面です。
鷹瀬 「風邪をこじらせたことから肺に痛みが起きまして、2度ほどアイルランド・エニスの病院に通ったのですが、初回と2回目で違う医者に見て貰って診断結果や与えられた薬が違うことや、私が診察結果を理解できていないようなのでかなり心配になりまして……。口頭のみで症状や病院側の対処の詳細を時系列でお話しますので、可能性レベルで構いませんから、診察していただけませんか?」………………もう自由自在に操れる日本語万歳っ!って感じでした……。元々早口なのですが、英語を操っている時はマシンガン・トークなど夢のまた夢で、こんなふうに淀みなく言いたいことを言える日本語って素敵……としみじみしつつも、お医者さんに現状に至るまでの約3週間分の詳細報告をして行きます。すると……
医者 「それは2度目の医者が言っていることで間違っていないと思いますよ。アレルギーの原因を特定するのは難しいことですし、事態が深刻であれば原因を追求するのかもしれないけれど、恐らく暫くすれば咳も痛みも治まるでしょう。比較的長い時間は掛かると思いますけどね。肺の痛みに関しては、長い咳の後で筋肉痛みたいな形で肺が痛むとか、そういうことは結構あることですから。湿疹なんかは出来ていないんでしょ?憂鬱な気分が一蹴されました。ああ、言葉が通じるこの喜びっ! 本当に、適当な会話レベルであればどうにかやって行けますが、病気や仕事など正確さが要求される場面では「なんちゃって英会話」では通用しないんだなぁ……としみじみ思ったのであります。
2度も肺のレントゲンを撮っているなら、痛みの原因になり得る炎症や骨のヒビなんか見落とすとは思えないし、1週間の間に変化があればそれも分かるはずだし。もしも骨にレントゲンに写らないほどのヒビが入っていたとしたら、それはもう医者にもどうしようもできないことですから。心電図も採血もしているなら尚更。――ええ、どちらにしてもそんなに深刻じゃないでしょう。
処方されている薬も咳止めと痛み止め、ならば適正だと思いますよ。今はアイルランドにいるんですか? エニス? はぁ……じゃあもうそこのお医者さんを信用するしかないでしょう」
友人宅でスコーン作りに挑戦した昼下がり。200円程度の材料費で少なくとも3人の人間が幸せになれてしまうのです。人生を贅沢に過ごすのは実は非常に簡単なんだな、と。
2003年4月23日(水) 小休憩
友人宅でうどんを食して満足な昼下がり。そのまま韓国人とマレーシア人の同居するご近所に遊びに行って、笛と習字のなんちゃって講習会に参加した夕方。そのまま夜はパブでアイリッシュ・ミュージックのセッション鑑賞。
2003年4月24日(木) 小休憩
………………こういう生活を「つまらない」と思う人もいるかもしれませんが、私はもうかなり幸せ。素朴な生活万歳!
実はタウンセンターに結構な観光ポイントがあることに気が付いた本日。天気が良いから入場してみようか〜という気軽なノリで Ennis Friary という修道院跡にふらりと立ち寄り、人が少ない、騒音がない、空気が綺麗という環境がこんなに簡単に手に入るエニスに愛情を感じるのでした。
2003年4月25日(金) 小休憩
私が肺を切っ掛けに弱り切ってしまったならば、片や胃を壊したことを切っ掛けに弱り切ってしまった日本人留学生の同志がいます。
2003年4月26日(土) 健康第一
彼女はホームステイしているため、安心感はあるものの、私のように自由に食べたいものを食べる訳にもゆかず、胃が弱っているっつーのに「ハイ、栄養つけなきゃ!」とバターがこってり塗られたトーストを出されてしまったりと、文化の壁と病気との間でヨロヨロと闘っているようです。
ホームステイの厳しいところは自分ペースで物事が進められないということに集約されていますが、彼女も胃が痛いっつーのに「家に篭ってばかりじゃ病気も治らないわよ!」ということで家を追い出されてしまい、行く先に困って「お粥作りに行ってイイ……?」という何とも可哀想なリクエストを抱えて我が家に転がり込んできました。フ……フラットで良かった……。
今回の病気を通して、20代後半ともなるとまず体力もさることながら回復力が落ちたことを実感し、一度病気のリングに取り込まれてしまうと次から次へと連鎖的に発病し、完全回復までの道のりが長く険しいことを痛感しました。
健康な時には全く分からなかった「普通の状態」の有り難味……。本当に五体満足で生きることへの感謝は忘れてはいけませんね。そして自分は健康だと過信してはいけないのね……ということを骨の髄から思い知るのでした。
上記1週間の独り言を追って行くと仄かに分かることですが、それでも正直に記録しておきましょう。
2003年4月27日(日) 週間総括
最近の私と来たら、前タームの試験コースで燃え尽きたのか、肺病で体調を壊したことを皮切りに、勉強に対してのやる気が見る見る内に萎えて行ってしまっています。しかし時間はあるものだから、その時間をどう使っているかというと、料理。もう化学実験のノリで料理に勤しんでおります。豚の角煮、スコーン、バナナブレッド、ヨーグルトケーキ、ココナツミルクカレー、ハッシュドチキン……とネットで収集した簡単レシピを元に毎日1品の勢いで新しいものを作りまくっています……。楽しいんだコレが。
しかしそろそろ10週間コースも折り返し地点に差し掛かりつつあり、このコースの後に受ける予定の試験を目指して、エンジンを掛けなければならないようです。
ふと気付けば肺もかなり良くなってきたようです。薬も数日前から完全に止めていますし、咳の回数もかなり減りました。未だに背筋をスッキリ伸ばしたり大きく息を吸うと左肺に微かな痛みを感じますが、以前に比べれば屁みたいなモンです。早く早く早く完璧な健康に戻りたいなぁ……。
2003年4月28日(月) 小休憩
「健康」ではなく「健康に対する自信」を回復するために本日からヨガのレッスンを受けることにしました。週に1度、1回1時間半、しかも最短の4週間コース(35ユーロ)なので、焼け石に水なのは百も承知ですが、それでも何もしないよりはマシかな、と。
2003年4月29日(火) ヨガに挑戦
初級者コースということで、まずヨガとはなんぞやという講義から始まり、ポーズを作ることよりも呼吸法やイメージトレーニングに重点を置いたレッスン内容で、物理的には簡単でも、英語のヒアリング能力の問題でかなり厳しい1時間半でした。何せ最も重要なイメージ解説が正確に把握できないのです。これはイタイ。
また、ポーズを取る際や呼吸の際、目を瞑って自分の中に気の流れのイメージを作らなければならないのですが、解説が英語なもので、「立て膝にして踵をお尻に付けて……」「おへその下に塊をイメージして……」などという微妙な言い回しや身体用語が正確に理解できないため、薄目を開けて周囲の人の動きを真似なければならず、実を言うと心の底からリラックスは出来ません。しかしこのレッスンを通してヨガ用語ではありますが、英語の勉強も出来るので、楽しいといえば楽しいです。(説明が)簡単なポーズの際にはかなりリラックスできますし。
約20人のクラスに東洋人は友人と私の2人だけ、その他は勿論アイリッシュで、オトモダチを作るのにも良い機会ではないか……と思っていましたが、なかなかそれは難しいのが実情ではあります。しかし、ヨガの先生が語学学校の先生の友人ということで、毎回レッスン会場に行く際に私たち2人を車で送って下さり、帰りは先生が引き続き上級者向けのコースがあり私たちを送ることが出来ないため、先生のお父上がわざわざレッスン会場からタウンセンターまで送って下さるという特典付き。しかもこのお父上、お話好きで世話好きで、「何か車が必要になったらいつでも電話くれれば迎えに行くからね」とタクシードライバー顔負けの典型的な「親切なアイリッシュ」で、ヨガのレッスンも然ることながら、いやぁ帰り道が楽しい楽しい。
本当に、何か新しいことを始めると言うのはやはり良いものです。
2月1日の日記や先日27日の日記にも少々書きましたが、もうとにかく最近の私ときたら、料理にはまってはまって仕方ありません。(※注:上手いかどうかは別問題) これは「既製品が充実した日本にいたら一生やらなかったこと」かもしれないので、ある意味、「安い食べ物がない」「レストランは高い上にマズイ」「基本的な食材しか揃わない」という3重苦のアイルランドに留学して本当に良かったと思います。最も基本的な材料からどうにか自分が美味しいと思えるものを作ることはこの上ない娯楽で、こんな素朴な楽しみで心底幸せになれるこの暮らしが愛しく、ああやっぱり日本に帰りたくないなぁ……というのが最近の私の思考パターンです……。
2003年4月30日(水) お次はタイ料理
――それは置いておいて。
さて、インド料理(主にカレー)から始まりリビア料理(主にクスクス)、韓国料理(コチジャンを使った料理数種類)と来て、スコーン、バナナブレッド、ヨーグルトケーキなど途中デザート系に寄り道し、その後ネットを通じて取得した簡単レシピを元に日本料理ちっくな簡単料理を経由して、やって来ました、お次はタイ料理です。日本人留学生の中に料理が得意な人がいて、その人から簡単レシピを教えてもらっているといった次第です。
韓国料理がコチジャン命なら、タイ料理はナンプラー命と言っても良いでしょう。(アイルランドで作れるような簡単メニューの話) 幸いエスニック系のソース類はブルードラゴンというブランドから中国、日本、韓国、タイ、インドなどがミックスされた形で各国の代表的なものが計2〜30種類ほど用意されており、ナンプラーも類に漏れず堂々と手に入る調味料として名が挙がっていました。
そんな訳で、今回は簡単で美味しいパッタイの作り方をご紹介しましょう。(※写真を撮ってからアップします)