extra
巴里旅行記
さしたる情熱もなく、なんとなく決めたフランス・パリ旅行ですが、これが意外なほどに楽しみ、アイルランドでは味わえない洗練された都会の雰囲気をクリスマスという特別な時期を挟んで満喫してまいりました。
| 2002年12月19日(木)〜12月27日(金)の小見出し一覧 | ||
| 12/19(木) 到着とトイレ探し | 12/20(金) 凱旋門とスリ&レストラン | 12/21(土) ベルサイユ宮殿 |
| 12/22(日) ルーブル美術館 | 12/23(月) ノートルダム大聖堂 | 12/24(火) ムーラン・ルージュ |
| 12/25(水) パリのクリスマス | 12/26(木) ピカソ美術館 | 12/27(金) そしてアイルランドへ |
| 余談@ フランス人の対応 | 余談A 馬鹿にされる日本人 | 余談B 美術鑑賞と日本人 |
| 余談C 矢印の概念 | 余談D ショー・ウィンドウ考察 | 余談E 日本食への誇り・再び |
飛行機に乗っていた時間は約2時間ですが、7時半に家を出て、家から市内に辿り着くためのをバス待つこと30分、そのバスに乗車20分、市内から空港までのバスを待つこと30分、そのバスに45分、空港での待ち時間1時間、そしてメインの飛行機に乗って2時間、13時20分にパリ郊外の空港 Beauvais に降り立ち、待つことなくバスを使って市内に向かい、パリ市内(恐らく17区)に到着したのは14時半、そして何故か11区のホテルに辿り着いたのは16時40分でした……。
2002年12月19日(木) 到着とトイレ探し/快晴
パリ市内にはメトロ(地下鉄)が至るところに駅を構え、1度地下に潜ってしまえば東京の地下鉄同様、乗り換えも分かり易く、便利に素早く簡単に移動可能だと聞いていました。世田谷区2個分という広さのパリ市内でメトロを使えば、特殊な時間帯でない限り本数も多く、市内を端から端まで移動しても40分もあれば余裕だと……。
方向音痴の私が、この件に関して妙にポジティブな面ばかりを鵜呑みにするから、いつも道に迷っている状態に陥るのかもしれません……。
既に少々トイレに行きたい……カモ……という危険な初期症状を抱えた状態で、「道に迷っても暫く歩けばメトロの入口にぶつかる」という言葉を真に受けて、バスで降り立った地がパリ市内のどこだか分からない状態でいきなり自信満々に歩き出したのが間違いだったのでしょうか。歩けども歩けども「Metro」もしくは「M」と記された看板が見付からず、バス停ばかりが目に入ります。
ではバスに乗れば良いではないか、と思われるかもしれませんが、アイルランド同様(恐らくヨーロッパ全域かと……)、パリでのバスも行く先や停留所が一切アナウンスされず、風景のみを頼りに乗車場所を意思表示しなくてはならず、英語が通じるかどうか分からない、バス酔いし易い、そもそもパリに全く慣れていないというトリプル・パンチ状態では、とてもバスを利用する気にはなれません。タクシーに至っては単にお金を払う気になれません。だって「暫く歩けばメトロの入口にぶつかる」と言われる「便利で機能的」「均一料金なので切符1枚でどこでも行ける」と謳われるメトロ大国のパリにいるのです。どうしてタクシーなんぞを使わねばならんのでしょう。
必ず歩いていればメトロの入口が私を温かく迎えてくれる筈さ。――一人旅をするようになって、こういう根拠のない自信ばかりが鍛えられているように思う今日この頃。しかし私のそんな楽観的な姿勢とは対照的に、「Metro」もしくは「M」の標識は視界のどこにも現れはしませんでした。
余りに長いこと歩いてもメトロの入口の看板が見付けられなかったため、勝手に「とにかく地下に潜りゃーいいんでしょ」という乱暴な融通を利かせ、「P」という看板が掲げられた地下に続く階段を延々降りて行き、最下層まで辿り着いて自動車の駐車場であることに気付いた時には、「だから『M』だってば! 勝手にローマ字の意味を変えるなって!!」と自分に対して怒りをぶつけたものです……。
途中で何人かに「ここから1番近いメトロの駅はどこですか?」と中途半端に聞いたのも敗因だったのかもしれません。取り敢えず教えられた通りに暫く歩くものの、なかなか入口が見付からず、「これはどうやら通り過ぎたようだ」と思ってから次の人に聞くと、その次の人は前の人と違う駅を教えてくれるため、再び新たに教えられた駅を探し求めて……以下同文、ということを5回ほど繰り返した結果、「暫く歩けばすぐにぶつかる」と称されているメトロの入口を探すのに1時間半も掛かってしまいました……。実際に電車に乗っていた時間は30分ほどです。
このメトロの入口探しと同時進行で、もうひとつの問題も抱えていました。
トイレが近い私にとって、寒空の下、見知らぬ街を長時間歩く危険は「犯罪」ではなく「トイレ確保」です。特に外国ではこの生理現象にチップという形でお金を払わなくてはならない、というコトも相俟って、無料で使用できるトイレがある場所では必ず用を済ますようにしてはいるのですが、それでも間に合わない場面はたくさん出てきます。
ドイツではさほど困った記憶もなかったトイレ事情ですが、パリでは最初から少々覚悟をしていました。「地球の歩き方」にこうあったからです。
パリの町を歩いていて、意外に見付からなくて労するのがトイレ。デパートに入っても数は少ないし、駅にあってもほとんど有料で、タダで用を足すことができない。――と、まぁこの情報からそれ相当の覚悟はしていましたが、本当にトイレがないのです。タダで使用できるトイレどころか、メトロの入口さえ見付からない場所では、公衆トイレすらも見付かりませんでした。「恐れずに」も何も、全自動式の公衆トイレはアイルランドで経験済みですから見付かりさえすれば即刻駆け込みたいところだったのですが、ないのだから入れない。デパートらしき店もなく、しかも後に知ることですが、パリのデパートやスーパーにはトイレがありません……。
ところで、建物の中にはあまりないトイレだけれど、パリの町を歩いていると、至る所に物置みたいな公衆トイレを見かける。これがユニット式の全自動公衆トイレ。(略)
トイレが見つからずに我慢することのないように、恐れずに入ってみよう。
(「'00〜01 地球の歩き方50 パリ&イル・ド・フランス」より抜粋)
もうメトロの入口を探しているのかトイレを探しているのか自分でもよく分からなくなった極限状態で、大きなスーツケースを引いた団体やバックパックを背負った旅人が同じ方向に歩いている風景が視野に入り、「恐らくメトロに向かっているに違いない!」と決め付け、必死で後を追います。
多分人生の中でかなりの順位に位置するほどのトイレ逼迫度だったため、「メトロ」「トイレ」「11区のホテル」「ここはどこ?」という様々な疑問が頭の中を駆け巡り、その中核を形成していたのは紛れもなく生理的欲求である「トイレ」に関してでした。
「例えばパリ市内で失禁してしまった場合、どういう対処法でその場を逃れればいいのかなぁ……。幸い黒いズボンだから布の湿った感じは分かり難いし、公園に行ってズボンを洗うとしても、まずその前に公園が制限時間内、つまり限界以前に見付かるかどうか。失禁場所を選ぶ余裕もなさそうだし……。裏道に入りたくてもどこが裏道なんだか……。ってか、ココはどこなんだろう?」よくこういうことを言うと、さほど親しくない人からは「ネタでしょう?」などと言われますが、違います。私は常日頃から頭の中で物語を作ったり脳内フレンドと会話をしたり目に映るものに勝手な解説を加えてみたりと、要するに90%くらい無駄なことを考えています。そして加えて言うならば、この無駄な思考遊びは、自分の身に危険が及ぶとシミュレーションという形式に偏る傾向があると最近になって分かってきました。あらゆる可能性を吟味するための有益なシミュレーションという訳ではなく、単に逼迫した気持ちや動揺を抑えるための独自の解決方法なのではないか、と睨んでいます。
「不幸中の幸いは今が夜じゃないってコトだけど、日があるがゆえにこっそり用も足せないとなると現実って皮肉だなぁ。ってか、私ズボンこれ1本しか持って来てないじゃん。乾燥しているとは言え、この生地が乾くのには時間が掛かりそうだし、ホテルに着いてから洗ったとして明日までに乾くかな? 今日の夜ご飯を買いにスーパーも探さなくちゃならないし、ホテルに帰る前にスーパーに寄るとしても、さすがにアンモニア臭いズボンのまま店内に入るワケには行かないよねぇ……」
「ってか、そもそも旅行者によるパリ市内失禁率ってどの程度なんだろう……。こんなにトイレが見当たらないなんて、皆は困っていないのかな……。私程度にトイレが近い人くらい、世の中にはゴロゴロいるだろうに……」
――そんな自己分析はどうでもイイ。目下最大の課題はトイレ発見です。メトロの入口を発見しても、こんな状況ではおちおち電車にも乗れません。
そんな私のギリギリの状況を救うかのように、メトロの入口を求めて後を追った観光客たちは、メトロではなくホテルに向かっていたようです。一瞬落胆しますが、災い転じて福となすとでも言うのでしょうか。このホテル、かなりゴージャスで、国際的に活躍するビジネスマンなんかが使っちゃったりするクラスのホテルに見受けられます。そんなホテルには必ずロビーがあるはず、そして必ずトイレがあるはず……っ!
ワタクシ当然「君はココの宿泊客じゃないだろ……」と一見して分かる素朴な出で立ちをしておりましたが、そこは恐らくサービス業の寛容さで、私の入場を取り締まるホテルマンなどおりません。よく道には迷うくせに、この時ばかりはほぼ直線距離でトイレを発見でき、もうあたかも「一心不乱」という様子で足早にトイレを目指すバックパッカーの私を、「お前トイレのためだけに入場しただろ」と見抜いているらしい黒人の清掃係がじっと目で追っていましたが、用を足した後ならば怒鳴られてもつまみ出されても構いません。とにかく私は今、超個人的な危機に瀕しているのです。
トイレの入口は天国への入口でもあります。しかしまだまだ油断するな、あとちょっと、頑張れ!などと心の中で呟きつつ、漸く……本当に漸くこの慣れ親しんだ特殊な緊張感から解放されたのであります。
一人旅というのはとかく無口になりがちですが、フランスに降り立ってから初めて口にした日本語は、このトイレの個室の中で、身体の全筋肉を弛緩させた直後でした。
鷹瀬 「危なかったぁ……」パリ旅行の道中も、アイルランドに帰国した今でさえも、時々思い出しては噴き出す印象的な一言となりました……。
このような経緯を経て、メトロの入口探しに再び専念するワケですが、先にも書いた通り、ホテルに辿り着いたのは16時40分。ノートPC持参のため身軽ではなく、精神的にも疲れ切ったこの日は、ホテルのすぐ近くにあるスーパーに買い物に行って幕を閉じてしまいました。
後に分かったことですが、私が降り立ったバス停はパリ市内の外れに位置しており、歩き出す方向によってはメトロの駅は減る一方で、私の迷い方を地図で確認すると、かなり惜しいところまで行っては迷いが生じて別の道を辿る――ということをしつこく繰り返していたようです。いやはや。
しかしお陰さまで見る予定もなかったパリの普通の街並みを存分に堪能できて、結構楽しかったです。綺麗ですね、パリは。そして当たり前ですが都会です。
ホウホウのテイで辿り着いた台所付きのホテルは、自ら選んだ最も安い部屋なだけあって、堂々とうらびれており、シンクが狭く、まな板がなく、湯沸器も電子レンジもトースターも当然なく、挙げ句の果てにはゴキブリまでいて、思ったほど活用できそうもありませんが、まぁ簡単な料理が出来るので1泊38ユーロでは文句のつけようもありません。
余談ですが、アイルランドに比べて果物以外の食料品の値段が安いです。果物はなぜか倍以上しましたが、スパゲティや菓子が約半額でした。これはパリの物価が安いのではなく、アイルランドがヨーロッパ諸国の中で群を抜いて高いということなのです。改めてアイルランドの物価の高さに驚くのでした。
昨日比較的早い時間にパリに到着したにも関わらず、観光らしい観光を全くしていないため、本日から本格的な観光に乗り出します。
2002年12月20日(金) 凱旋門とスリ&レストラン/曇→小雨
――が、本日から3日間だけパリに来る前の学校でのクラスメイトと凱旋門(Arc de Triomphe de I'Etoile)で11時に待ち合わせをしていたため、ベルサイユや美術館などの1日コースのガップリした観光は出来ません。しかし私には時間がある。本日は市内観光、そしてせっかく友人と落ち合うのだから、1人ではなかなか行けない場所レストランに行く予定を既に組んでおります。
まずホテルを出て、凱旋門に向かうべく「便利で機能的」なメトロに乗りますが、驚いたことに私と来たらお約束のように反対方向の電車に乗ってしまいました。「私は方向音痴なんだから、しっかりと行く先を確認しなくちゃ」という気持ちで電車に乗った(つもりだった)ので、自分が逆方向に進んでいることに気付いた時には心底驚きました。そして驚きを通り越して呆れ、呆れ終わると少々憂鬱になってしまいました。何か悪い病気なのかもしれません。
友人との待ち合わせの前に凱旋門の周囲を歩き回る予定だったので、時間的には問題ありませんでしたが、それでも精神的なダメージは小さくありません。逆方向に向かっていることに気付いた私は当然正しい方向に向かう電車に乗り換えようと途中で下車しますが、小さな駅だったためか反対方向の電車に乗り換えるためには1度改札を通らなくてはなりません。(※注:各線が乗り入れる大きな駅だと改札を通ることなく反対方向のフォームに行ける) 仕方がない、もう5駅先の終点まで突き進むことにします。終点まで行けばいくらなんでも自動的に戻ってくるでしょう……。そう願いたいものです。
既に雲行き怪しい幕開けとなったメトロ利用ですが、誰しもが口々に「パリのメトロは素晴らしい」と褒め称えるように、本当にパリのメトロは「便利で機能的」でした。おおよそ東京の地下鉄と同じような構成なのですが、最も大きな違いは、路線名が番号・記号制ということです。「丸の内線」「銀座線」のように固有名詞を与えるのではなく、「1号線」「2号線」なのです。そして郊外まで足を伸ばす快速電車RERも「A線」「B線」とアルファベット表示で、固有名詞は使用していません。これは合理的であり、かつフランス語が全く出来ない者にとって非常にありがたいシステムなのであります。
また、「××方面」という方向表示の潔さも非常に明快で合理的でした。例えば「××方面」の表示方法は、日本であれば現在地から向かう方向にある有名駅をメインに表示します。具体例を言うならば、「新橋−銀座−京橋−日本橋−……−上野」という駅の並びをする銀座線では、現在地が「京橋」の際は「銀座方面」「日本橋・上野方面」などと表示され、現在地が「銀座」に移れば「新橋方面」「日本橋・上野方面」と方向名が微妙に変化する、という具合(だったと思うの)ですが、パリのメトロでは方向の表示には両端の終着駅名のみを使用し、余計な情報は一切表示しません。土地に慣れていない者にとっては、このシステムの方が非常に分かり易いのです。
恐らく日本では電車が東京都内だけに留まらず、終着駅に関しても枝分かれが多くあり、なかなか終着駅を方向名に使用するのは難しいのかもしれませんが、それに加えてヨーロッパが絶対評価を好むのに対して、日本では相対評価が好まれるのではないか、もしくはそういう思考回路の傾向があるのではないかという見方も出来るな、などと考えていました。
さて、彷徨うのは頭の中だけにしろ、という独りツッコミを経て、無駄な経路を挟みつつ、漸くお目当ての凱旋門に到着します。
昨日彷徨っている最中に何度か遠目で確認していた凱旋門ですが、真下に立ってその大きさに度肝を抜かれました。期待していないものほど感動できるものです。凱旋門に関しては、「凝った門なんでしょ?」程度の認識だったため、「壮大なスケール」などと煽られても全く心動かされることもなかったのですが、改めてその真下に立って門を見上げ、「壮大なスケール」の意味を理解し、ココがある意味パリの象徴なのだということを思い知ります。
人物も写っている写真などで大きさの推測が出来そうなものなのですが、やはり写真での推測とこの目で見るのとでは全く違うのです。本当に「百聞は一見にしかず」という言葉の重み、体験の重要性を実感します。
ただ忘れてはならないのが、凱旋門は観光名所であり歴史的記念碑であると同時に第1次世界大戦中に亡くなった無名戦士たちの墓だという事実です。
写真ではえらく小さく見えてしまう凱旋門
待ち合わせの11時を過ぎても現れない友人に、またもお馴染みの生理的困難が襲い掛かってきます。――トイレです、トイレ。
乾燥する空気に耐えられず、水を大量に飲んでしまったのが敗着だったのかもしれません。朝1杯の水を摂取した時点で、もう私は長時間感慨にふけることが出来ないカラダになってしまったと言っても過言ではないらしく、それと同時に私の腎臓の濾過の素早さにほとほと参ります。セッカチな性格は内臓にまで影響するのでしょうか。それともこういう身体機能だからこそセッカチな性格になるのでしょうか。卵が先か鶏が先か――哲学ごっこをしている場合ではありません。尿意も徐々に無視出来ないものになって行きます。
案の定、凱旋門にはトイレがありません。入場料を支払って門の内部に入場すればあるのかもしれませんが、とりあえず無料見学できる場所にトイレはありません。
また、凱旋門の位置配置というのは周囲が完全に道路に囲まれ、横断歩道はありません。凱旋門の真下に辿り着くためには1度地下に潜らなくてはならず、11時10分という微妙な時間でこの場を離れ、すぐに見付かるとも限らないトイレ探しの旅に出てしまうのは少々躊躇われます。10時40分から待っている私にしてみれば「既に30分も待っている」状態ではありますが、相手にしてみればまだたったの10分しか遅れていないのです。どうしよう……今はまだイイ。臨界点はまだまだ遠い……と思われる。でもまた昨日みたいな目に遭うのは避けたい……。
15分になった時点で颯爽と現れた友人ですが、日本人ですが非常に志が高く常に日本人同士でも英語で話すよう心掛けている方で、彼の第一声はこうでした。
彼 「Did you wait for a long time?」私は日本人留学生と話す時は、基本的に相手が英語を使うかどうかを見てから、それに合わせて返事をするようにしています。英語で話し掛けてきた彼には英語で返すのが筋でしょう。
鷹瀬 「Yes. I came here at 10:40. Sorry, I want to go to a toilet! I'm in a hurry.」緊急時でも英語で話せるようになるとイイんですがね……。
彼 「え? そうなの? ごめん、それって僕が遅れたからだよね。アレってトイレじゃないの?」
鷹瀬 「違う、あれは塔に登る入場口だった。ここら辺は全部見て周ったけど、ないみたい」
彼 「あっちの方にマクドナルドがあったからそこ行く?」
鷹瀬 「行く! 何かまだちゃんと見てないのにごめんね」
彼 「あ、いいよ。僕は前にも来た事あるし」
そしてこの直後、凱旋門から周囲の道に出るために地下に潜ったところで、私、生涯で初めてのスリに出遭います。丁度友人が念のためにと地下の受付にいる係員にトイレが近くにあるかどうか尋ねている最中でした。小さなバックをたすき掛けにして少々後ろの方に回していたのですが、何やらバックのチャックを開けるような微妙な振動が伝わり、振り向くとどう見ても10歳程度の少年が、私のバックのチャックを開けているところだったのであります。
私が振り向いたことに気付いた少年は手を引っ込めて私を上目遣いで見上げてきます。私はとにかく初めてスリに遭った事態に何やら酷く感銘を受けていました。「うわ〜コレがスリかぁ……」という感じです。「What are you doing?」と責めるような口調で言ってみても、相手も慣れたものです。早口のフランス語で何やら捲くし立て、そのままフイと離れて行きます。無論悪びれる様子など微塵にもありません。彼らはこれで生活しているのでしょうから、とぼけた日本人女が責めたところで痛くも痒くもないのでしょう。
私がじっと彼を見ていると、途中で仲間らしき同じ年頃の少年たちと合流し、こちらを振り返ります。私が友人に彼らを指差して「あの子たち、スリだわ。気を付けてね」と言うと、少年たちはこれ見よがしに慣れた手つきで煙草を吸い始め、しかし目だけは私をジロジロと捕らえています。
友人と合流して緊張感が解けてしまったこと、無料で見学できる観光名所であったこと、トイレに行きたくて警戒心が緩んでいたこと、日本人であることなどの条件がすべて揃った下での初めてのスリとの対面は、このように非常に静かなものでした。
元々このバックには小銭以外の金銭や高価なものは入れていないので、たとえバックごと盗まれてもそれほど痛くはないのですが、それでも手帳やガイドブックなど、なくなっては困るものが入っているので、出来れば盗まないで欲しい……というのが私の正確な心理でして。「気を付けなよ」「バックは前に回した方が良いよ」と私以上に心配している友人に、「でもさー、そんなに重要なモノとか入ってないし、盗む価値ないと思うんだけどなぁ」と呑気に返事を返していると、
彼 「スリは『コレは重要そうかな、これは要らないな』なんて判別しながら盗む訳じゃないんだから。そんなに重要じゃなくなって、盗まれたら困るモノくらい入ってるでしょ」と至極真っ当な現実を突き付けられ、なるほど手帳を盗まれたら厄介だな……と納得して大人しくバックを前に回しておきます。
どこか呑気な雰囲気が漂っていたスリ初体験ですが、実際にスリに遭って感じたことは、「恐い」とか「酷い」とかいう感情ではなく、「あんなに小さいのに、もうこんなことに手を染めて……。大きくなったらどうなるんだろう。似合ってないのに煙草なんか吸っちゃって。他人から盗むくらいお金が欲しいなら、その煙草代も節約すればいいのに。今後彼が真っ当な人生に舞い戻ってくる可能性はどのくらいあるのかなぁ」という物悲しさでした。この少年の手口が非常に大雑把で杜撰だったせいかもしれません。こちらが全く気付かないウチに財布をスられていた、というようなプロの手口で攻められると「おお!」と思えるのですが、あの程度では成功率はさぞかし低いことでしょう。逆に言うならあの程度のスリにスられるというのは、余程油断していたとしか言いようがありません。
この後、用もないのにマクドナルドに入店し、一息吐いてからエッフェル塔の近くにあるレストランに行こうということになり、ではついでにエッフェル塔も観光しようという花より団子状態の計画を立てます。
私も大概方向音痴ですが、友人も決して方向感覚に明るい訳ではないらしく、しかし私よりはマシということで、彷徨いながらエッフェル塔を目指す彼にお気楽に付いて行きます。
そして驚くべきことに、ほんの30分前にスリに狙われた私は、エッフェル塔付近の道路で信号待ちをしていた時に再びスリに狙われました。今回も丁度友人と話している最中で、不自然に背後から私に近寄ってくる若者に友人が気付き、素早く注意してくれたために完全に未然に防ぐことが出来たのですが、もうこうなると「スられたかどうか」という結果が問題ではなく、「狙われたかどうか」という事実が問題になってきます。
彼 「やっぱさ、そのバックを後ろ側に回すのは良くないと思うよ」ああ、一理ありますね。一人旅は危険と言いますが、一人旅だからこそ防げることもあるのかもしれません。友人が一緒にいると緊張感は著しく低下しますから。例えば、方向音痴の私は友人と一緒の場合、地図を全く確認しなくなります。これでは安心感は得られますが、土地感は得られません。その土地に集中するという意味では、一人旅の方が吸収できるものが多いのではないかと思います。
鷹瀬 「いや、手は掛けていたし、注意はしているつもりなんだけどね……前に回すわ。でもこんな短時間に2度かぁ……よほど間抜けに見えるんだろうねぇ。ちょっとショックだな。今まで一人旅してきて、スリに遭ったのは今日が初めてだよ。やっぱパリはスリが多いって本当なんだね」
彼 「それもあるし、油断するのってむしろ人と一緒の時なんじゃないかな。さっきも今も僕と喋ってる時に狙われてるし。逆に独りだったら隙は出来難いんじゃない?」
そんなこんなで憧れのフレンチ・レストランで昼食をいただき、「地球の歩き方」で紹介されているかなり安い店を選んでしまったせいか、アイルランドに比べて美味しいことは美味しいけれど、日本のフレンチ・レストランの方が安くて美味しいような気もチラリホラリとしながら、しかし満足に久方振りの豪華な食事を堪能し、また夕食も一緒に食べようね、ということで彼はオルセー美術館へ、私はポンピドゥー芸術文化センターへと一時解散しました。
ポンピドゥー芸術文化センターの感想は割愛します。と、言うのはここに向かう間に出くわしたクリスマス市に魅せられて、またしても花より団子状態だったので……。
夕食ではやはり「地球の歩き方」にて「パリで最も安いレストラン?!」と紹介されている店に赴き、「……せっかくフランスに来たんだし、次はもうちょっと頑張ってひとランク上のレストランに行こうね……」という含みのある結果に終わりました。
――ということで、明日は友人も一緒にいよいよ大本命であるベルサイユ宮殿に赴きます。
さて、ベルサイユ宮殿(Chateau de Versailles)です。気持ち的にはその豪華さから「ヴェルサイユ」と表記したいところですが、私がベルサイユを知った切っ掛けは幼少のみぎりに読んだ池田理代子の「ベルサイユのばら」なので、ここは見栄を張らずに「ベルサイユ」と表記することにします。
2002年12月21日(土) ベルサイユ宮殿/小雨→曇
話をベルサイユ宮殿に戻します。「パンがないならケーキを食べればイイじゃなーい」とのたまったマリー・アントワネットが、やはり「文句があるならベルサイユへいらっしゃい」とのたまったことで有名なベルサイユです。――しょせん無い袖は振れず、「ベルばら」による歪んだ知識のみしか思い浮かびませんね……。
そもそもこのマリー・アントワネットの2大発言、本当に史実として確実性のあるものなのでしょうか……? 詳しい方がいらっしゃったら是非教えていただきたいです。(※注:今後ネット環境が悪くなるためお返事が遅れるかもしれませんが、お礼に容量の許す範囲でパリの選りすぐりの写真を返信いたします。メールはこちらまで)
パリ郊外にあるものの、市内から電車で1時間弱で訪問できるベルサイユはもはやパリを訪れた観光客の定番コースと言っても良いらしく、交通手段も整っています。
「地球の歩き方」の紹介文が例によって例の如く私の期待を煽ります。
ここへ来て1時間もすると、贅の限りを尽くしたこの宮殿が、華麗さを通り越してグロテスクに見えてくるかもしれない。人間の放蕩・消尽とは一体何なのだろう……? そんなことを考えさせる場所でもある。同行する友人は数年前に既に見学したことがあるらしく、雨天中止かと心配する私に、「宮殿内部は天気に関係ないし、庭はただだだっ広いだけでなんてことないから特に天気は関係ないんじゃないかな」という非常にクールなご意見をもって雨天決行を勧め、結果、天気によらず8時20分に互いのホテルの中間地点駅で待ち合わせをすることに決めていました。
20分待って来なかったら取り敢えず個別に現地に向かう、いざとなったら私の携帯に電話する(※注:アイルランドの携帯が国際電話料金で使用できるのです)、ということで万が一に備えていましたが、これはあくまで万が一の非常事態対応であり、私は人との約束に寝坊して遅れるような可能性は低い人間ですし、彼もまた実直な人柄なので、20分の猶予があればまぁ大丈夫でしょう。――そんな算段でした。
そして本日の朝です。
まずホテルの最寄駅は3ヶ所あるのですが、本日の待ち合わせ路線への接続に相応しい、しかし初めて利用する駅を目指しました。これがそもそものケチの付き始めだったようです……。ホテルから与えられた地図はいたってシンプルで明白だというのに、その明白な位置に駅が見当たりません。そろそろ見付かってもイイ筈なんですけど……と誰にともなく呟きますが、しょせん独り言は独り言でしかなく、事態は改善しません。休日の早朝のため辺りは薄暗いばかりか人通りも全くなく、お得意の「ここはどこ? 私はココに行きたいの」と訴える相手も見付かりません。
歩いて歩いて歩いて漸く見付かった駅は、目指していた路線ではありましたが、目指していた駅のひとつ先の駅で、どうやら私はひと駅見逃してしまったようです。
恐らく20分で着くであろうところ、余裕を持って40分前にホテルを出たのですが、良かった……と安堵すると同時に、自分の病的な方向音痴に辟易してきます。本当に、単に頭と言うよりももっと根底の何かが悪いとしか思えません。
それでも待ち合わせに間に合うギリギリの余裕は依然としてあり、「神様はしょせん私が好きなのさ!」という訳の分からない自信だけは健在です。こういう態度が私の方向音痴を煽っているのかもしれません。
とにかく郊外に出るための切符は通常の市内切符と違うため、駅員のいる窓口に行き、口頭で行き先を告げて購入しなければなりません。
都市部の主要機関で働く人々が最低線の英語を話せたドイツと違って、フランスではパリの公共機関で働く人あっても全く英語を話せない(話さない?)人がゴロゴロいます。フランスは英語が全く通じないという点で、(英語を世界の共通語と期待する人にとって)外国色の強い国だと言えるのではないでしょうか。
ほとんど人がいないメトロ改札付近の、けだるげな男性駅員が待ち受ける窓口に顔を寄せ、なるべくフランス語ちっくに「Versailles」と言ってみます。駅員はフランス語で何やら言い、ジェスチャーで「1か2か」と聞いてくるので、「私しかいないのに2な訳ないじゃん」と思いつつこちらもジェスチャー付きで「one」と返事を返します。
既に言葉が通じないことに対して「へっ」という雰囲気を醸し出しているその駅員が、発券された切符を片手に用意しながら価格を言いますが、当然フランス語なのでサッパリ分かりません。「?」という顔をしているとこれ見よがしに溜息を吐き、初めから見せればよかった価格の表示を今更ながらに私に見せます。その価格はどう見ても市内切符の価格だったため、私はもう1度「I'd like to go to Versailles.」と言いました。するとその後の彼の態度が凄かった。「one, two」すらも言わずにフランス語のみを使っていたので、英語が話せないのかと思っていましたが、大きく溜息を吐き軽く机を叩いた彼は、私よりも下手と思われる英語で、しかしハッキリとこう言ったのです。
駅員 「I don't know in your head. Do you know? You should say before I made ticket. ―― Go? Or go and come?」スッゲェ! アイルランドではありえないこの態度っ! さっすがおフランス!!
雰囲気訳 「君の頭ン中なんて知らないよ、ったく。そーゆーコトは発券する前に言ってくれなきゃ。――で? 片道? それとも往復?」
私も負けじと「I said!」と言ってみますが、鼻でせせら笑ってまるで相手にしてくれません。しかも先ほどの「1か2か」というのは「片道か往復か」ということだったようです。「Single/One-way」と「Return」という言い方も知らないクセにコノヤロウという気持ちも篭めて、こちらもぶっきらぼうに「Return please. I didn't understand what you said a little while ago.」と余計な一言を加えて応戦しますが、フランス人には通用しません。彼は「へっ」という雰囲気を「けっ」という雰囲気に悪化させて、新たに発券された切符とお釣りを投げるように寄越します。
うお〜面白いよ〜。よく知らないけど、何故かいかにもフランス人って感じ〜。
こんな貴重な経験を経ていよいよ乗り込んだ初の高速郊外地下鉄RERですが、ガイドブックに注意書きとして書かれていた「行き先に注意! ベルサイユ駅は2ヶ所ある」ということを重々念頭に置いて、しかし待ち合わせの駅はベルサイユよりずっと前なのだから、と行き先をチラリと確認して「よっしゃ Versailles って書いてある」ということで、取り敢えず来た電車に乗り込みました。
――ハイ、これから先は予想通りの展開です。またしても失態を犯したということに気付くのは、これから数分後のとことです……。
駅名で確認するのではなく、「電車に乗って次の次の駅が待ち合わせの駅」と思い込んでいた私は、初めの駅がすぐに現れ、その次の駅がそろそろ現れるのかなーと思っていると、コレがなかなか現れないことに懸念を抱きます。車窓の景色は都会の風景からどんどん郊外ちっくなものに変わって行き、「待ち合わせの駅って市内なんですけど……もしかして快速に乗っちゃったんだろうか……」と焦り始めます。
漸く停まった次の駅で飛び降り、自分の陥っている事態を把握するために駅名を確認すると……すると……驚いたことにそこは目的地と逆方向に位置する駅ではありませんか。しかも既に郊外。
何がなんだか現状把握すら出来ずに改めて路線図を広げ……目下利用中の黄色のラインのC線は、と確認すると、恐ろしく環状に近い形状の路線図が目に映るではありませんか……。
………………コレ、騙される人多いと思うんですけど、どうでしょう……? そりゃ私の方向音痴もいけませんよ、でもコレは……フェイントの域でしょう……。
高速郊外地下鉄RER(C線)路線図
ただ今回のミステイク自体は「まぁ難易度(?)高かったしね……」と諦めもつくのですが、毎度毎度見事なくらい違ったシチュエーションで素直に目的地に辿り着けない自分に、単なる「方向音痴」という枠組みから外れて怨念がかった薄気味悪さを感じます。何か憑いているとしか思えないこの病的な方向音痴は、私のご先祖様が道案内の神様(←何ソレ?)を殺してしまったとか、そんな理由がないと納得行かないのですが……。最近、死ぬ時は迷子が原因で死ぬような気がしてなりません……。
様々な思いに囚われつつ、それでもすぐに引き返さねばと電光掲示板で次回の電車の時刻を確認しますが、既にココは郊外のため、次回の電車の到着は45分後。現在の時刻は何の因果か待ち合わせの時刻8時20分ジャスト。これから20分待って貰えるとしても追い付きません。
電話が掛かってこないかと携帯を確認しますが、初めて見るよく分からない表記が液晶画面の中央に現れており、この携帯が現在使用できるのかどうかすらも怪しいという、かなり絶体絶命状態です。
待ち合わせ時刻の20分間猶予、携帯電話での連絡手段確保、更にはホテルを幾分早く出るなど、「万が一に」と2重にも3重にも張り巡らせておいた防波堤も、私の持病、先天性方向感覚欠落症候群という高波を防ぐことは出来なかったようです。もう街中水浸しさ、みたいな……。
結局携帯は鳴らず、待ち合わせ駅に到着したのは約束の1時間後。当然フォームに友人はおらず、私もそのままベルサイユに直行します。
「こいつぁ何かの試練だね」などと、また訳の分からない日本語を呟いて、その言葉を反芻してはクスクス笑うという、精神的に少々壊れかけた状態でベルサイユに降り立つ観光客は、一体どれだけいるんだか。
例によって例の如くの思考遊びが宴もたけなわになった頃、電車はベルサイユRG駅に到着し、そこから先は人の流れに沿って行けば目の前にはベルサイユ宮殿。ここまで来れば恐れるものは何もナイ。勝ったも同然です。(←既に負けている現実は無視している模様)
いよいよ宮殿敷地内に足を踏み入れ、人が集まっている所が入場口かと思い近寄ってみては、団体客用の入場口であったり、入場口ではなかったり、そんなことを数回繰り返し、取り敢えず売店の人に聞いてみようと店の扉に手を掛けると、奇跡的にも中から扉を同時に開けたのは、生き別れになった友人だったのであります! 神様はしょせん私が好きなのさ!(←しょせん幸せな思考回路らしい) だってこの偶然!! ちょっと目を見張る離れ業でしょう!
彼 「9時頃まで待ったんだけど……。そう言えば、電話したけど通じなかったよ。え? 9時20分の電車で来たの? ああ、じゃあ僕はその電車の1本前のヤツに乗ったんだな」まぁもう途中経過はこの際脇に置いておいて、終わり良ければすべて良しみたいな。
さて、1人旅から2人旅に戻ったところでベルサイユ観光です。
まずは主要な見所でもある庭園に向かいました。宮殿自体にも期待感はありましたが、この庭園に対する期待も相当のものでした。と、言うのも、「地球の歩き方」がこんなふうに紹介していたからです。
ルイ14世は、城の建築中、毎日のように工事現場を見てまわり、不十分なところ、気に入らないところを細部まで直させるという、現場監督のようなことまでするほどの熱の入れようだったという。なかでも、この庭園はそんな彼の自慢の作品だったらしく、「ヴェルサイユ庭園案内の手引き」と題したノートの中に、来客を連れて庭園を鑑賞させるにはこれがいちばん、という順序を書き残している。しかし見る前から、数年前にここを訪れたことのある友人のこんな冷めた台詞が聞こえてきます。
彼 「いやー、僕はあんまりベルサイユは……。なんか……『ただデカイだけじゃん』みたいな感じが……」………………コホン。気を取り直して。全く、このジャパニーズの青年はルイ14世の拘りを何だと思ってるんでしょう!
とにかく庭園に向かいます。
――で、私の感想は、というと……困りましたね……正直に言うならば、「ただデカイだけじゃん」みたいな……。
いやでもコレ、タイミングが悪かったのかもしれません。まず時期が悪く、そして天気が悪いというのは、もうルイ14世の情熱をもってしてもダメなのかも……。
なぜか物寂しいベルサイユ庭園
観光シーズン(夏)には噴水を利用した各種の催しが行われ、噴水と音楽のショー、噴水と音楽にイルミネーションと花火を加えた夜祭などがあるそうなのですが、現在噴水はこんな状態ですから。
………………え……と……そだね、宮殿に行こうか。という感じで、少々気抜けしたまま宮殿へと向かいます。
仮死状態の噴水
――で、私の感想は、というと……困りましたね……正直に言うならば、「そんなに豪華ってワケでもないじゃん」みたいな……。
と言うのは、この夏のドイツで観光した城(Linderhofなど)は本当に豪華で華美華美していて、「こんな部屋で暮らすなんて落ち着かない。お腹一杯……」という感想を抱いたほどだったので、ベルサイユもそんなレベルなのだろうと期待しており、それと比べて大したコトない、と言いますか……。
ただドイツの豪華絢爛で圧倒された城が何世紀に建てられたものなのか忘れてしまい、17〜18世紀(1662-1720年)に建てられたこのベルサイユとの比較に年代を加味できない状態なので何とも言えないのですが……。
例えば、私が圧倒されたドイツの城は床・壁・天井のどこを見ても「何も装飾が施されていない」という部分がなく、それこそ「華麗さを通り越してグロテスクに見えてくる」という状態だったのですが、ベルサイユ宮殿では勿論華美な装飾は施されていましたが、「何も装飾が施されていない」という部分も非常に多く、ほとんどの部屋の壁や天井は落ち着いており、「ドイツの城では暮らせないけど、ここなら暮らせるな」などと、「何様だ!」ちっくな感想まで漏れ出る始末でした……。
なかなか良い写真がないのですが、参考までに。
まぁフランス革命の引鉄ともなった歴史的に深い意味を持つこの宮殿を、「豪華かどうか」という観点でのみ見てしまう私に問題があるのですが、この宮殿自体に色々解せない点も多くありまして、スッキリしない見学だったというのは事実です。
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(左)ドイツ/リンダーホーフ城 (右)フランス/ベルサイユ宮殿
例えば、「宮殿の中で最も壮麗な空間」と称されるベルサイユ宮殿の見所「鏡の回廊(Galerie des Glaces)」での解説で、
「当時、大きな鏡の製造は非常に難しく、この『鏡の回廊』では大判の鏡をふんだんに使用し……」という内容のものがありました。「鏡の回廊」にある「大きな鏡」とは1枚B4判程度の大きさで、その鏡が18枚1組になって大きな鏡を形成して1枚の大窓に対応し、その大きな鏡のセットが10数組ほど並んで回廊の片壁を装飾しているのですが……。B4判程度の大きさの鏡ですら製造が非常に難しい、との解説を受けた後に次の部屋に移ると、そこには繋ぎ目のない大きな大きな鏡があるのです……。(※注:上の写真(左)を参照してください)
この果てしなく大きな鏡は、では恐らく当時は存在せず、後から設置されたのでしょう。とすると、設立当初はこの空間には何があったのでしょう? 例えば先程のベルサイユ宮殿室内写真の大鏡の縁は、では一体誰がどのようにデザインし、いつ設置されたのでしょう?
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(左)左部に写っているのが「製造は非常に難しい」とされた鏡 (右)鏡の回廊の全体図
私が今見学しているベルサイユ宮殿と、当時のベルサイユ宮殿は、どの程度違っているのか、どの程度改修が施されたのか。フランス革命の中核を担ったこの宮殿は、市民たちからの略奪には遭わなかったのか。疑問は尽きず、そして回答は一切見出せません。ベルサイユ宮殿は改築・増築を繰り返しているらしく、明確な説明がし難いのかもしれませんが、やはり釈然としないものはしないのです。
すべてを見終わって「……」という雰囲気を醸し出している私に、友人が一言。
彼 「『来てみれば さほどでもなし 富士の山 釈迦も孔子も かくやありなん』って感じでしょ?」上手いっ! 適切な場所、適切なタイミングで、適切な言葉を引用できる人ってなかなかいるものじゃありません。ベルサイユに来たことよりも、道中彼と合流できたことが良かったです。今日の収穫はこの一言でしょうか。
追記として書くならば、今回の旅行を通して、お金の効果的な使い方というのは訓練と己で作り上げる明確な基準が必要だな、としみじみ思うに至りました。問答無用の節約は得意なのですが、「使うところでは使う」というのはその線引きが非常に難しいと感じます。無駄金を振りまく必要はないけれど、使うべきところではケチケチしない、というのは大事なことです。そしてどこが「使うべきところ」なのかの判断こそが難しいのです。
特に思ったのが、ベルサイユ宮殿の見学でオーディオによる解説ガイド付きは勿論解ガイドなしより高く、見るだけにしようか、ガイドを付けようかと散々迷い、いつもこういう時は変に「まぁいいや」などと思って「見るだけ」を選んでしまうのですが、今回は解説ガイドを付けてみたのです。その結果、特別に知識を仕入れている訳でもない普通の観光客がガイドもなくただ「見るだけ」ではベルサイユの価値は一生分からないな……と思いました。解説ガイドが付いていて背景を知ってこそ、この宮殿を見学する意味があるのでしょう。
この後、私はパッサージュ(商店街)巡りおよびオペラ・ガルニエ界隈の散策へ、彼は美術館へと別行動し、再び夜に合流し、昨晩より1ランク上のレストランにチャレンジしました。
……が、ここも「地球の歩き方」に掲載されており、更には立地が良いためか、店内には日本人がゴロゴロおり、レストラン側も日本人観光客に慣れているようで、メニューも見せて貰えないウチから「あー、ガイドブック見て来たんでしょ? コレが食べたいんだよね」という感じで半ば勝手にメニューを決められてしまい、前の皿が終わっていないウチに次の皿を持って来てしまうわ、食べている途中で皿を下げられてしまうわ……。
――馬鹿にされているなぁ……としみじみ感じた夕食会となりました。
いよいよ本命のルーブル美術館(Musee du Louvre)です。起きて早々雨が降っていたので、室内での美術鑑賞というのは丁度良いスケジュールでしょう。本当は開館同時の朝1番入場コースを狙っていましたが、昨日の夜から喉が痛く、風邪の予兆があったため、無理せず昼近くまで寝ていました。お陰で体調は崩れずに美術館巡りに臨めました。
2002年12月22日(日) ルーブル美術館/雨→晴
そうしてやって来た世界最高水準の美術館、ルーブル――とにかく広い広いとは聞いており、字面の情報により「1フロアの端から端までで約1km、計3フロア」「所蔵作品30万点」とも知っていましたが、やはり実際にこの目で見て、館内を歩き回ることで体感する圧倒的な広大さは、文字情報どころか写真情報をもってしても想像することは不可能ですね。
天井が高いこと、窓が大きいこと、作品の展示配置に余裕があること、展示会場そのものが芸術品であることなどから、館内の空間すべてが何とも豪華で優雅な雰囲気を醸し出しているのです。
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(左)建物のほんの一部 (右)1989年に完成した入口を兼ねたガラスのピラミッド
この美術館を維持経営して行く経済力と管理能力と知識造詣、そもそもの所蔵作品数、国土面積の広さ、ということもありますが、文化芸術に対する意識の高さがもう決定的に違うと思い知らされました。
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館内の様子のほんの一部
人込みで作品が見られないというコトはまずない広さ
まず、ルーブルに限らず主だった美術館の大半が、通常入場料5〜8ユーロ(600〜900円程度)と安いばかりでなく、18歳以下および失業者は無料、25歳以下は割引あり、一般でも月1回無料の日が設けられ、毎週日曜日は割引。それぞれにとにかく国を揚げて美術に対する感心を高めようとしている姿勢が表れていて、ただただ「凄いなぁ……」と圧倒されます。特に「失業者は無料」というのが、芸術大国フランスの、日本ではありえない意識だな、と非常に興味深く感じました。
ルーブル美術館は、そもそも旅行者が数時間でチラリと見る規模ではないのです。この美術館は恐らく地元っ子が数年かけて、フランス国民が一生かけて観るのものなのでしょう。
日本の美術館や展示会は、ルーブルやオルセーといった美術館に囲まれて育ったこの国の人から見たら、学芸会レベルに映ることでしょう。ルーブルと比べるのは酷ですが、それでも素人目に見ても、展示の配置、展示会場の雰囲気、空間など、痛々しいほど「足元にも及ばない」レベルであると認めざるを得ません。何も卑下している訳ではなく、文化・歴史的背景・教育・美術にまつわるシステムがまるきり違うのだから仕方ありません。
日本にも神社仏閣内に古美術品を展示する、などの日本独特の美術館はありますが、国民の注目度や国の支援姿勢で大きく引けを取っているのは事実でしょう。
ただ思ったのは、私などは美術にさしたる興味もないので、それがたとえ日本に美術に対する興味を養う土壌がないが故の無関心であったとしても、言ってしまえば「構わない」のですが、日本人で美術をこよなく愛する人や芸術家は気の毒だな……ということです。
「日本芸術が劣っている」と言っているのではありません。基本的に「大きくて華美で人々を圧倒させる」西洋芸術には決して見出すことの出来ない、「抑える美学」「慎ましさや侘び寂びの精神」という美意識を持つ日本芸術を愛し学ぶ、日本から輩出されるは芸術家は、世界に通用すると腹の底から言えます。ただ国の美術にまつわるシステムや環境が上等ではなので、こういった人々が輩出される可能性は、フランスに比べて著しく低いでしょうし、才能を持った人がその才能を開花させるのも難しいと思わざるを得ません。「気の毒」と言うのはそういう意味です。
まぁ国にはそれぞれ得意・不得意分野があり、例えばフランスが日本のようにハイテク先進国になることはありえないと思うので、1点ばかりに集中し、それが得られないと嘆き悲しむのは愚かというものでしょう。
そんなことを考えながら、さして芸術に興味がある訳でも明るい訳でもない私は、取り敢えず名画といわれる作品と、おおよその流れだけ見学しようと館内を彷徨いますが、余りに広くてお得意の迷子にはなるし、クタクタになってしまいました。
ここでショックだった出来事を報告しておきましょう。
ベルサイユのオーディオによる解説ガイドで解説の重要さに開眼した私は、もちろんこのルーブル美術館でもオーディオガイドを利用しました。一部の作品の横に振られている番号を入力するとその作品の解説が聴けるというものです。
フランス語は勿論、英語、スペイン語、ドイツ語など主な言語があり、幸いなことに日本語も用意されていました。解説の聴ける作品はかなり限られていますが、逆にそれがこの広大なルーブル美術館で「どの作品を見るべきか」の道標にもなり、私的に大満足でした。
しかしオーディオガイド貸し出し窓口にある説明を読むと、気になる記述が……。
「白い下線がない番号の作品は、フランス語、英語、……語で解説が聴けます」? フランス語や英語で解説が聴ける作品と、日本語で解説が聴ける作品は異なるってコト? 日本人が解説を必要とする作品と、外国人が解説を必要とする作品は違うということなのでしょうか……?
「白い下線が引かれた番号の作品は、日本語で解説が聴けます」
不思議に思って館内に繰り出し、時々目に映るガイド番号を確認すると、日本人が解説を聴ける作品と外国人が解説を聴ける作品はほとんど異なり、名作になると漸く両言語によるガイド番号が振られていたり、逆にスペシャル級の名作になると日本人のみが解説を聴けたり……。これは「普通、こんなに有名な作品の背景は西洋人なら知っている」と考えられてのことなのでしょうか……。
日本語による解説が、フランス語によるそれよりも少ない、というならまだ分かるのです。しかし、「解説を要する作品が異なる」というのはショックでした。「世界的に有名な解説を要する作品はコレだけど、日本人にはコレでいいだろ」というコトなのでしょうか……。馬鹿にされているのかなぁ……。単なる被害妄想?
また非常に意外だったのですが、ルーブル美術館では写真撮影が許可されているどころか、フラッシュも禁止されていないのです。(古代エジプトなど一部のエリアではフラッシュ禁止だそうですが、逆に日本では写真撮影禁止、警備員が立ち厳重注意の元で公開された「ハムラビ法典」が、ここルーブルでは触れちゃったりするらしい……という話も聞き、とにかくルーブルの姿勢が解りません……)
嘆かわしいことに、日本人や中国人を筆頭に、多くの観光客が名画をフラッシュ付きでバシバシ撮っており、この人たちは本当に美術が好きでここに来たんだろうか……と疑いたくもなります。写真を撮るのは良いとして、フラッシュが絵を傷めるというのはもはや常識だと思うのですが……。
フラッシュを焚く人も焚く人ですが、それを野放しにしている美術館も美術館です。大らかなのか杜撰なのか無頓着なのか、ルーブル美術館の意図がよく分かりませんでした。
そして恥ずかしかったのが、名画の前でピースをして写真を撮っていた日本人です……。私もかなり写真を撮る方なので他人のコトは言えないのですが、「ナポレオン1世の戴冠式」の前で「イェーイ」とか言いながらVサインをして写真を撮って貰っている日本の若い女の子を見たときには、ぶっちゃけた話、「国に帰れ」と思ってしまいました……。
一際賑わう「モナ・リザ」
さすがにこの作品は遮光ガラスで保護されていました
絵の大きさを把握するために人間も一緒に撮る、というなら理解も出来るのですが、ルーブルまで来て名画の前でVサインか……と思うと、トホホってなモンでしょう。
この後、偶然館内で友人に会い、この話をすると、昨日オルセー美術館に行って来た彼もこんな話を披露してくれました。
彼 「いやさ、昨日のオルセーでもミレーの『晩鐘』の所で、日本人の女の子が2人会話しててね。大学生らしいんだけど……。その会話っていうのが、『地球の歩き方』を持ちながら、『コレがチョー有名なバンガネ?』『バンドウじゃない?』って……。もう……参るよね……」…………「地球の歩き方」、ルビふってないしね。私も「ミレーの『晩鐘』」と言われても「農民の絵だっけ……?」程度の知識しかなく、どんな絵かすら思い浮かびません。しかし「バンガネ」「バンドウ」って……もうコレは美術造詣云々の話ではなく、単に日本語力の問題でしょう……。それも中学レベルの……。
――日本人が馬鹿にされるのも当然かな……という悲しい気分になったルーブル美術館だったのであります。
本日はノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dame de Paris)をメインに、シテ島とサン・ルイ島を観て周りました。
2002年12月23日(月) ノートルダム大聖堂/曇→晴
ノートルダム大聖堂では塔に登ることも出来るようでしたが、行列が出来ていたので簡単に諦めてしまいました。周囲と大聖堂への入場だけでも充分楽しめたので問題ありません。
ステンド・グラスが素晴らしく美しかったサント・シャペル(Sainte-Chapelle)では存分に光と色と厳かな雰囲気を堪能し、マリー・アントワネットの独房が残るコンシェルジュリー(La Conciergerie)では建物の設計図の展示を意外なほどに楽しんだりと、平穏無事な観光をしました。
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ノートルダム大聖堂
観光名所ではないけれど、サント・シャペルとコンシェルジュリーという2ヶ所の観光名所に挟まれた場所に位置する最高裁判所(Palais de Justice)にも足を運びましたが、このような公的機関の建物までもが芸術していることに、非常に感銘を受けました。
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(左)サント・シャペル内15枚のステンド・グラスのほんの一部 (右)コンシェルジュリー
この建物は、最初から最高裁判所として建てられたものではなく、15世紀までは王宮だった建物をその後、修復、拡張し、今の最高裁判所として利用するようになったようです。
しかしアイルランドに比べ、パリは建物にしろ街並みにしろ全く違うのですが、それでもアイルランドやパリ、ドイツを通じて西洋諸国にあって日本にないものを決定的に感じます。それが「空間」なのです。
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最高裁判所
上記の最高裁判所の写真を見ていただいても分かるように、門から玄関までの何もないこの空間、建物に踏み入るために上らなければならない階段、扉の大きさ、天井の高さ――こういう空間的余裕が人間の精神やライフスタイルに与える影響は少なくないと思われる今日この頃……。大きいことが良いとも思えませんが、人とぶつかり合わねば道さえ渡れないという異様に密々した環境から、見渡す限り誰もいないという場面がそう珍しくない環境にやって来た私の見解としては、人込みの中に身を置くことで発生する無意識のストレスは人を攻撃的にさせるか疲弊させるか、いずれにしても余りヨロシクナイ精神状況に人を追い込むな、と思います。
まぁ人口が多くて国土が狭いとなれば、それはもうどうにもこうにも改善しようがないのでしょうが……。
しかし余談ですが、恐らく広い部屋を与えられても隅の方しか使わずに生活してしまいそうな己に、アジアの血を感じるのでした。
ベルサイユ宮殿、ルーブル美術館、ノートルダム大聖堂と来て、本日はやはり期待度の高かったモンマルトル(Montmartre)の丘へと足を伸ばしました。散歩をしながら景色を楽しむモンマルトルは非常に天気に左右されそうな場所だったので「天気が良くなったら行こう」と思っていたのですが、気温は意外に暖かかったものの天候は毎日優れず、雨さえ降っていなければまぁイイヤ、とのことで本日にしたのです。
2002年12月24日(火) ムーラン・ルージュ/曇→小雨
モンマルトルの丘はパリの下町ということで、「地球の歩き方」ではこのように紹介されています。
パリの北端にある丘モンマルトル。長い間、風車小屋が点在するぶどう園と麦畑の村だったところだ。丘の上には白亜の聖堂サクレ・クールがそびえている。この地区の雰囲気を堪能したいということもありましたが、中でも特に「白亜の聖堂サクレ・クール」をこの目で見たかったのです。
パリ大改造(1853年)で市内から追い出された人々が移り住み、カルチェ(地区)になったといわれる。19世紀後半、生活費の安さや自由な雰囲気に惹かれ、印象派からエコール・ド・パリ、そしてキュピズムにいたるまで、さまざまな芸術家たちが集まった。今でも、画家たちが絵を売るテアトル広場を中心に、昔の面影を訪ねる旅人で賑わっている。変貌著しいパリだが、この界隈は変わらぬ姿で私たちを迎えてくれる。
天気は曇り、ギリギリ合格ラインです。もしかしたらそのうち晴れるかもしれない……という期待を抱きながら駅を降り、サクレ・クール聖堂が待ち受ける坂道を登ってゆきます。少しずつ全貌が明らかになってくるサクレ・クールは形こそガイドブックのものと似通っていますが、何か決定的に違うのですが……。
「地球の歩き方」内で紹介される白亜の聖堂サクレ・クール
恐らくベスト・ショット
いよいよ聖堂敷地内の麓までやって来て、「白亜」と評されるサクレ・クールを見上げますが……純白のはずのサクレ・クールは雨が続いたためか、背景の灰色の空模様のためか、ガイドブックや絵葉書の写真とは大分違う様相でした。――そう、決定的に違う何かとは、この聖堂を特徴あるものとしている「色」でした。「白亜の聖堂サクレ・クール」は白亜であってこそ私の心をくすぐるのですが……。
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、「天気の良い日は真っ白に輝き、曇りの日には銀色に染まる」などと紹介されていたサクレ・クール聖堂は、白でも銀でもなく、完全に灰色を呈していました。上記ガイドブックの写真は上手く撮影できなかったため、そんなに「真っ白」には見えないかもしれませんが、本当に真っ白く写っているのです。
私の目に映ったサクレ・クール聖堂
「白亜」という点に重きを置いて期待していた私にしてみると、「ちょっとガッカリ」というのが正直なところでして……。心に残るであろうコトを期待して赴いたサクレ・クール聖堂ですが、単に心残りになってしまったという……。いや〜やっぱり日本語って素晴らしいね!みたいな……。(※注:ただいま混乱中)
しかしここまで来た甲斐もありました。と、言うのが写真を撮っている際に知り合った日本人女性から、その他の見所を教えてもらうことが出来たからです。
一緒にランチを取りながら、美術館巡りが好きという彼女から、「美術館以外で」と注文をつけてオススメを聞きます。
彼女 「そうねぇ……ノートルダム大聖堂には行った? 行ったのか……塔には登った? あ、登ってないの? なら塔に登ることをオススメする。パリ市内が見渡せて、あれは圧巻だったよ。ただ私が昨日行った時は午後で1時間くらい並んだけど……でもその価値はあると思う。――よっしゃ、すべて行ってみましょう。
あと美術館はそんなに興味ないんだよね? でも今ね、グラン・パレで期間限定の特別展示で『マティス・ピカソ』っていうのをやってて、これがなかなか面白いから勧めたいなぁ。マティスとピカソって友達でね、お互いに影響し合ってて、同じ構図の絵を数多く描いているんだよ。結果的には作品は全然違うものに仕上がっているんだけど、そういう作品を並べて分かり易く展示してあって、良かったよ。
あと、これは少々毛色が変わったオススメなんだけど、ナイト・ショーとか興味ある? ムーラン・ルージュっていうキャバレーでやっているショーが凄く楽しかった。ほとんどトップレスの女性ダンサーによる2時間近くのショーなんだけど、もう2時間ずっと楽しめて釘付けだったよ。え? ああ、私は『地球の歩き方』に載ってたシティラマっていうツアー会社で申し込んで、ディナー付きで130ユーロだったかな。ちょっと高いけど、帰りはホテルまで送ってくれるし、夕食付きだし、その価値はあったと思う。これはオススメ」
まずはノートルダム大聖堂の塔登りです。昨日に引き続き再び向かったノートルダム大聖堂、彼女の言葉により1時間待ちの覚悟を決めての再訪です。
いざノートルダムに到着すると、塔に登る受付口の付近を大きく取り囲むように警戒テープが張られ、当然その警戒テープの内側には人がおらず、その外側に人だかりが出来ていました。よく見ると警察があちこちにいて……どうやら何か事件があったようです。近くにいた人に聞くと、「爆発物が仕掛けられたらしい」とのこと。彼らも塔に登るために随分長いことこの警戒が解かれるのを待っているようです。
しかし私は今来たばかりで、「ここまで待ったんだから……」という枷もありません。こんなところで時間を潰すのも何だし、今日は諦めようかな……と思うや、警察がおもむろに警戒テープを解いて行きます。野次馬根性が強かったことが幸いしてか警戒テープ付近にいた私は、こういう場合のみに発揮される俊敏さをナチュラルに活かして、群集が動き始めるより一瞬早く、コレ幸いとそのまま塔に上る受付口に直行しました。――結果2番。我ながら汚い。しかしこれは神様の計らいに違いない。
お得意の強引な思考回路で罪悪感を紛らわせつつ、後から続く人たちの迷惑にならないよう、支払いを素早く済ませ、延々と続く387段の階段をヒィフゥ言いつつも休まずに上り続けます。
苦労が大きいと得られるものも大きい、と言えないケースも多々ありますが、このノートルダム大聖堂の塔を登ったのは正解でした。パリの街並みは、ドイツのローデンブルク(Rothenburg)の町並みほどの感動はなかったけれど、それでも充分に塔からの眺めを満喫したのであります。
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(左)ヨーロッパ一高いモンパルナス・タワー (右)エッフェル塔
ノートルダム大聖堂の塔の上からの眺めを満喫すると、続くはムーラン・ルージュのナイトショーの申し込みです。勧められたシティラマにその足で赴きます。
私にとっては無用なディナー付きで130ユーロとのことで少々気が重かったのですが、これが運良く「本日ですとディナーが付かない81ユーロのツアーしかございませんが……」ということで、逆にラッキー!ってなモンです。勢い余って「やはり神様はかなり私が好きらしいっ!」とまで思うほど、この49ユーロの節約が嬉しくて仕方ありません。
しかもこのツアー、よく分からないけれど、ムーラン・ルージュでのナイト・ショーの前に約1時間の「イルミネーション・ツアー(パリの夜景観光)」なるものまで付いていて、「パリの夜景を堪能したい。でも一人旅だと夜道を歩くのは難しいな……」と諦め掛けていた私にとってはまさに願ったり叶ったりではありませんか。
ああもうこういう幸運を捻出するために、その反動で試練として常に道に迷う羽目に陥るのかな……などとまたも無駄なことを考えつつ、19時からのツアーまで時間潰しをします。
シティラマの近所をふらついていると、「JUNKU」という日本書籍のみを取り扱った書店に出くわし、思わず中に入るとそこはもう日本の本で埋め尽くされたパラダイスでした。店員も日本人(と、もしかしたら中国人)です。見たこともない新刊が並べられており、「ああっ帰ったら早く読みたいっ。でもここで買っても高い上に荷物になるだけ」と思いつつも我慢しきれず、先日別れた友人から勧められた文庫を2冊だけ購入することにします。
定価が明記されている日本の本ですが、当然この価格で購入という訳にはいかないのでしょう。どういう価格計算になるのだろうと少々心配しながら、しかしどこにも価格表示がなかったため、まぁ日本から送ってもらうよりは安いだろうと判断しレジに持って行きました。約400円の本と約600円の本で合計1000円、多く見積もって1500円になるとして、12ユーロ程度かな、と計算します。
レジ 「20ユーロ90セントです」………………え? 今「にじゅう」って言った? 「じゅう」じゃなくて? でも20.9ユーロって言ったら約2600円だよ……? 2.6倍はいくらなんでも……。
少々混乱しつつ、カードで支払いをしたため、レシートを確認できたのは既にカードをカードリーダーに通した後。価格はやはり20.9ユーロでした。正しく「……」という思いで、しかしレシートにサインをしてしまい、店を出ます。
しまった……。しくじった……。ムーラン・ルージュでの49ユーロの節約はこの布石か。神様も粋な計らいをしやがる。パリまで来てもコレです。
ああ、でも迂闊だった。こんなに間抜けなことをしたのは結構久し振りかも。
でも2.6倍ってなぁ……。店内のどこかに明記してあったのかなぁ。一言明記しておいてくれれば買わなかったのになぁ。こんな軽い本、家から送って貰ったら送料なんて1000円以下で届くよ。
ああ本当に迂闊だった……。もしかしたら店内にちゃんと書いてあったのかも。確認しない私が馬鹿だったんだ……。
なにぶん1度疑問に思うと結構しつこくそのことが気に掛かる性格のため、時計を確認し、まだツアー開始時刻まで10分ほど時間があったので、思い切って書店に引き返すことにしました。何がどうなる訳でもないのですが、とにかく価格に対する明記がしてあったのか、なかったのか、それだけ確認したかったのです。
書店の扉を潜り、レジの背後にある注意書きを読みますが、やはり「日本円の価格は当店で設定されたフラン(※注:ユーロ以前のフランス通貨)に換算されます」というようなことは書いてあっても、その換算式がどこにも見当たりません。
先程本を購入した客が舞い戻ってきてレジ付近をうろうろしていたことに気付いた日本人店員が、丁寧に声を掛けてきます。
レジ 「どうかなされましたか?」はい、この出来事のポイントは2つです。
鷹瀬 「あの、確認したいのですが、本の価格というのは大体どの程度になるものなんですか?」
レジ 「そうですね、やはりどうしても2倍以上にはなってしまいますね」
鷹瀬 「2倍以上……そうですか……」
レジ 「……返品なさいますか?」
鷹瀬 「! 宜しいんですか?! もし可能ならば、お手数掛けて本当に心苦しいのですが、この1冊を返品させて頂きたいのですが……」
レジ 「構いませんよ」
まず、パリに店を構えていても店員は日本人。日本人店員の顧客の機微を察する洞察力、顧客の不満に素早く応える臨機応変さ、店の不利になる提案であっても顧客の満足度を優先するサービス精神。どれを取っても素晴らしい! 「僕のせいじゃないよ」を直ぐに口にするフランス人には、到底真似できない技だと思われます。(※注:詳細は余談@にて)
そして次に、久し振りに日本語の丁寧語を存分に使うことが出来て大満足、ということです。コレ、もしも英語で遣り取りしなければならない状況ですと、慌てているものだから丁寧語の「I would like to」なんて咄嗟に出てくるか自信がないし、私の台詞は「If possible, I want to return this book.」になりかねません。暫く使っていなかった「お手数掛けて本当に心苦しいのですが」なんてソフトな言い回しが即出てくる日本語に、やはり愛情を感じてしまうのでした。
余談ですが、そうこうして手元に残った安い方の文庫「心は孤独な数学者」――かなりのオススメです。
3人の天才数学者の人生を紹介した3章からなる本ですが、取り上げられている3人というのが、イギリスのニュートン、アイルランドのハミルトン、インドのラマヌジャンで、作者が彼らの生まれ故郷を訪ねているため、旅行記的な側面も含まれており、現在滞在中のアイルランドに、行って見たい国インドと、私にとってかなり興味を惹かれる内容だったということもあるでしょう。しかし、そういうことを抜きにしても十分に面白い本だと思いますので、改めてご紹介しましょう。
ま、コレを読んでインド行きを躊躇しているのですがね……。
「心は孤独な数学者」 藤原正彦 著 新潮文庫
メインのムーラン・ルージュのナイトショーは、というと、推薦通り、非常に楽しく2時間があっという間でした。オマケ扱いの「イルミネーション・ツアー」も大満足で、これで81ユーロは安いと感じたほどです。締り屋の私が支払った金額に対して「安い!」と思うことは非常に珍しいことですから、このお得感たるや相当のものと言って良いでしょう。
推薦者であるサクレ・クールで出会った女性は、
「一緒のツアーに日本人の中年夫婦がいたんだけど、その人たちが帰りのバスの中で『同じ人間とは思えなかったね。バービーちゃん人形みたいだねぇ』って言ってて、それがちょっと……。もうちょっと余韻に浸りたかったんだけどね……」と嘆いていましたが、私はこの中年夫婦の台詞を非難できません……。本当に骨格が違うというか、バービーちゃん人形のよう……と言うのも的を射ていると言うか……。ほとんど全裸状態にきらびやかな衣装をまとった女性たちがメインで踊るのですが、身体が余りにも完璧なため、全くいやらしさはなく、マネキンが踊っているような感覚なのです。
彼女たちによる踊りだけではなく、腹話術のショーあり、男性ダンサーによるアクロバットあり、中弛みすることなく2時間ぶっ通しで100%エンターテイメント!でした。
大満足だったムーラン・ルージュのナイト・ショーですが、ただ1点だけ不満と言うか、閉口してしまった出来事もありました。
ムーラン・ルージュ
このツアーに参加したのは私を含めて日本人のみ3名で、ムーラン・ルージュに辿り着くと会場の後ろの方へ導かれました。
席の位置こそは中央寄りですが、太目の柱の真後ろで、従業員が出入するバーカウンターの真横。しかも階段の途中で、いかにも即席で設置したと思われる丸机に椅子が2つだけ置かれており……。私たち3人なんですけど……という具合に少々戸惑っていると、予備椅子のような簡易椅子をどこからか持ってきた店員が、タダでさえぎゅうぎゅうと置かれていた2つの椅子を更に詰め、新たに加わった簡易椅子を、なんと先に隣の机に着いていた中国人男性の前にドッカリと置くのです。
ツアーの団体らしい10人ほどの中国人男性たちも、机からはみ出すように寿司詰めで座らされており、挙げ句の果てには段差のない状態で目の前に私たちが座らされ……。
よく見ると視界を遮る柱より後ろに座っているのはほとんどが東洋人で、その席配置も酷いものです。私たちの席に至ってはバスの補助席並みです。
………………馬鹿にされているなぁ、としみじみ感じたのでありました。
クリスマスです。
2002年12月25日(水) パリのクリスマス/曇
「クリスマスを挟んでパリに行く」と報告すると、友人からこんなメールを貰いました。
日本の正月はのんびりするための休みというイメージがあるけど私もアイルランドに来るまではそう思っていましたが、こちらで生活していればこんな情報が耳に入ってきます。
外国のクリスマスはもっとわくわくするような動のイメージだわ.
アイルランドは世界でも有数の、クリスマスを盛大に祝う国です。というと、さぞ賑やかで楽しいのでは、と思われるかもしれませんが、現実は恐らく正反対です。クリスマスは、アイリッシュが家族水入らずで過ごす日です。一昔前まで日本も正月はかなりそういう傾向がありましたが、それをもっと大袈裟にしたものとお考え下さい。実はこういう事情があったためにクリスマスを挟んでパリ旅行をすることにしたのです。基本的にキリスト教のヨーロッパ諸国では「静まり返る」という傾向が強いと聞いていましたが、アイルランドよりはパリの方が活動的と聞いていたので……。
クリスマス当日25日は、店の閉店をはじめとし公共機関、交通機関も完全に機能停止します。飛行機さえ飛びません。クリスマス前後、おおよそ24日午後から27日午前までの間も、多くの店が閉まり、町を歩く人も激減します。
結果、恐らくパリはアイルランドに比べれば活動的だったのでしょうが、それでも本日は町の99%がお休みしていました。しかしクリスマス対応の街の装飾が非常に綺麗で、しかも街行く人が観光客以外はほとんどいないため、人目を気にせず撮ることができ、この時期にパリに来た価値がありました。同じクリスマス装飾でもどこか垢抜けないアイルランドと違って、ファッションの最先端の国の装飾ですから、それはもう。
基本的には曇り空でしたが、雨も降らず、時折陽が射す貴重な1日だったので、メトロを使わずに市内を歩くことにします。
パリのクリスマス装飾
面白いほどにどこも開いておらず、表を出歩いているのは地図やガイドブックを手にした観光客ばかり。美術館を訪れては「閉館」、観光名所を訪れては「閉店」「閉館」「閉鎖」の嵐……。
メトロは運行していたし、辛うじてぽつりぽつりとカフェが開いているものの、美術館、デパート、店、レストランと、ほぼすべてが閉まっていました。お陰でパリ市内を合計7時間、主に下記のような経路で隈なく歩き回ることができ、パリを足で満喫した1日となりました。(店が開いているとついつい寄り道してすぐに時間が経ってしまうので……)
ホテル → ピカソ美術館(Musee Picasso) → バスティーユ広場(Place de la Bastille) → パンテオン(Pantheon) → サン・テティエンヌ・デュ・モン教会(St Etienne du Mont) → リュクサンブール宮(Palais du Luxembourg) → サン・シュルピス教会(St Sulpice) → サン・ジェルマン・デ・プレ教会(St Germain des Pres) → 来々軒 → オペラ・ガルニエ(Opera Garnier) → チュイルリー公園(Jardin des Tuileries) → ルーブル美術館 → マドレーヌ教会(La Madeleine) → コンコルド広場(Place de la Concorde) → グラン・パレ(Grand Palais) → ルーブル美術館近辺 → ホテルさて、こんな具体名を並べても感想やその詳細を書いたところで、パリによほどの興味がある人以外にとっては無意味なので、取り敢えず太字で示した場所についてのみ特記しましょうか。
来々軒――想像通り、中華料理屋というか、ラーメン屋さんです。普段旅行中にわざわざをラーメンを食べることなどありませんが、考えてみれば今年の5月中旬から7ヶ月間、お店で出てくるような本格的なラーメンは食べていないのです。
アイルランドに本当の意味で「美味しいレストラン」は存在しません。しかし食の都パリで出てくるラーメンならば、きっと美味しいに違いありません。
そんな思惑と同時進行で、折りしも本日はクリスマス。キリスト教の国に属する人々が働く店、経営する店はすべて閉店しており、デパートもスーパーも開いていないため、食料調達が出来ません。そこでもしやと思って昨日偶然見つけたこの来々軒に足を伸ばすと……案の定、開いていました。従業員は中国人、客は100%東洋人。……環境が違っても働いちゃうのよねアジアンは、みたいな。嬉しいんだか、虚しいんだか。しかしどうしてもラーメンが食べたかったので、迷うことなく暖簾を潜って店内に踏み入ります。
味噌ラーメン6.5ユーロ(約800円)。パリにしては比較的安めの値段設定ではないでしょうか。味も紛うことなく日本のソレで、スープの最後の1滴まで堪能し、大満足の昼食です。
しかし日本人大学生5人グループの近くの席で、食べている間中、彼らの会話を聞く羽目に陥ったことから、総合的には何だか気分が暗くなってしまいました……。ラーメンも7ヶ月ぶりですが、ああいう会話も7ヶ月ぶりだったのでね……。まぁこの件に関しては詳しくは書きませんが、ラーメンはとても美味しかったけれど、雰囲気は最悪ということだったのであります……。
今までほとんど書いていませんでしたが、ホテル事情です。
初日から先住民のゴキブリに凄まれた「台所付き」が看板のホテル――本日もゴキブリがシンク付近に現れました……。同じカレなのか違うカレなのか定かではありませんが、少なくとも絶対に違うと固体識別が出来る範囲で3種類、計5回ほど……そう、今まで1日1回の割合でゴキブリが出現しています……。0.5cm程度のヤツから1.5cm程度のヤツまで……日本製より小振りではありますが、嫌なものは嫌なんです……。
しかし1泊もう12ユーロ出してトイレ付き、ゴキブリなしの部屋と交換してあげる、と言われても「……今のままでイイや」という感じなので、もういいとしか言えないのですが……。
まぁ見方を変えれば、アイルランドではお目にかかれなかったゴキブリに再会でき、良い経験をしたな、と……そう思うことにします。
本日は「ピカソ美術館」とグラン・パレで行われている「マティス・ピカソ特別展示会」に行き、ピカソ尽くしの1日で決めてみようかと思いました。ピカソが好き、という訳ではありません。むしろ正直に言えば、破壊的な構図や訳の分からない作品、「目鼻口の配置が変……」という程度の恥じ入りたいほどに貧困なイメージしかなく、タイトルと絵が結びつく作品は「アヴィニョンの娘たち」と「ゲルニカ」だけです。
2002年12月26日(木) ピカソ美術館/曇→晴
しかしだからこそ「理解してみたい」という欲求は逆に強く、ピカソ本人が40年間住み、愛したという意味でも本場のパリで、ピカソの真髄に迫れるものなら迫ってみようかと思ったのでした。
初期の作品からかの有名なキュピズムの時代まで、時代を追って作品を観ることができるというピカソ美術館。いきなりキュピズム辺りを押し付けられては理解するのは不可能でも、初期の頃から彼の作品をつぶさに追い、解説をじっくりと読めば、何かしら理解できるのではないか――そんな期待は昂っていました。
そして美術館の門を潜り、30分後には既に撃沈したのであります。30分後も1時間後も1時間半後も、英語の解説を必死で読んでも、感想は同じでした。
鷹瀬 「何が何だか分からないんですケド……」私の英語理解力が低いために、解説も正しく理解できていないのかも……と思い、「地球の歩き方」を取り出して、何かしらの理解の糸口を求めます。
「ギターを弾く男 Homme a la Guitare」(1911〜1913)など。キャンバス上に描かれた楽器や人は、相当デフォルメされているが、なるほどこれはギターだなとすぐにわかる。私たちはギターの形を知っているから、いろんな角度から眺めた姿を、同時に思い浮かべることができるわけだ。……なるほど分かりました。ピカソを理解できないのは英語力の問題ではなく、私の感性の問題だというコトが。日本語での解説を読んでなお、私には「なるほどこれはギターだな」と直ぐには解りませんでしたし、この解説に納得もできませんでした。
勿論、中にはピカソが巨匠と呼ばれる所以が理解できるような気がする作品も何点かありましたが、基本的には「?」というのが全編を通じての素直な感想です。
ピカソを愛している方には本当に申し訳なく、全く恥ずかしい限りの感性しか持ち合わせていない私ですが、「理解できるものならしてみたい」という思いは未だに健在です。……というか、ここまで来ると切実です。
多少は良さが分かる作品
確かに色やバランスが良い……ような気がする
しかし中には……
残念ながら私にはその価値が全く解らない作品
私でも作れそうなんですけど……
もしこれを読んでいる方の中に、「ピカソ大好き」「ピカソ最高」という方がいらっしゃったら是非その魅力を語っていただきたいのですが……。(※注:今後ネット環境が悪くなるためお返事が遅れるかもしれませんが、お礼に容量の許す範囲でパリの選りすぐりの写真を返信いたします。メールはこちらまで) ――と、言うのは何の分野でもそうなのですが、そのものに対して並々ならぬ情熱を持っている人が話すうんちくや背景、魅力の方が、一般的な解説よりも遥かに面白く興味深いからです。
このように、ピカソ美術館もじっくりガップリ見る予定でしたが、どう頑張っても「?」「??」「?!?」という類の感想しか浮かばない上に、見る見る内に天気が良くなってきてしまい、明日帰るという時間制限が見え隠れする中、パリに8日間もいてここまで天気が良かった日は初日以来初めてだったので、こんなところ(※触れるな危険!:ピカソ美術館に対する最大級の本音)で時間を過ごすのが勿体無いような気がしてきました。
夕方には「マティス・ピカソ特別展示会」に行きたいと思っていますし、その前に、どうしても心残りのサクレ・クール聖堂に再挑戦してみたくなります。
そうと決まれば善は急げ、2日前にガッカリしたサクレ・クール聖堂にレッツ・ゴー!
奥さん、ご覧になりましたか! 1枚目の写真が2日前のもの、2枚目、3枚目が本日のものです。色調補正ではありません。天気が違うと印象もこれだけ違ってきてしまうのです。
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天気が違うとこれだけ印象も違ってくるという参考例
(左)これはサクレ・クールじゃない……
(中)正統派サクレ・クール
(右)通にオススメ 神秘がかったサクレ・クール
私は今回パリだけに8泊9日で滞在していたのですが、1ヶ所に1週間ほど滞在する利点は、無駄な動きをしなくて良いことに加え、天気による障害を回避することが出来る、リベンジ可能ということです。
いや〜来て良かった。
暫くサクレ・クール聖堂を真正面から見上げることの出来るベンチに座って、モンマルトルの町をぼんやりと眺めていると、自称パリ市民の若者が、「煙草の火を持っていますか?」と偶然を装ってはいるけれど物凄く不自然に話し掛けてきました。スリだな、と思いつつ、しかし特に大事なものが入っている訳でもないバッグの入口を掴むように手を置き、クレジットカードや現金が入った鎖付きの財布はセーターとコートの下、という「どこからでも掛かって来い」という状態だったので、逃げることもなく、ついでなので何となく話をし始めます。
フランス人にしては珍しく英語で話すことを楽しんでいるらしいこの若者、「フランスの人間は冷たくて嫌だよ。日本はもっと人々が温かいんだろうね」などとオモシロイことを言ってきます。
色々話している内に話題はコロコロと移り変わり、その際に何気なく「ピカソは好き?」と聞いたら「好きだよ」というので、以前からピカソを好きという人に聞いてみたい思っていた「ピカソの何が好きなのか」「ピカソの魅力は何なのか」を問うてみました。
鷹瀬 「だってね、例えば『ギター』っていう題の作品なんだけど……あ、知ってる? アレはもう何がどう表現されているんだか。アレは何が良いの?」想像力はどうした。
パリ青年 「何てこった! 君には想像力がないのかい? あんな手法でギターを表現できるのはピカソだけなんだよ」
鷹瀬 「……ふーん。じゃあさ、コレ何だか分かる?」(※注:デジカメの記憶画像を見せる)
パリ青年 「…………………………何コレ?(原文:What is this?)」
この青年とはかなり長い間話し込んだけれど、無事何も盗られることなく別れることができ、私は本日のメインである「マティス・ピカソ特別展示会」へ向かいます。
グラン・パレで行われている「マティス・ピカソ特別展示会」――閉館時間が20時と比較的遅く、16時半に辿り着いても余裕だろうと思っていたのですが、行ってみるとルーブル美術館でも見られなかったほどの長蛇の列が出来ているではありませんか。
数年に渡る準備期間を経て、満を持しての展示のようで、観光客よりも地元民が駆け付けているといった様子でした。
40分ほど待ち時間で入場することができ、とりあえず解説は……とカタログを買おうとしましたが、「英語のカタログはありますか?」と聞いたところ「ノン」の一言で切り捨てられました。さすがフランスです……。特別展示のような期間限定の企画には英語を用意する暇などない、といったところでしょうか。言語を含めて自分たちの文化への誇りの持ち方に根性が入っている様子がなんとも。
当然と言うべきか、場内の解説もオーディオガイドもフランス語のみ。入口出口の指示すらもフランス語のみ。「Exit」すら使っておらず、筋金入りのフランス魂を見せ付けられました。
先程も書きましたが、他の美術館と違って地元の人が多いらしく、子供連れも非常に多かったのが印象的でした。さすが18歳以下は無料で美術館に入場できる国は違います。
子供たちも美術鑑賞に慣れているのかマナーも良く、更には5歳に満ちていないような子が、持っていたメモ帳にピカソの作品をスケッチをし始めたのには度肝を抜かれました。フランス人が美術を体得して行く過程をリアルタイムで目撃してしまったような心境です。
このような美術に対する土台レベルの高さは、世界語である英語のガイドを全く用意しないだけの根性を養うのでしょう。
推薦者であるサクレ・クールで出会った女性も言っていましたが、友人同士のマティスとピカソが同じコンセプトや同じ構図で作った作品を分かり易く並べて展示してあり、非常に興味深かったです、コンセプトが。正直な話、作品自体はワケが分かりませんでした……。
ホテルに帰り、展示会場で購入したポストカードを確認すると、こんな意外な説明が……。
(左) Pablo Picasso作 「L'Acrobate」 1930年
(右) Henri Matisse作 「Nu Bleu I」 1952年
――ん? ロンドンでもニューヨークでも開催されるってコト? ならば英語のガイドブックぐらい用意してあるでしょう。存在はしていても、フランスでの展示の際には英語のガイドブックなど置かない、ということなのでしょうか……??
……………………さすがおフランスとしか言いようがありません。
歴史は繰り返す、と言いましょうか……。本日もホテルをチェックアウトし、空港行きのバスが発着するバス乗り場の最寄駅で降りてからバス乗り場に辿り着けずに迷子になり、迷っているうちにトイレに行きたくなりまして、半ば死ぬ思いをしながら、初日に駆け込んだホテルに同じように駆け込み、同じ個室を利用し、同じようにスッキリした面持ちでそのホテルを後にしたのでした。
2002年12月27日(金) そしてアイルランドへ/小雨
1時間15分間バスに揺られ、パリ郊外の空港に辿り着き、いよいよアイルランドへ帰国します。
本日のメイン・イベントは何と言っても「アイルランドへの入国審査」です。
実を言いますと、現在私はアイルランドでの滞在許可が切れている状況です。基本的に滞在許可は学校に通っている間分のみ発行されるので、学校終了の12月13日の時点で私の滞在許可も終了してしまった訳です。
しかし私は次回の学校の入学許可証1月6日〜3月21日分を持っているので、既にリムリックの入国審査窓口に赴き、滞在許可の延長を申し出たのですが、審査官に「次のエニスで貰いなさい」とアッサリ断られ、「12月14日から1月5日の間にパリに旅行に行くんですけど……」と心配を訴えても、「大丈夫」と目的語のない返事しか貰えませんでした。
国内にいるのであれば多少滞在許可が切れた状態で不法滞在していても、大したことではありませんが、国外に出て、滞在許可が切れている状態で再び戻ってくるというのは少々厄介な気がします。大らかなアイルランドとは言え、年々取り締まりは厳しくなっていると言うし、下手に不法滞在していることを再確認されるのは危険なのではないかと……。
こんな訳で、次回の学校の入学許可証や残高証明書などを万全に準備をした上で、アイルランドの入国審査に臨みます。国内線扱いの飛行機だったためか、乗客もほとんどがEU諸国の人間であり、周囲の人々は続々とほぼノー・チェックで入国して行きます。しかし私はどこから見てもアジアンです。少々緊張しながら入国審査官に歩み寄り、パスポートを提示しました。
入国審査官はパスポート巻頭の顔写真のページを見て私に質問してきます。
審査官 「How long will you stay in Ireland?」審査官、出入国スタンプのページを確認していないんですけど。それでいいのか、アイルランドッ?!
鷹瀬 「Oh, I came here in this May. Now I...」
審査官 「Are you living in Ireland?」
鷹瀬 「Yes」
審査官 「O.K.」
いやはや、アイルランドに戻ってきたんだなぁ……と感じます。
前回のドイツ旅行から帰ってきた際、「アイルランドに戻って来たんだなぁ……」と痛烈に感じた場面は、バスが定時に発着しないということとバスの運転手が笑顔で代金を受け取ったということでしたが、今回のパリ旅行から帰ってきてアイルランドを感じた場面は、田舎臭い人々の表情に加えて垢抜けないファッションでした。慣れ親しんでしまっていたため今まで何とも思いませんでしたが、パリから帰ってきてアイリッシュの服装を見ると、それジャージじゃん!みたいな。ズボンの裾は泥まみれ、みたいな。いやぁ……不覚にも落ち着きますねぇ。
その他にも、バスの中はお喋りの嵐で、騒がしいほどに活気があることに改めて気付きました。パリのメトロは他人同士が会話することなどほとんどなく、全体的にとても静かでした。
やはり人間の質はアイルランドの方が断然勝っている気がします。これはあくまでも私基準ですが。
パリは非常に魅力的な街でしたし、あの芸術に対するフランス国家の底力には本当に頭が下がります。しかし同時に思うのです。ああいう国に育つと、やはり誇りが先行して人の質……というか優しさとか寛容さには欠けてしまうのかも……と。自分が頭を下げなくても周りが寄って来ますから、あの国は。
言ってしまえば、世界に向けて誇れるものが特にないアイルランドで地元民がフランス人のような態度を取ったら、誰も足を運ばなくなるし、そういう欠落こそが優しさや人の良さを生み出した……もしくは、その欠落を補うためにごく自然に「世界的に親切な人々」になって行ったんじゃ……とまで思うに至ったのでした……。アイルランドの魅力と言えば、やはり「Irish hospitality」と言われているほどですし。
よく分からないけど、ビバ! アイリッシュ!!
【追記】
逆の見方もありますね。アイリッシュはあんなに大らかで大雑把だからこそ、これと言って世界の頂点に踊り出るような分野がないのかも……。
12月24日に紹介した「心は孤独な数学者」の「アイルランドのハミルトン」の章に、こんな愉快な文章がありました。
もう一つの側面は、国民性と言ってよいロマンティックな自己陶酔である。アイルランド人の度し難い自己陶酔は、彼らの反英蜂起を見ればよく分る。何度武装蜂起しても、自滅的な失策や状況判断の甘さにより、すべては惨めな失敗となるのである。ドンキホーテ的と言ってよい。負けたいと思っているのではないか、と私には思えるほどである。たとえば、一八〇三年のエメットの乱では、ナポレオン軍がイギリスに攻め込むと勝手に思いこみ、銃を持ったこともないような人々を百名ほど率いて、イギリス政府の中枢ダブリン城を襲撃したのである。無論失敗して、指導者たちは絞首刑となる。そうかー、妖精の国だという根本を忘れていました。そら現実世界でキリキリとトップに踊り出る必要はないわな。
一八四八年に青年アイルランド党が起こしたティペラリーでの武装蜂起では、折しも大飢饉の最中で、空腹を抱えた農民はそれどころではなく、誰も同調しなかった。
また一九一六年のイースター蜂起でも、蜂起直前の内部対立、ドイツからこっそり購入した武器の陸揚げ日を一日思い違えるという、信じられぬ不手際に加えて、何の根拠もなく大衆蜂起を期待し決行したから、失敗したのである。千五百名のアイルランド義勇軍は義勇軍総裁の蜂起中止にも拘らず、二万名のイギリス軍に挑んだのであった。大衆は反乱の間、定時に仕事に出て、夕方はパブで飲んでいたという。
このような軽挙妄動を繰り返すから、綿密に計画を練るイギリス人に、ロマンティック・フールと馬鹿にされるのである。
アイルランド人は、それが悲劇であれ、自らヒーローとなることに情熱を持っているように見える。妖精神話の国であることにも現れているように、半分夢の世界に足を入れて生きていると言えないこともない。
まぁ今回の旅でトコトン思い知ったのが、フランス人の精神的・物理的なサービスレベルの低さですか……。態度は気だるげ、愛想なし、分らないことは「故障」、知らないことは「存在しない」……言ってしまえばそんな感じを受けました。勿論例によって例の如く、どこにだって例外はありますし、キビキビと働くサービス精神旺盛なフレンチだっているでしょう。「たかだか9日間滞在しただけで何が分かる」と言うのも尤もなご意見です。しかし、逆に言えばふらりと立ち寄ってちょっと覗いた結果感じたことが、上記のようなことだった、というだけの話です。
余談@ フランス人の対応
印象的だった出来事として、ホテルでインターネット接続を試みようとした際のフロントとの遣り取りがあります。ホテルの設備説明に「インターネット接続可能」とあったのですが、この意味がよく分らず、取り敢えず受付嬢に「ネットを使用したい」と申し出たところ、「じゃあ回線を開きますね。ハイ、開きました。もう使えますよ」と言われました。
部屋にあるのは普通の電話線で、回線を開いたからと言ってインターネットが使えるようになるとは思わないのですが……。私はこの「インターネット接続可能」というのが「専用線を用意してある」もしくは「現地プロバイダを手配して貰える」ということかと解釈していたのですが、確認しようにも受付嬢からの答えはこうです。
受付嬢 「この電話線をPCに繋げばインターネットは使えるようになりますよ」その「別の者」を呼んで来てくれる訳でもなく、自分の仕事は終わったとばかりに去って行ってしまう受付嬢……。
鷹瀬 「え……と、IPアドレスとかDNSサーバのアドレスとか、接続のための設定はしなくていいんですか?」
受付嬢 「? この電話線をPCに繋ぐだけで使えるようになる筈ですけど……」
鷹瀬 「……えーと、例えば電話回線を使ってのインターネット接続だと、プロバイダに電話を掛ける形になると思うので、プロバイダの電話番号とかアクセスIDとかパスワードとかの情報がないと接続はできないと思うんですけど……」
受付嬢 「?? この電話線をPCに繋げば使える筈ですよ」
鷹瀬 「じゃあ、今やってみますね。……やっぱり出来ませんよ」
受付嬢 「おかしいですね……。私はよく分らないので、別の者がいる時に聞いてみて下さい」
まぁ恐らく「回線を開く」というのは単に部屋にある電話を、外線に掛けられるように設定したというだけの話で、これでインターネット接続可能というのは、単にこの外線を利用して自分でプロバイダを手配し、インターネット接続をする、ということなのでしょう。しかし私のプロバイダは当然フランスにアクセスポイントなど持っておらず、ここから日本のプロバイダに接続すれば国際電話料金になってしまいます。フランスにも無料プロバイダのようなものがあるのかもしれませんが、取り敢えず9日間の間に探せるとも思いません。
駄目で元々という気持ちで、よく分かっていないフリをして、このホテルが使用しているプロバイダを利用させてもらえないだろうか……と思いつつ、先程の受付嬢が言い残して行った「別の者」に再度チャレンジです。
鷹瀬 「部屋でインターネットを使いたいのですが。昨日受付の女性に申し出て、私の部屋の回線を開いてもらったんですけど、まだ接続できないんですけど……」最後のリクエストは私も無茶を承知でしているものなので、断られても納得できますが、最初の返答で「故障していますね」と言っておきながら、1分も経たない内に「使える筈ですね」に回答を切り替え、最終的に「It's not my fault.」で締め括るこの対応……。全くもう……。
受付 「ああ、あなたの部屋の電話は故障していますね。それで使えないのでしょう」
鷹瀬 「はぁ? インターネットが使えないのは電話の故障のせいなんですか?」
受付 「そうです」
鷹瀬 「……このホテルを選んだのはインターネット接続が出来るからなので、もしこの部屋が使えないなら何とか他の手段を手配して使わせて下さい。それに電話に関しては昨日外線を利用できたので、故障ではないと思いますが……」
受付 「ああ、ならインターネットも使える筈ですね。接続できないのはあなたの接続方法が間違っているのでしょう」
鷹瀬 「……えーと、接続方法が間違っているというか、単に私は現地プロバイダの情報を持っていないので接続できないだけなんですが……」
受付 「それは僕のせいじゃありませんから(原文:It's not my fault.)」
鷹瀬 「いや……私は別にあなたのせいとは言っていませんし、問題はそこではなくて、私はインターネットが使えることを期待してこのホテルを選んだ、ということなんですけど……。例えばホテルのPCに繋いでいる線をお借りすることは出来ませんか? メールをチェックするだけなので、5分程度で構わないんですけど」
受付 「それは出来ません」
鷹瀬 「そうですか。ではホテルから近いインターネット・カフェなど、ご存知でしたら教えていただけますか?」日本では考えられない見苦しい言い訳を始めるのでビックリしました……。どうして知らないなら「知らない」と、その一言が言えないのでしょう……。分らなければ「故障」にしてしまい、知らなければ「存在しない」、それが通用しない場面では生まれ育ちまで話し始めるとは……。
受付 「僕はここで生まれ育った訳ではなくて、つい最近ここに着たばかりで、どこにインターネット・カフェがあるかどうかなんてことは……」
鷹瀬 「ああ、知らないなら結構です。自分で探しますから。えーと、もう1点お伺いしたいのですが、Beauvais 空港行きのバスが発着するバス停の場所を教えて頂きたいのですが」
受付 「僕はそんなに旅行をする訳じゃないし、Beauvais 空港というのはパリじゃなくてパリ郊外にある空港だし、シャルル・ド・ゴール空港なら知っているけど……」
鷹瀬 「ああ、知らないなら結構です。町のインフォメーションセンターで聞きますから。お世話になりました、本当に」
………………もうすべてがこんな感じでした。そしてポイントは「It's not my fault.」(雰囲気訳:「私のせいじゃないし」)――これです。客のインターネットを使いたい、というその希望に応えるべく手を尽くすなんてのは夢のまた夢なのです、彼らにとっては。「僕の仕事かどうか」ということがすべてであり、そのすべてに相当する仕事も、決してしっかり対応しているとは言えず、面倒とあれば即座に嘘を吐くという……。
サービス(精神)の質という点においては、どこのヨーロッパ諸国も似たようなものなのかもしれず、アイルランドでも「期待する方がどうかしている」というレベルです。「分らなければ『故障』、知らなければ『ない』」という基本姿勢はアイルランドでも同様で、もしかすると日本が頑張り過ぎなのかもしれませんね……。
アイルランドでフランスほどの悪印象を受けないのは、やはりニコニコしているからで、「仕事能力がなくても愛想があるアイルランド」、「愛想がなくても手際が良いドイツ」と来て、「愛想がない上に能率も悪いフランス」という締めくくりを見た気がします……。
何と言いますか、最近「顧客対応」を含む「サービス」という点において、日本に勝る国は存在するのだろうか……とまでに思うに至っております。自分自身が様々な国で現地人によるサービスを体験した訳ではないので、そう広範囲のことは言えませんが、友人の体験談などを含めると、日本のサービスは最高レベルに属していると言ってしまって良さそうです。
なんなんでしょうね、日本人の根本的に働いてしまう姿勢は。相手の要望に応えたいと思う気持ち(サービス精神?)が高いのでしょうか? もうちょっと手を抜いてもいいのかも……と思うのでした。
今回の旅では驚くほど「ああ……日本人、馬鹿にされてるなぁ」と感じる場面に多く出くわしました。アイルランドは勿論、ドイツでもこんなふうに感じたことはなかったので、これは被害妄想ではなくやはり事実としてそういう空気があったのだと思います。
余談A 馬鹿にされる日本人
馬鹿にされたと感じるか感じないかは主観の問題なので、私が上記日記の中で「馬鹿にされてるなぁ」と呟いている場面でも、「そう? 思い込みじゃない?」と感じる人もいるでしょう。しかしいくら具体的に報告しているつもりでも、現場の「言葉には出来ない空気」というものがあって、そういう微妙な含みも総合して、やはり私は「馬鹿にされているなぁ」と痛烈に感じたのでした。
既に上記日記の中でも紹介したように、レストランで店員から、切符購入窓口で駅員から、ムーラン・ルージュで店員から……。上記には書いていませんがルーブル美術館では係員から「Are you Japanese? コニチワ」などと2度も絡まれ、タクシーに乗ればボラれ、出店でワッフルを注文すれば最も形の崩れたものを押し付けられ……。
上記具体例の他にも、具体的に言うのは難しくともふとしたところ、ふとした仕種から「馬鹿にされているなぁ……」と感じました。何も日本人だけが馬鹿にされている訳ではなく、恐らく中国人も同様に馬鹿にされているのですが、彼らから見れば中国人も日本人も同じに見えるのでしょうから、「誰に対してもああいう態度なんだ」とも思えません。
ただ言えるのは、「馬鹿にするフランス人」もさることながら、「馬鹿にされる日本人」の存在も確かにあるのだと思います。
所作言動が幼いケース、文句を言うべき場面でも何も言わずについ愛想笑いをしてしまうケース、危機管理に対して愚鈍なケース、常識に欠ける行動をとるケース、公衆道徳を守らないケースと、とにかく様々な角度で「ああこりゃ馬鹿にされちゃうよね」と思わず納得してしまう場面に出くわしたのであります。
最終的には人と付き合う際にものを言うのは国籍ではなく個人ですが、それでもやはりどうしても国籍によるイメージ・偏見というものは、どんな場面にも、特に初期段階において根強く存在し、国籍による悪いイメージが個人の障害となるケースは決して少なくなく、出来ることならば「日本人」としての良いイメージが定着することを願ってしまうのでした。
後日……ってか、いつか書きます。
余談B 美術鑑賞と日本人
パリ滞在中の私的発見で非常に面白かったのが、道の標識、つまり矢印の概念の違いです。
余談C 矢印の概念
例えば、自分が今現在いる場所の先にオルセー美術館があるとします。普通は……少なくとも日本ではこの場合、標識は「↑オルセー」だと思うのですが、パリでは「↓オルセー」なのです! ああっ、私の説明で分かりますかね?
具体例として、私が泊まっていたホテルの最寄駅構内の写真をご紹介しましょう。これはもっと矢印の概念の違いが顕著に分かると思うのですが……。「この先」どころか、明らかに「上」に続く階段を示すのにも「↓」を使っています。
あえてこの現象を穿り返して考えるならば、例えば日本では当然「この先」にある場所を示すなら「↑」な訳ですが、これは常に常に自分が今いる位置が最も低くて、「先」という概念が「上」なのではないかと……。それが過剰な誇りに満ち溢れたパリでは、逆に常に常に自分が現在いる位置が最も高くて、そこからの移動は「↓」、つまり「下る」という感覚なのかなー……と思ったのですが。
「上」に続く階段を「↓」と表現するパリの町
ま、こじ付けかもしれませんがね。しかし面白かったのです。私的に。いやーパリだよ!みたいな。
私はショー・ウィンドウを撮るのが好きです。ドイツ旅行の際、ロマンティック街道のメイン、中世の宝石箱と言われているローデンブルクでは、一体何枚の写真を撮ったのか見当も付かないほどでした。圧倒される整然とした美しさでそのショー・ウィンドウが飾られており、ドイツ人が合理的で几帳面であるという国民性が、こんなところからも伺えることが楽しくて仕方なかったのです。
余談D ショー・ウィンドウ考察
そして今回のパリ旅行ですが、これまた楽しいショー・ウィンドウの写真を撮ることができました。そしてふと、ドイツでの写真と決定的に雰囲気が違うことに気付いたのです。
ドイツとパリのショー・ウィンドウの違いで――これは気のせいかもしれないのですが――ドイツが商品の「整然とした配置」に拘ってショー・ウィンドウを飾っているのに対して、パリでは「色」に拘っているような感じを受けたのです。
物の機能やサイズを前面に出してシンプルに分り易く見せたいドイツに対して、やはりパリはお洒落(感覚?)先行型で「魅せたい」のかな……とか思ったり。
パリのこれは最も顕著な例ですが……
フランス/パリ
配置や置き方よりも色を重視しているような気が……
ドイツ/ローデンブルク
もうどう見ても「理路整然」という感じが……
丁度クリスマス・シーズンということも関係しているのかもしれませんが、明らかにクリスマスとは無関係のショー・ウィンドウでも「色」を重視したディスプレイが多く、さすが芸術の街……と感じたのでした。
余談の更に余談ですが、パリの街を歩いていて思ったことは「鏡が多い」ということです。建物のちょっとしたガラス部分にマジックミラーのようなミラー加工が施されており、店の道路に面した壁で、扉で、ショー・ウィンドウの一部で、歩いていてそこここで自分の姿を意識する場面に出くわしたように感じます。
それだけ人々が外見やファッションを気にしているということなのかもしれませんねぇ。さすがお洒落な街です。
5月中旬から渡愛し、それ以後約7ヶ月間、「美味しい!」と言えるものを食べていなかった私にとって、この渡仏は「久し振りに美味しいものが食べられる機会」でもありました。
余談E 日本食への誇り・再び
昼食1回に夕食3回、すべて「地球の歩き方」に掲載されているレストランに訪れたのですが、「安い」というキーワードばかりを追っていたのが敗着だったのでしょうか……最後の1回を除いて、すべて「まぁまぁ」というレベルで、「美味しーいっ!」という感動がありません。日本のフレンチ・レストランの方が安くて美味しくてボリュームもあったような……。
勿論、単に日本で食べたものは、日本人が美味しいと感じるように味付けされていると言えばそれまでなのですが、最後に「もう『安い』のキーワードを追うのは止めて、最後くらいちょっと奮発して美味しいものを食べよう!」と35ユーロ(約4300円)払って食べたフレンチ・ディナーは、日本で美味しいと思って食べていたフレンチの味にきわめて近く、値段は日本より高いという……。
驚くほど美味しいものを期待した結果、思ったほど感動が無くて逆に驚いたといいますか、日本の食文化って凄いんだなぁ……と、日本人の舌に対して改めて敬意を抱いたのであります。
結局パリで一番思い出に残っている食べ物は、来々軒で食べた味噌らーめんです。美味しかったぁ……。そらもう深刻に。